ガーディナーによる「パーシー・グレインジャー作品集」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

パーシー・グレインジャー(1882-1961)

合唱作品集(歌とダンシング・バラード)

  • 『日曜日になればわたしは17歳』
  • 『ブリッグの定期市』
  • 『ソロモンの雅歌〜愛の詩』
  • 『愉快な婚礼〜祝宴の踊り』
  • 『シャロー・ブラウン〜船乗りのシーシャンティ』
  • 『父と娘』
  • 『わが黒髪の乙女』
  • 『花嫁の悲劇』
  • 『アイルランド、デリー州の調べ』
  • 『スコットランドのストラススペイとリール』
  • 『行方不明のお嬢さんが見つかった』
  • 『三羽のからす』
  • 『ダニー・ディーヴァー』
  • 『フォスターに捧ぐ〜草競馬にもとづいて』

ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
モンテヴェルディ合唱団&管弦楽団
録音:1994-95年、ロンドン
PHILIPS(国内盤PHCP-335)

 

■ ガーディナーの意表を突いた名盤

 

 ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団および管弦楽団が演奏した『ロンドンデリーの歌―歌とダンシング・バラード』のディスクである。パーシー・グレインジャーの合唱曲を集めた1996年に発売されたオリジナル・アルバムで、グレインジャーのオリジナル作品のほかに『ロンドンデリーの歌』に代表される編曲作品を多く収録している。実に意表を突いた名手ガーディナーによる録音であるが、単に珍しい紹介用の音源に留まっておらず、非常にレベルの高い演奏内容となっており、作曲家グレインジャーの紹介には絶対に欠かせない、現在でも突出して優れたグレインジャー作品のディスクであると言えるだろう。

 

■ グレインジャーの生涯

   グレインジャーは1882年オーストラリアのメルボルンで生まれ、13歳のとき建築家であった父親を祖国に残し母親とともに渡欧した。1895年から5年間ドイツのフランクフルトでピアノと作曲を学んだ後に1901年母親とロンドンに移住。演奏会活動を兼ねて各地で民謡の収集を行ない、これを素材に声楽やら器楽やらの様々なセッティングを作り各種紹介に努めた。この分野における代表作が『ロンドンデリーの歌』であり、最終的に大半はピアノ演奏用に編曲された。グレインジャーは優れたピアニストとして、多忙な演奏活動に明け暮れ、欧州を飛び回る一方で、作曲家としては民俗音楽に大きな関心を寄せ、民謡を編曲した作品を多く残した。古楽にも興味を抱き復興に努め「自在音楽」と名づけた理想の音楽を求め、それを実現させる『自動演奏機械』の製作にも取り組んだ。真面目だがどこか常軌を逸した、少々抜けたところのある「多彩な夢想家」だったと言えるだろう。グレインジャーはオリジナル作品も多く書いたのだが、既成のジャンルや形式を嫌ったために、短い一風変わった楽曲が多いと言えるだろう。

 その後1914年母親とともに渡米し、1918年に米国籍を得て米軍軍楽隊にも参加、吹奏楽曲の作曲も手がけ《リンカーンシャーの花束》などが出版されたが、1922年母親が突如自殺を図った。息子との近親相姦の噂に耐えられなかったためと噂され、大きなダメージを受けた。1928年スウェーデン人の詩人兼画家と結婚。1930年代以後は伝統的な音階・拍子・調性・和声から一切解放された「自在音楽」への関心を深め、その研究に後半生を捧げた。「鳥の飛翔のような旋律・大洋の波のようなリズム・夕暮れの空のような和声」なる理想郷の実現を目指し、『自動演奏機械』の開発に没頭しいくつかのモデルを試作したものの、遺憾ながら後継者が現われなかった。1961年ニューヨークで没した。
 

■ このディスクの寸評

   このディスクを聴くと、グレインジャーの音楽的要素の多様性と、現実の音として解き放つ際の巨大なパワーに圧倒される。また、そのような魅力を存分に描き出したガーディナーの実力にも深い感銘を受ける。多くの抒情に溢れた『ブリッグの定期市』、まさに郷愁を誘う『ロンドンデリーの歌』や『日曜日になればわたしは17歳』、実に残虐なバラードである『父と娘』のような、いわゆる民俗音楽を素材にした作品にしても、悲劇『ダニー・ディーヴァー』や、「草競馬」の名旋律をもとに大規模な作品に仕立て上げた『フォスターに捧ぐ〜草競馬にもとづいて』のような、グレインジャーのオリジナル作品にしても、まさに圧倒的なパワーが漲っているのだ。作品は半音階や五音音階、変則的なリズムを駆使しているものの、グレインジャーの魅力は決して現代性にあるのではなく、彼の音楽の魅力は快活で推進力に満ちた楽曲の力強さ、底知れぬパワーにあるのだ。しかし一方でパワーの陰に隠された反面的な暗さを感じるからこそ、われわれ聴き手はより彼の音楽に惹かれるのだと思うのである。
 

■ 忘れ去られて欲しくないディスク

   ガーディナーは、一時期、クラシック音楽界をまさに席巻した存在だったと言えるだろう。ところがまだ存命かつ現役であるにも関わらず、ある時点から一気に忘れ去られてしまったそんな音楽家の一人であると思われてならない。しかし、実に多彩なガーディナーの隠れた才能の一面を垣間見せたこのディスクは、可能な限り後世までずっと残したいディスクであると念願してやまない。忘れてしまうにはあまりに惜しい、単に演奏が優れているだけでなく、存在意義も十分にある貴重な1枚のディスクであると思われるのだ。ぜひ、再び多くのリスナーがガーディナーを思いだして欲しいと、心から念願して当盤を紹介した次第である。また、ガーディナーには、まだまだ忘れられて欲しくない名盤が、このディスク以外にも多数存在しているのは間違いないと言えるだろう。
  ※参考文献:宮澤淳一氏による一連のパーシー・グレインジャー研究
 

(2019年7月31日記す)

 

2019年8月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記