カラヤンとザルツブルク−モーツァルト交響曲第40番を手掛かりに

文:松本武巳さん

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モーツァルト
交響曲第40番K550

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1959年3月27−28日、ウィーン・ゾフィエンザ−ル
DECCA(輸入盤 管弦楽曲録音全集)9CD

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年9月15日、ルーマニア・ブカレスト
TOBU(輸入盤 ERT1027)国内仕様

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1970年9月21−25日、ベルリン・イエス・キリスト教会
EMI(輸入盤 録音全集第1巻)88CD

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年5月25日、1977年2月17日、ベルリン・フィルハーモニー
DG(輸入盤 Symphony Edition, KARAJAN 1970s)38CD,82CD

■ 意外に取り上げていない交響曲第40番

   モーツァルトはザルツブルク生まれであり、カラヤンもまたザルツブルクに生まれ、モーツァルテウム音楽院で教育を受けた。音楽家を志したカラヤンにとって、まさに呼吸をするくらいの親しみと親愛の情をもって、幼少時を過ごしたことであろう。しかし、カラヤンの残したモーツァルトの交響曲第40番は、ここでの4つの録音以外に、1959年東京でのライヴ録音などが存在するものの、カラヤンにしては決して多くない録音数であり、同じ交響曲の第39番を取り上げた回数と比べると比較にならないくらい少ない。実際にドイツグラモフォンへの76年の録音(後期交響曲全集)以後は、演奏会でも取り上げていないようである。
 

■ ウィーン・フィルとの演奏について

 

 1959年のDECCAへのスタジオ録音と、5年半後のルーマニアの首都ブカレストで開催されたジョルジュ・エネスコ国際音楽祭でのライヴ演奏が正規に発売されている。1959年録音は、世評は決して低くない。しかし、カラヤンがザルツブルクの大先輩への思いの丈を表現するには、残念ながらウィーン・フィルも同じくザルツブルク音楽祭の公式オーケストラであるためもあってか、カラヤンの思いを自由に表現するには、どうしても若干の齟齬だけでなく、ある種の遠慮もあったように思えてならない。つまり、多少中途半端な演奏であるとも言えるだろう。

 このことは、1964年のブカレストでのライヴ録音の方がなお一層強く感じさせてしまう。ここでのカラヤンは、音楽祭の目的がルーマニアの大音楽家ジョルジュ・エネスコであることも手伝って、より一層カラヤン独自の世界を築けていないように思える。カラヤンが郷土の大先輩への思いを自由に表現するには、ザルツブルクと縁の少ないオーケストラ、又は演奏姿勢がニュートラルなオーケストラが必要であるとの結論を、少なくともこのころには得たように思うのである。

 

■ EMIへの後期交響曲集録音について

 

 1970年9月にベルリン・フィルを用いて録音された、後期交響曲全集の中の1曲である。ここでは、ブカレストでの演奏から6年が経過しており、比較視聴しやすい一定の時期的間隔があったともいえるが、この録音が、イエス・キリスト教会で行われたことは、かなり重要な意味を持つと考えられる。

 この盤の評価は、現在でもそれなりに高いと言えるだろう。なぜなら、カラヤンはイエス・キリスト教会の音響を生かして、過去の多くの名演と比肩するような演奏を目指したものと思われるからである。その意味では、ウィーン・フィルとの演奏に見られる遠慮は無くなり、カラヤンの思いを強く引き出している一方で、全体的な演奏バランスは、過去の名演と同じ路線上にとどまってもいる。言い換えれば、ウィーン・フィルとの録音とは異なる意味で、やはり中途半端な演奏であると言えるだろう。ただし、ウィーン・フィルとの演奏と異なり、カラヤン自身が望んだ折衷案のような演奏なのである。

 

■ DGへの後期交響曲録音について

 

 1976年の録音であり、75年から77年にかけて、後期交響曲全集を再録音している。わずか6年後の再録音であるが、この録音がカラヤン・サーカスと揶揄されたフィルハーモニーでの録音であること、さらにこの録音は多重録音の技術等を用いていると考えられ、カラヤンが常々言っていた、後世に残すための録音技術を駆使した方法での後期交響曲全集であったと思われる。実際、交響曲第40番を含め、多くの交響曲はこれが最後の録音となっている。明らかに、EMIへの録音と時期は近いものの、異なった目的をもって録音されたことは間違いないであろう。

 

■ 演奏頻度の少ない交響曲第40番と演奏解釈

 

 カラヤンにとって交響曲第40番は、さして興味のある楽曲ではなかったのかも知れない。しかし、著名な交響曲でもあり、幼少時から慣れ親しんでいた曲でもあったため、解釈自体はたぶん学生時代には固定されていたものと考えられる。残された4種類の録音を聴き比べても、アプローチの違いこそ大きいものの、結果的な全体を通した楽曲把握やテンポ感は一切ブレておらず、楽章ごとのタイミング一つをみても見事なくらい揃っており、その意味でもカラヤンにとっての交響曲第40番の最終形は76年のドイツグラモフォン録音であったと思うのである。

 

■ 郷土の著名な大先輩モーツァルト

 

 晩年、カラヤンとベルリン・フィルは非常に険悪な関係となるが、その時期に至ってもモーツァルトの録音は、その多くがベルリン・フィルを起用して行われたことは、興味深い事実である。カラヤンはレガート奏法を好み、これがモーツァルトやバッハの演奏への評価を低くした原因の一つであることは明らかだろう。特にこの交響曲第40番の有名な第1楽章の冒頭の美しい旋律などは、人によってはカラヤンがモーツァルトの偉大な音楽を冒涜したと憤慨するのである。

 しかし、私にはカラヤンはモーツァルトの演奏について、学者がなんと言おうが、音楽愛好家がなんと言おうが、カラヤンがザルツブルクの郷土の大先輩への思いを込めた演奏は、最後のドイツグラモフォンへの録音であったように思えてならないのである。また、外野がどのように批判しようとも、カラヤンにとっておらが町の大先輩であり、大音楽家であったモーツァルトへの思いは、何一つ揺らぐことのない確信的な思いをもって、このような演奏を行っているように思えてならないのである。さらに、カラヤンはモーツァルトを冒涜するどころか、終生深く敬愛し続けたものと思えてならないのである。

 

■ 故郷への思いと保守的な古都ザルツブルク

 

 以下は、蛇足だがあえて記したいと思う。私の故郷は、6つの国の寄せ集めで構成されている兵庫県である。兵庫県人の県民性は希薄である上に、地域差が非常に大きく、ヒョーゴスラヴィアなどと揶揄される連邦国家のような有様である。神戸と姫路と山陰と淡路では言語もかなり異なる上に、大都会から僻地・離島まで混在している。私の亡父は神戸出身であり、亡母は姫路出身である。神戸は戦前国際都市として世界的発展を見せた都市であり、姫路を含む播磨地方は廃藩置県当時全国屈指の裕福な地方であった。予想通り両親は相容れることがないほど人生観が異なっていた。私は神戸牛や山田錦の集散地である東播地方の町で生を受けた(そのくせ、牛肉と日本酒は苦手である)が、やはり「兵庫県人」である意識は極めて希薄である。

 兵庫県は戦後全体的な地盤沈下が止まらないうえに、阪神大震災以後地位の低下がさらに加速している。かつての勢いは残念ながら感じられない。一方、今でも経済的に比較上位に位置する地方であるため、過去の栄光にすがっている面も見受けられるし、県民のプライドも今なおかなり高いと言えるだろう。もちろん、県外に出てしまい活躍する人物も数多い。特に首都圏で活躍する人物が多いのは、単純に喜んで良いのか微妙である。

 そんな私は、ザルツブルクに2006年から14年までほぼ毎年、夏に4〜12日程度滞在し続ける機会を得た。ご存じの通り、この町はオーストリアに属していながら、ドイツのバイエルン地方を構成する町でもある。ザルツブルク中央駅は、改修前はドイツ国鉄のチケットオフィスが、オーストリア国鉄と並列して設置されていた。ドイツ国境に近い上に、イタリアやハンガリー、チェコとも直通する複雑な地域に位置する古都であり、市民のプライドは尋常でないほど高い。私は、ザルツブルクの極めて保守的かつ閉鎖的な環境と、現在置かれた地位の低下に思いを馳せざるを得ない。勝手に一緒にするなとの批判が聞こえてくるのをあえて承知の上で、私がこの町の空気を一定期間吸った結果として、全くの個人的な感想として記している。(この町の客観的な評価としては、例えば冬季オリンピックへの立候補履歴と投票結果を調べてみれば、明らかであろう)

 この町で聞こえてくる響きを耳にしていると、私にはカラヤンの人生をかけた闘いと、一方でモーツァルト演奏に於ける極めて時代錯誤的な演奏が、いずれもなんとなく自然に感じられてくるのである。このような見地にたってみると、大多数の批判にもかかわらず、好悪はともかくカラヤンのモーツァルト演奏を許容したくなってくるのである。カラヤンの奏法は、ザルツブルクの町やモーツァルテウム音楽院ホールの響きとは決して違和感がないのである。そんな風に思うこの頃である。

 

(2021年5月30日記す)

 

2021年6月2日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記