クレンペラーとアラウによるショパンの協奏曲第1番を久しぶりに聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット
CDジャケット

ショパン
ピアノ協奏曲第1番作品11
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
オットー・クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団
録音:1954年10月25日、ケルン(西ドイツ)
ica classics(欧州盤ICAC 5045)

 

■ 正規盤がようやく出て

 

 この録音は、大昔日本のキングレコードから、ライセンスが少々怪しいにもかかわらず国内盤がLP時代に発売されたことがある。とても海賊盤であるとは思えない黄金色の堂々たるジャケットで、しっかりとした日本語の解説文も、プロの解説者によりジャケット裏側に記載されていた。しかしそれから40年余り、ついに放送局音源による正規ディスクが発売されたのである。実は以前に発売されていた海賊盤も音源が放送録音であったためか、海賊盤としては比較的良好な音質であったために、新たにこの録音に対する視点を示すような試聴記を書こうとしているのではないことを、予めお断りしておきたい。

 

■ クレンペラーとの共演

 

 クレンペラーは、伝説の女流ピアニストであったノヴァエスの伴奏を務めて、かつてショパンのピアノ協奏曲第2番の正規録音を残しているが、たぶん第1番の録音はこの一種類だけではないかと思われる。それだけに、クレンペラーにとって非常に珍しい録音となっている。

 

■ 多くが解説書からの引用に留まる

 

 かつてイギリスの復刻レーベルであるテスタメント社からリリースされた、1957年のクレンペラーとアラウによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、第4番、第5番のライヴ録音の解説書に記載された紹介記事と、それ以前にジョーゼフ・ホロヴィッツ著「アラウとの対話」(邦訳あり)で紹介されたアラウとクレンペラーに関する内容が、両者の共演並びにクレンペラーのショパンの楽曲解釈についての紹介記事において、これまで非常に多く参照されてきたし、実際にこれらの記事は大きく誤った情報でもないとは思う。しかし、当盤(正規初発売)が発売される段階に至っても、依然として1930年代にドイツで二人はシューマンの協奏曲を共演したことがあったがあまりうまくいかなかったことや、それ以来の久しぶりの共演であったこと、ショパンについてクレンペラーがあまり分っていないためアラウがいろいろと助言したこと、等々が紹介されている有様である。これらについての引用や感想については、今回一切控えたいと思う。

 

■ 第1楽章提示部の省略なし

 

 1954年当時、ショパンのオーケストレーション能力に対する疑問から、指揮者が独自に管弦楽部分に改変を加えたり、多くの作曲家による管弦楽部分の編曲がなされたり、少なくとも第1楽章提示部の長々とした管弦楽提示部については、大半の演奏や録音が省略していたのである。これは、ショパン・コンクールにおいてすら同じ状況で、省略しない形でコンクールの本選が演奏されるようになったのは、ようやく1970年になってからであった。

 しかし、ここでのクレンペラーは、一切のスコア改変なしにショパンの書いたとおりに演奏しているのだ。1954年当時としては、非常に珍しいことであったと言えるだろう。そして、その演奏内容は、いろいろな噂とは異なり、クレンペラーはもともとショパンの管弦楽書法だけでなく、ショパンの音楽全般についても一定以上の知識や自身の解釈を有していたと思わざるを得ないのである。これは、クレンペラーがピアノの演奏に長けていただけでなく、ピアノを学習した当時の居地や年代から判断しても、ショパンの音楽をピアノ学習の基礎の一つとして活用していたのはかなり高い確率で正しいと思われるのである。少年クレンペラーが、ショパンのマズルカやワルツを練習している姿を想像することは非常に困難だが、現実にはあり得た話なのである。

 

■ 伊東さんによる紹介記事

 

 当サイトの主宰者である伊東和明氏は、なんと1999年の段階で、早々にこの録音を紹介されているのだ。当時はまだテスタメント社からベートーヴェンの復刻が出ていない時期(というか、そもそもテスタメント社が現在のような本格的な活動を開始する以前である)であり、この録音を当時の少ない情報ながら優れた内容で紹介されているのである。ここで、伊東さんが書かれた試聴記から、2か所紹介させてほしい。 

 このCDの演奏は面白い。ショパンのピアノ協奏曲はオーケストレーションに問題があるとかないとか議論があるようだが、そんな議論などどこ吹く風だ。クレンペラーはここでは威風堂々の指揮ぶりだ。貫禄は十分、重厚さに満ち、序奏部分からして一大スペクタクルが開始されるような雰囲気だ。ピアノが入ってきてからもクレンペラーの手綱が緩むことなく、最後まで実に立派な演奏を繰り広げている。オケはおそらく当時の一流とは言い難かったのだろうが、なかなかいい音を聴かせてくれる。

 問題はこの演奏がショパン風というより、余りにもドイツ的重厚さに覆われてしまったことだろう。第1楽章など、まるでベートーヴェン並みの激しさである。ちょっとやり過ぎと思う人もいるかもしれない。それは好みの問題だと思うが、なよなよとした演奏とは一線を画しており、私は大いに評価したい。

 

■ クリスティアン・ツィメルマンの指揮を兼ねた再録音

 

 ところで、ツィメルマンが、ピアノと指揮を兼ねて実に重厚な一大スペクタクルのような、壮大稀有な音楽として録音したディスクが存在している。1999年にポーランド祝祭管弦楽団を率いたショパン没後150周年記念の録音である。あまりにも一般に考えられているショパンの協奏曲像とはかけ離れた、重厚な音楽として演奏されていたために、あまり顧みられることのない録音となってしまっている。ツィメルマンにはそれ以前に多くの(一般的に)優れたショパンの協奏曲録音が複数残されており、この録音はあまりにも特殊な解釈として、思ったほど重要な録音とはなっていないようである。しかし、ここでツィメルマンが主張したショパンのオーケストレーションについての解釈は、さらに45年を遡るクレンペラーの指揮ぶりにも通じるものがあるように思えてならない。

 

■ 時代の最先端であったことを想起させる歴史的ディスク

 

 クレンペラーの描いたショパンの管弦楽部の演奏は、堂々たる重厚な大曲として演奏され、アラウのピアノもロマンティックでありながら、弱々しいところのない同じく重厚な響きを基礎とした演奏である。まるで交響的協奏曲であるかのような、スケールの大きい音楽が全体を貫いている。もちろん、これが正しいショパンの解釈だとかいうつもりは全くない。しかし、1954年当時にこのようなショパンのピアノ協奏曲第1番を、一切の省略や改変なく雄大に描き切った演奏を、ある意味引き継いだのが、45年後のツィメルマンの指揮を兼ねた演奏であったように思えるのである。それでもなお、ショパンのピアノ協奏曲にまつわる一般的なイメージは、払拭されているとは言い難い現状に歯がゆさを感じるのは、聴き手だけなのであろうか。

 

(2021年7月4日記す)

 

2021年7月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記