ルービンシュタインの残した3種類の「ショパン・スケルツォ全集」を聴く

文:松本武巳さん

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ショパン
スケルツォ全集

LPジャケット

録音:1932年10月12,16,17日(SP)
東芝EMI(国内盤 EAC-30148)復刻LP

LPジャケット

録音:1949年6月28,29日(モノラル)
RCA(US盤 LM-1132)LP

LPジャケット

録音:1959年3月25,26日(ステレオ)
RCA(US盤 LSC-2368)LP

 

■ 3回録音を重ねたスケルツォ全集

 

 ルービンシュタインは、1930年代のSP録音、50年前後のモノラル録音、そしてステレオ初期の3回に渡って、集中的にショパンの作品の録音を残しているが、いずれも全集録音には至っていない。1度目の30年代は協奏曲、夜想曲、マズルカ、ポロネーズ、スケルツォ等に留まり、2度目の50年前後は前奏曲、ソナタ第2番、即興曲集、ワルツ集が加わり、最後のステレオ録音では前奏曲集が録音されなかったものの、バラード全集とソナタ第3番が新たに残されたのである。

 比較的よく知られていることではあるが、ルービンシュタインは多くのショパン録音と演奏を重ねており、ショパン演奏の往年の代表格であり、近代的なショパン演奏の規範を残したピアニストとみなされているものの、実際には全集完成と言うにはかなりの楽曲が残されたままだったのである。練習曲についても、残されたライヴ録音を加えても全体の半分にも満たないのである。その一方で、一般にはほとんど聴かれないタランテラ作品43やボレロ作品19などの録音を残したりもしているのだ。

 そんな中で、スケルツォ全集は、夜想曲、マズルカ、ポロネーズとともに、3回の集中セッションの全てで録音を残しており、ルービンシュタインの足跡をたどるには大変都合の良い楽曲であると言えるだろう。かつ、ここで紹介するスケルツォ全集は、30年代の第1回目の録音が、ほとんどの方がルービンシュタインと彼のショパン演奏に抱いている一般的なイメージとはおよそかけ離れた、きわめて猛烈な目を見張る演奏となっているのである。そこで、この30年代の演奏を中心に紹介したいと思う。

 なお、オーケストラ録音におけるステレオ録音の優位性は確かに覆しようもないが、ピアノ演奏に関してはたとえ古い(電気録音以後の)SP録音でもモノラル録音でも、現代のステレオ録音と比肩しうる情報量が十分に刻まれており、SPやモノラル録音を忌避されている方にもぜひ聴いてほしいと念願する次第である。

 

■ 同時期のホロヴィッツを超える凄演−1回目のSP録音

 全4曲ともに荒れ狂った怒涛のような猛烈極まりない演奏である。各曲の演奏時間だけを比べて見ても、驚くほかはない早さである。確かに、こんな演奏スタイルであるため、技巧的にかなり危ない場面が頻発しているが、そもそも当時の録音方式は編集無しの一発勝負なのである。古き時代のショパン演奏に対して喧嘩を仕掛けているような、そんなルービンシュタインの漲った気迫と新しい時代への挑戦姿勢がひしひしと伝わってくる。なお、実際には当時すでにルービンシュタインは40代半ばに到達しており、いわゆる若気の至りでは決してないことを補足しておきたい。

 特に有名な第2番の次から次へと畳みかけるような疾走ぶりについては、かのホロヴィッツや後年のアルゲリッチを超えるものがあるとすら言って過言ではないだろう。かつ、スケルツォの中では最も著名な楽曲ゆえに、演奏機会がもとより多かったことも相まってか、ミスタッチ自体はかなり多めではあるが、楽曲進行は確かな揺らぎないものであり、全体の構成も全く崩れていないのである。このような演奏時期を経たからこそ、晩年の落ち着いたルービンシュタインの世界が構築されたのだろうと、納得できる演奏である。

 このSP全集の、次から次へと襲いかかってくる音の洪水から逃れるのは、私には容易ではない。特に著名な第2番は、聴き映えのする楽曲かつ構成のしっかりした楽曲であるためか、腕に覚えのある小学生がコンクール等で取り上げることも多いのだ。つまり、技巧的なやや練習曲風な大曲として、子どもの頃から多くのピアニスト志望者が親しんでいる楽曲なのである。また、第1番も手の大きな子どもであれば、中学生で弾きこなすことも決して不可能ではないし、事実音楽高校の課題曲に挙げられることも結構ある。一方で第3番は、とても聴き映えがする楽曲だが、頻発する下降音型の表現がなかなか上手く決まらないことと、指遣いがやや難しく何らかの迷いが生ずると、本番で崩壊する危険性を持ち合わせたやや怖い曲でもある。第4番は、他の3曲とは異なり、全体の構築に一定の人生経験が必要であり、子どもが取り上げることは他の3曲に比べてかなり少ないと言えるだろう。こんな学習時期を経た人間にとって、ルービンシュタインの1932年SP録音の激しい楽曲表現こそ、強く惹き付けられる歴史的演奏だと思えてならないのである。

 

■ 最も安定した素晴らしい演奏−2回目のモノラル録音

 

 あらゆる意味で、安定した素晴らしい演奏である。SP時代のようなルービンシュタイン自身の怒りを表明することもなく、落ち着いてショパンの書き残した楽曲構造をほぼ完璧に示し、技巧的にも非常に安定しているうえに、妙な癖のないスッキリとした演奏でもあり、かつ音楽に一定の陰影を与えることまで成功している。つまり、決して単調ではなく、楽曲のもつ微妙な揺らぎであるとか、必要不可欠なメリハリやニュアンスがきちんと盛り込まれており、教科書を超えたショパン演奏の規範であると言って差し支えないだろう。私は、このモノラル録音を、ルービンシュタインの代表盤だと捉えることに、何らの違和感も持たない。それほどに安定した名盤であると思うのだが、わずか10年後にステレオで再録音したために、想像以上に忘れられがちな全集でもあると思う。

 

■ バラード全集と組み合わせた永遠の名盤−3回目のステレオ録音

 

 一般にルービンシュタインの代表盤とすら言えるステレオ録音による全集は、特にCD期以後はバラード全集と組み合わせて1枚のディスクになっていることもあって(LP時代から1枚に収納した徳用盤は存在した)、ショパンのピアノ曲の録音史全体をみても今なお王者の一角を占めている名盤であると言えるだろう。バラードとスケルツォを単に聴いて楽しむなら、この盤の価値は現在においても想像以上に高いのかもしれない。また、この盤を含むステレオ録音によるルービンシュタインの残したショパン演奏は、戦後のショパンの演奏様式の規範として、学習者やコンテスタントたちを通じて、祭り上げられていったのである。

 ただ、全くの個人的な感想としては、この全集はつまらない。この盤をスケールの大きい、美しいタッチの、ロマンティックな詩情あふれた演奏であると評されることも多いが、私には、30年代の録音より小ぶりな演奏に留まり、打鍵が若干弱いために美しく聴こえるが、打鍵の芯の強さを聴き取るならモノラル録音の方が優れており、ロマンティックであるかどうかは、個人の感受性の問題に過ぎないので評価が難しいものの、私にはこの点においてもあまりにも淡々とし過ぎた老成した演奏に聴こえてしまうのである。つまり、この盤最大の売りは、ステレオ録音であることに過ぎないのである。

 念のために書き添えるが、この盤がダメだとは決して思っていない。ただ単に、私には30年代のSP録音と、49年のモノラル録音の方により大きな価値を見出しているに過ぎないのである。ルービンシュタインのショパンを好まれる方で、一方でモノラル録音に否定的見解を有する方に、ぜひステレオ録音に至るまでのルービンシュタインの足跡をたどってほしいと念願してやまない。

 

■ 第1番の演奏データ

 

1932年録音(8分24秒)
1949年録音(8分37秒)
1959年録音(9分8秒)

 

■ 第2番の演奏データ

 

1932年録音(8分10秒)
1949年録音(8分51秒)
1959年録音(9分49秒)

 

■ 第3番の演奏データ

 

1932年録音(6分25秒)
1949年録音(6分53秒)
1959年録音(7分18秒)

 

■ 第4番の演奏データ

 

1932年録音(9分40秒)
1949年録音(10分34秒)
1959年録音(10分59秒)

 

■ 全く異録音が残されていないバラード

 

  最後に、CD時代に入り、スケルツォ全集と組み合わせられた、同じく歴史的名演とされるバラード全集についてであるが、この録音以外に全集は愚か一切の異演奏が残されていないのだ。わずかにBBCライヴ等その他で何曲かのライヴ録音が残っている程度である。このことに関しては、別の機会に紹介したいと考えているので、ここではルービンシュタインがショパンのバラード録音をわずかしか残していないことの指摘にとどめておきたい。

 

(2019年2月24日記す)

 

2019年2月24日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記