ケンペ指揮で「1960〜62年のバイロイト音楽祭『指環』全曲演奏」を聴く

文:松本武巳さん

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■ 1960年バイロイト音楽祭ライヴ

CDジャケット

ワーグナー
楽劇『ニーベルングの指環』全曲
『ラインの黄金』  録音:1960年7月26日
『ワルキューレ』  録音:1960年8月17日
『ジークフリート』 録音:1960年7月28日
『神々の黄昏』   録音:1960年7月30日
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンぺ(指揮)
Pan Classics(輸入盤PC10418)12枚組

 ヴォルフガング・ワーグナーとケンペのコンビによる新上演の最初の年(1960年)のライヴ録音である。ケンペとバイロイトの組み合わせは、初登場の1960年以来4年(1960〜63年)続けて指揮した『指環』の他には、実は1967年の『ローエングリン』が残されるのみである。ケンペのバイロイトでの活躍を示す記録としてたいへん貴重な録音である。モノラル録音ではあるが比較的聴きやすい音質であり、録音年代やホールの条件等を考慮すれば、現代でも何とか鑑賞に堪えるレベルであると言えるだろう。歌手陣が全曲を通して比較的良好な音質で捉えられており、往年の名歌手の圧倒的な実力を堪能できる。演奏内容も、ケンペの指揮が全体の統一感をしっかりと提示しており、管弦楽と声楽のバランスもたいへん良いと思われる。ライト・モティーフの扱いも、ケンペの長年のピットでの経験がしっかりと生かされた優れたものとなっている。歌手陣も、ヘルマン・ウーデ、ハンス・ホップフ、フリック、ニルソン、ヴィントガッセンなど、当時の最高水準のキャストと言えるだろう。


戦後バイロイト『指環』上演記録(1980年まで)

●1951年 ヴィーラント・ワーグナー / カラヤン、クナッパーツブッシュ
●1952年 ヴィーラント・ワーグナー / ヨーゼフ・カイルベルト
●1953年 ヴィーラント・ワーグナー / カイルベルト、クレメンス・クラウス
●1954年 ヴィーラント・ワーグナー / ヨーゼフ・カイルベルト
●1955年 ヴィーラント・ワーグナー / ヨーゼフ・カイルベルト
●1956年 ヴィーラント・ワーグナー / カイルベルト、クナッパーツブッシュ
●1957年 ヴィーラント・ワーグナー / ハンス・クナッパーツブッシュ
●1958年 ヴィーラント・ワーグナー / ハンス・クナッパーツブッシュ
●1960年 ヴォルフガング・ワーグナー / ルドルフ・ケンペ
●1961年 ヴォルフガング・ワーグナー / ルドルフ・ケンペ
●1962年 ヴォルフガング・ワーグナー / ルドルフ・ケンペ
●1963年 ヴォルフガング・ワーグナー / ルドルフ・ケンペ
●1964年 ヴォルフガング・ワーグナー / ベリスラフ・クロブチャール
●1965年 ヴィーラント・ワーグナー / カール・ベーム
●1966年 ヴィーラント・ワーグナー / ベーム、スウィトナー
●1967年 ヴィーラント・ワーグナー / ベーム、スウィトナー
●1968年 ヴィーラント・ワーグナー / ロリン・マゼール
●1969年 ヴィーラント・ワーグナー / ロリン・マゼール
●1970年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1971年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1972年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1973年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1974年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1975年 ヴォルフガング・ワーグナー/ホルスト・シュタイン
●1976〜80年 パトリス・シェロー/ピエール・ブーレーズ

 ケンペは1960年から1963年にかけて4回バイロイトで『指環』を振った。初登場の1960年公演は新演出を採用し、ビルギット・ニルソンやハンス・ホップをはじめ多くの新しい声楽家を起用し、新しい魅力を多く持つ『指環』となった。ケンペの優れた指揮も含めて、この4年間の『指環』公演は今なお語り継がれている伝説の公演で、ケンペらしい滑らかで美しいオーケストラの鳴らし方である。合唱団も無理なく自然体で進行している。独唱者も実に伸びやかに歌っており、独り相撲を取るところのない落ち着いた穏健な歌唱である。ケンペの持つ高次元の音楽性が如実に表れており、仮にワーグナーが苦手な人や、そもそも全体で15時間もかかる『指環』を食わず嫌いの人に、特に勧めたい内容である。あえて言うなら、ワーグナーに強烈な毒素を求める聴き手がいるとしたら、確かにこの『指環』は多少物足りなく感じるかも知れないが、このような聴き手はすでに各々の愛聴盤を持っていると思われるので、ここでは特に問題とならないであろう。

■ 1961年バイロイト音楽祭ライヴ

CDジャケット ワーグナー
楽劇『ニーベルングの指環』全曲
『ラインの黄金』
『ワルキューレ』
『ジークフリート』
『神々の黄昏』
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
録音:1961年7月、バイロイト
Orfeo(輸入盤 C928613DR)13枚組

 戦後バイロイトの『指環』上演は、音楽祭を主宰してきたヴィニフレート・ワーグナーのナチ色を排除し、その息子でリヒャルト・ワーグナーの孫のヴィーラント・ワーグナーの演出で1951年に再スタートし、この年から音楽祭を支えていくことになったヴィーラントとヴォルフガンク・ワーグナー兄弟は、資金不足に悩みつつも簡素な舞台演出を巧みに用い、「新バイロイト様式」を創り上げていった。当初は管理や運営を担っていたヴォルフガンクも1953年から演出に参画し始め、1960年にはヴォルフガンクによる新演出で『指環』全曲上演がなされ、ケンペがその指揮を任された。ケンペはすでにロンドンのコヴェントガーデンで『指環』の指揮で高い評価を得ており、1957年の演奏が TESTAMENT から正規音源として発売されているのだが、録音状態があまり良くなく鑑賞には少し不向きと言わざるを得ない。

 1961年バイロイト音楽祭での『指環』は、1959年の『指環』上演無しの年を経て、1960年から導入された新演出の指揮をケンペが受け持った上演の2年目のもので、1963年までの4年間にわたって継続されることとなった組み合わせによるもの。当時のケンペは、コヴェントガーデン王立歌劇場で大きな成功を収めており、特に1957年の『指環』は高い評価を受けていた。今回の『指環』は1961年のモノラル録音だが、以前『ワルキューレ』のみCD発売されており、全曲の正規音源が残されていることが分かっており、発売が待たれていたものである。比較的聴きやすいものの細部を聴き取るためには物足りない音質だった先述の1960年のライヴ盤や、出演者の個人コレクションからのCD化だった1962年のライヴ盤とは大きく異なった優れた音質は、モノラルではあるもののケンペの実力を遺憾なく示すディスクとなっている。

 ヴォータン役を科学者でもあったアメリカのジェローム・ハインズ、さすらい人役をわずか4か月後に33歳で夭逝したカナダのジェイムズ・ミリガン。その他前年に引き続きハンス・ホップ、アストリット・ヴァルナイ、ビルギット・ニルソンらが起用された。ブリュンヒルデは『ワルキューレ』ではアストリッド・ヴァルナイで、『ジークフリート』と『神々の黄昏』はビルギット・ニルソンだが、ジェローム・ハインズのヴォータンとアストリッド・ヴァルナイの歌唱による、有名な「ブリュンヒルデの別れの二重唱」は全体の白眉となっている。録音面も合わせて考えれば、この1961年盤が最も一般受けする優れたディスクであると言って良いだろう。
 

■ 1962年バイロイト音楽祭ライヴ

CDジャケット

ワーグナー
『ラインの黄金』 録音:1962年7月28日
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
MYTO(輸入盤 2CD00323)2枚組


1962年バイロイト音楽祭でのケンペによる『指環』が、1960年、1961年に続いて分売で登場した。このケンペによる1962年の『指環』のライヴ音源は、フリッカ役で出演していたアメリカのメゾソプラノ、グレース・ホフマンの個人コレクションから提供されたもので、これが初出である。戦後バイロイトの『指環』上演といえば、1951年から1958年まで兄ヴィーラント・ワーグナーの演出が一貫して用いられていた。その後『指環』抜きの1959年を経て、1960年に弟のヴォルフガング・ワーグナーの新演出による『指環』がスタートした。この新たな『指環』を任されたのがルドルフ・ケンペで、1960年から1963年の4年間に渡ってバイロイトの『指環』を指揮することになった。初年度1960年の『指環』が最初に発売され、続いて1961年のものが発売されたのに続いて、今回は1962年のものも発売ということで、比較視聴が楽しみとなったのである。

 このCDは1962年にケンペが指揮した『指環』から序夜の録音だが、個人所有のモノラル録音としては録音レベルもまずまずで、各キャストの表現もかなりの部分まで聴き取れる。そのおかげで、例えばオットー・ヴィーナーなどは、これまで印象が希薄な歌手に過ぎなかったのだが、この録音ではかなり健闘しているのが良くわかる。この音源のおかげで過去のマイナス評価を正当に評価できた、そんな一例と言えるだろう。ケンペの指揮も3年連続ともなると、さらにこなれてきて素晴らしく、ゆったりとしたテンポをとりつつ要所では、ここぞとばかりかなりの迫力や圧倒的な重量感で迫ってくる。この『ラインの黄金』は全体を通して演奏が弛緩するようなところが全く見られないので、もしも残っているなら映像でもぜひ観てみたいと思う。因みに1963年の演奏は、現時点でも全く出ていないようなので、個人音源とは言えこの1962年の録音はとても貴重だといえる。これを聴いているとケンペ指揮で『指環』のセッション録音を残しておいて欲しかったと思わざるを得ない。

CDジャケット

ワーグナー
『ワルキューレ』 録音:1962年7月29日
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
MYTO(輸入盤 3CD00324)3枚組


ケンペの指揮も歌い手も『ラインの黄金』同様に非常に素晴らしいと思われる。特にヴァルナイのブリュンヒルデ役は、毎度のことではあるが実に圧倒的な内容で期待を一切裏切ることがなかった。ケンペ指揮の1962年の『指環』四部作から最初の2作品を聴いた時点で、指揮、歌手陣、オーケストラともにきわめて充実していることが明らかであり、正式録音がどこかから発見されることを心から念願したい。ケンペは翌年の1963年も『指環』を一人で全曲の指揮を受け持ち、1964年にクロブチャールと交代し、1965年からはベームとスウィトナーが指環を指揮することになるのである。

CDジャケット

ワーグナー
『ジークフリート』 録音:1962年7月30日
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
MYTO(輸入盤 3CD00325)3枚組

1962年の『ジークフリート』では、ハンス・ホップが3年続けてジークフリートを歌い、同じくニルソンもブリュンヒルデを1960年から3年連続で歌った。ホップはバイロイトを1964年までで退いたので、このケンペとの『指環』が事実上最後の見せ場であったと言えるだろう。ほぼ同時期に進行したショルティとウィーンフィルによるスタジオ録音による『指環』四部作のうち、『ジークフリート』は同じ1962年にバイロイト音楽祭を挟んで5月と10月に録音された。ニルソンはブリュンヒルデ役で参加しているが、両者を聴き比べてみると、セッション録音と舞台での歌唱の違いに、誰もがはっきりと気づくだろう。優れた歌手の同時期の録音を聴き比べる楽しみの一例として、この著名な事実をあげておきたい。ケンペの指揮は、とにかく全体の流れがスムーズで、一切流れが滞るようなところはなく、歌手の歌唱に聴き手が集中できるところが本当に優れていると言えるだろう。

CDジャケット

ワーグナー
『神々の黄昏』 録音:1962年8月1日
バイロイト祝祭管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(指揮)
MYTO(輸入盤 4CD00326)4枚組


 1962年のバイロイト音楽祭での『指環』から『神々の黄昏』である。ここでは1962年の『指環』における、配役の妙を実感せざるを得ない。ニルソンは、ケンペが指揮をした1957年のコヴェントガーデンでの『指環』でもブリュンヒルデを歌っているのは、比較するうえで幸運だったと言えるだろう。この録音でもニルソンのブリュンヒルデには圧倒されるが、ニルソンが珍しく若干単調に陥っているというか、やや強引に押し切っているようにも思えるのは少し心残りであった。ところでこれほどの豪華キャストで、これほどの優れた指揮でもあるのに、実は最後の盛り上がりが少々欠けているように思えなくもない。これはもしかしたら、演出に対する何らかの不満があったのかも知れない。この最後を飾る『神々の黄昏』では、ケンペの指揮は単に流れが良いだけでなく、きわめて深い解釈の結果、歌手陣を自由に歌わせているような感覚に襲われてくる。それが、かえって指揮者の個性を目立たなくしているとしたら、こんな贅沢な不満はそうそうあるものではないだろう。

 

■ 最後に

 

 1960年『指環』公演の瑞々しさ、1961年『指環』公演の安定感溢れる指揮と歌手陣、1962年『指環』公演の圧倒的な存在感。いずれも甲乙つけ難いものがあるが、個人的には1962年『指環』公演に最も惹かれるところがある。最後になるが、現時点では発見に至っていない1962年『指環』公演の正規録音、及び1963年『指環』公演の録音も実は残されていて、今後新たに発売されるようになることを、心から念願したいと思う。

 

(2022年7月5日記す)

 

2022年7月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記