子ども向けオペラ『ヘンゼルとグレーテル』でのシュライアーとスウィトナー

文:松本武巳さん

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CDジャケット

フンパーディンク
オペラ『ヘンゼルとグレーテル』全曲

  • インゲボルク・シュプリンガー(メゾ・ソプラノ)
  • レナーテ・ホフ(ソプラノ)
  • テオ・アダム(バリトン)
  • ギゼラ・シュレーター(メゾ・ソプラノ)
  • ペーター・シュライアー(テノール)
  • レナーテ・クラーマー(ソプラノ)
  • ドレスデン聖十字架合唱団員

オトマール・スウィトナー指揮、シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1969年、ドレスデン・ルカ教会
Berlin Classics(独0020072BC)Eterna原盤

 

■ 魔女役はテノールのペーター・シュライアー

 

 ドレスデン聖十字架合唱団からキャリアをスタートした、希代の名歌手ペーター・シュライアー。福音史家を演ずるシュライアーを見るまでもなく、とても生真面目で誠実な演奏姿勢を堅持していたシュライアーにとって、この一見何でもないオペラ『ヘンゼルとグレーテル』は、実は彼にとって何か特別なオペラだったのだろうか。なんとシュライアーは、このオペラで魔女役を歌っているのである。実は作曲者自身が、明確に否定している魔女役へのテノール登用なのだが、これが聴いていてずっこけるくらい面白いのである。彼特有の美声を完全に封印し、だみ声で迫るシュライアーなど、およそ普段の姿からは到底想像もできない珍盤である。一方で、ただ単に普段真面目な人が突然キレたときの面白さとは、どことなく違っている録音であるのも事実なのである。

 同様に、普段はきわめて堅実な、少し意地悪な見方をすれば少々面白みのない指揮をすることが多いスウィトナーまで、まるで子どもがウキウキするような、飛び跳ね弾むような生き生きしたリズムで、楽しそうに指揮をしているのである。まさにメルヘンそのものの、美しく楽しい子ども向けオペラになっているのだ。シュターツカペレ・ドレスデンの響きまで、いつもより明るい音色を基調としているようにすら見受けた。そこで今回はこの意外な名盤を紹介してみたい。

 

■ クリスマス時期の子ども向けオペラ

 

 このオペラは、旧東ドイツのクリスマス時期の子どもたちにとって、数少ないご馳走とも言える楽しいオペラであった。普段の生活に閉塞感漂っていた旧東ドイツでは、国民への重要な息抜き政策の一つとして、盛大なクリスマス・マーケットや、優れた音楽文化の提供に国を挙げて力を入れていたのであろう。もちろん、それ以外の地域でもグリム童話を基礎とするこのメルヘンオペラは、クリスマス時期の楽しいオペラであったことは間違いない。

 このオペラは、演奏技術の側面ではさして困難な演目ではないからこそ、大人だけでなく子どもを惹き付けるだけの魅力を出すのは、かえってプロの音楽家でもいろいろと苦労が多いだろう。しかし、ここでのシュライアーやスウィトナーは、ただ単にそれだけの目的で、このような一見ぶっ飛んだ演奏を残したのであろうか。初めてこのディスクを聴いた当時から、このディスクにおけるシュライアーやスウィトナーの演奏には、もっと深いドイツ文化に関係する何かが潜んでいるように思えてならなかったのである。

 

■ 現地でクリスマスに実際に聴く経験を経て

 

 私は、いつかドレスデンに行き、このような奥の深い文化を理屈抜きに体験してみたくなり、ついに2014年にゼンパー・オーパーでのジルベスター・コンサートに潜り込むことに成功した。しかし、このコンサートは大人のためのいわば公式行事のようなところがあり、私の目的とはかなり異なった印象が残ったのである。チケット代も、ジルベスター・コンサートは特別公演のためか、旧西側と変わらない高額かつ入手困難なチケットであったし、会場内は着飾ったセレブ風の人がとても多く、まるでザルツブルク音楽祭のような雰囲気であったのだ。

 そこで、さらに2015年のクリスマスに再びドレスデンまで行き、今度はオペラ『ヘンゼルとグレーテル』、バレエ『くるみ割り人形』の通常公演を聴くことにした。チケット代も今度はかなり安価で、会場であるゼンパー・オーパーでは今でもクリスマス向けに着飾った多くの子どもが、両親に連れられオペラやバレエを楽しむ姿に遭遇できたのである。ヨーロッパにおけるクリスマスの意義を理屈抜きに体感した瞬間であったとも言えるだろう。

 幕間や終演後に、私は偶々隣に座っていた着飾った女の子の餌食になってしまい、延々と(自慢)話を聞かされる羽目になったものの、現地の生の雰囲気に実際に触れることが叶い、加えて女の子の両親からも(お礼を兼ねて?)いろいろと話を伺うことができ、ようやくこのオペラでのシュライアーやスウィトナーの意図が少しだけ理解できた瞬間であった。今でも、まだまだ当時ほどではないにしても、このような雰囲気が現地ドレスデンには残っており、私は幸運にもその雰囲気を味わうことが出来たのである。

 

(2021年9月20日記す(同年10月9日追記))

 

2021年10月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記