アッバードとベルリン・フィルの2枚のドヴォルザークを聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

1.ドヴォルザーク作曲
交響詩「真昼の魔女」作品108
交響曲第8番ト長調作品88
クラウディオ・アッバード指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1993年
SONY(国内盤 SRCR2601)

CDジャケット

2.ドヴォルザーク作曲
序曲「オセロ」作品93
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
クラウディオ・アッバード指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1997年
DG(輸入盤 457 651-2)

 

■ 今回の執筆動機について 

 

 実を言いますと、有名な2曲の交響曲をメインに、試聴記を書こうとは思っておりません。今回の執筆動機は、交響曲に前置されている、「真昼の魔女」と「オセロ」の2曲の演奏に深い感動を覚えたからに他ならないのです。まずは、このことをお断りしておきたいと思います。しかし、アッバードのこの2枚のディスクは、アッバードの本質的気質が表に出た名演であると思い、ここに取り上げることにしました。

 

■ 1993年録音のソニー盤について 

 

 アッバードとベルリン・フィルによる初のドヴォルザーク録音でした。アッバードのベルリン時代(1990年からの12年間)は基本的に不評で、辞任後は再び評価の高い演奏を生み出している、と良く言われるのですが、私は少なくともこのドヴォルザークは、そんな世評に反する出来であると考えますし、これほどまでに繊細な音楽を作り上げたアッバードの能力に感服します。それはさておき、私は「真昼の魔女」の音楽を聴いて、魔女のイメージを形成できたのは、このアッバード盤が初めてのことでした。チェコ系の名指揮者の誰からも、これほど明確に、この交響詩の表題音楽としての側面を聴き取ることは叶いませんでした。クーベリックも同様です。その意味でも、チェコ人で無い私たちにとって、もしもこの音楽に興味を持ったならば、このディスクは最初に指折るべきディスクであると思います。

 

■ 1997年録音のドイツ・グラモフォン盤について 

 

 序曲「オセロ」は非常に充実した響きが最後まで継続し、何か非常に重要なオーケストラ曲を聴き終えた感動を覚えます。残念ながら、チェコ系の指揮者からは、この側面での満足感はクーベリックを含めて、誰からも得にくいのが実情です。もちろん、チェコ系の指揮者でしか表現しえない、その他の重要な側面もあると思いますが、しかしそのことは、このアッバード盤の重要性を減じることにはなりません。私は、アッバードで初めてこの序曲が世界に通用する名曲であると理解しました。この曲におけるクーベリックからは、年取ったチェコ人の諦念のようなものを感じ取っていたので、違った側面を教えてくれたアッバードに深く感謝するとともに、ディスクの演奏内容に満足感とともに深く感動しています。

 

■ 2枚のディスクとも、交響曲に前置された小品 

 

 2枚に共通するのは、普段比較的聴く機会の少ない、「真昼の魔女」と「オセロ」を、いずれのディスクでも交響曲の前に収録していることに、まずは非常に興味を覚えます。そして、アッバードは、この2曲を聴いて欲しかったことは少なくとも明らかであると思います。余白に収録した小品では無いことは明らかですが、ベルリン・フィルが、普段からどんな小品でも手を抜かない習慣を身に付けたオーケストラであることが、さらに2曲の小品の価値を高めているように思います。スキップせずに、ぜひこの2曲も聴いてい欲しいと、私も念願します。

 このようなとき、カラヤンは意外なほど、一般的な形で余白を埋めることが多かった(例えば、「新世界」交響曲の余白には「モルダウ」を収録することが多かった事実)ので、アッバード時代の功績として、ディスクの余白に収録された曲に名演が多く残されていることなどは、もう少しアッバードのベルリン時代の評価として、高く評価しても良いように思えてなりません。

 

■ 2曲の交響曲について 

 

 交響曲8番も9番も名演であると思います。もちろん、そこからボヘミアの土俗性を聴き取ることが困難ですが、その代わりに、歌心と、充実した響きが聴き取れます。美しく、かつ豪快な音楽が全編を覆っており、チェコ系指揮者とはひと味異なる、国際性を有したドヴォルザークの普遍的名演奏だと思います。

 私は、特にアッバードの「歌心」が、この盤の価値を高めているように思えてなりません。カラヤンの両曲も名演でしたが、そこからは歌心を聴き取ることが困難でした。もちろん、歌うことを重視した分、細部の詰めがカラヤン盤よりも甘いところとか、管楽器が飛び出してしまうところや、アインザッツが揃っていないところなど、ベルリン・フィルらしからぬところも、多少見受けるのは事実です。しかし、これはそもそも無いものねだりのように思います。これ以上の個々の楽章の感想等は控えようと思います。ただ、新世界交響曲の第2楽章は、若干ありふれた内容に終始しているように思います。その意味で、第8番の方が、総合的な価値が高い名演だと思います。ただし、新世界交響曲の両端楽章の充実度は、桁外れに高いと思います。ベルリン・フィルならではの響きが、アッバードの表現と上手く合わさった、極めて良質の音楽が形成されていると思います。

 

(2009年10月24日記す)

 

2009年11月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記