アラウの大戦前録音で「3曲のリスト演奏」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット
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リスト

  • 巡礼の年第2年より第5曲「ペトラルカのソネット104番」
  • 超絶技巧練習曲集より第11番「夕べの調べ」
  • 巡礼の年第3年より第4曲「エステ荘の噴水」

クラウディオ・アラウ(ピアノ)
録音:1937年7月19日(ペトラルカ、夕べ)、1929年(エステ荘)
Music & Arts(輸入盤 CD-1060)

 

■ クラウディオ・アラウの一般的評価

 

 1903年に南米チリで生まれ、1991年に没した名ピアニストである。常に演奏者自身による抑制の効いたとても渋い演奏で、スケール自体は非常に大きく堂々とした演奏を行ったものの、大柄で小回りの利かないやや不器用な演奏を行ったとも評価されており、日本では一定の評価を受けつつも最後まで人気が沸騰することはなかった。特に実演に接したことのない層を中心に、むしろ指が回らない技巧的に若干落ちるピアニストとしての評価が、どちらかといえば大勢を占めているようにすら思えるのである。アラウの演奏を高く評価する層でも、自己コントロールの効いた、その場の勢いに委ねることの決してない冷静な演奏で、良い意味での教科書的な模範演奏として高く評価されているとみて良いだろう。つまり、一定の高い評価は受けつつも、若干面白みのないピアニストとしての評価がすでに確立している、前時代の名ピアニストの一人であると位置付けられているように考えて良いように思われるのである。

 

■ 一般的評価を覆す疾走するリスト演奏

 さて、私がここに紹介するリスト録音は、25年ほど前にアラウのフィリップスへのソロ作品全集(44枚組の大ボックスセットで、当時88000円の大枚を叩いて購入したことを未だに覚えている)が出された際に、特典盤として3曲のリスト演奏の古い録音が添付されており、その際に初めて接した演奏である。現在はミュージック&アーツから出ている2枚組その他で、他の同時期の録音も一緒に聴くことができるが、初めて接した3曲のリスト演奏の衝撃が今なお忘れ難いので、今回紹介するのも標記の3曲だけに留めたいと思う。

 まず、巡礼の年第2年からの「ペトラルカのソネット104番」は、後年のステレオ録音より約1分速い(約6分20秒、ステレオ録音は7分16秒)演奏だが、速い部分や技巧的に難しい部分でむしろより速く弾いており、単に楽曲の疾走感だけでなく聴後の爽快感まで漂ってくるのである。その一方で後年の祈りを捧げるような深いスタイルは、この演奏時点ではほとんど確立されておらず、この楽曲特有の宗教的な感覚は若干希薄であると言えるだろう。

 つぎに、「夕べの調べ」であるが、こちらも後年の超絶技巧練習曲全曲録音よりも約1分速い(約7分50秒、全集録音は8分52秒)。この曲に於いても、後年の全曲録音に見られるような演奏の深化や、楽曲全体から感じ取れる祈りのような姿勢はほとんど見られない。しかし、技巧的に危うくなるのもまったく厭わずに、ひたすら前に向かって突き進もうとするような、そんな爆演寸前の場面まで垣間見ることができるのは、この演奏が放送用の一発録りであったにしても、アラウへの評価自体が変化するような衝撃の瞬間であると言えるだろう。

 そして、20代半ばの録音である「エステ荘の噴水」は、実に後年のステレオ録音よりも約2分も速い(約6分55秒で、ステレオ録音は8分54秒)演奏である。ただ、時間的な差異は大きいものの、実はこの曲の演奏の基本姿勢は、後年のステレオ録音とさして大きな変化は見ることができない。つまり、前2曲と異なり、この楽曲への解釈は20代ですでに固まりつつあったのであろうと思われる。それゆえ、若い時代にいち早く録音に挑んだのかも知れない。演奏時間の比較だけで演奏内容の差を判断することには、一定の限界があることの実例の一つと言えるかも知れない。

 大昔のSP録音なので、収録時間の限界からたまたま演奏時間も速かったのだろうと言うような、少々穿った見方ももちろんできるであろうが、実はエステ荘の噴水を除く2曲は、ラジオ放送用の放送用録音であるので、演奏の実測値自体が速いと考えて間違いないであろう。つまり、アラウも若いころは、かなりスピード感溢れる演奏を行っていたのである。

 

■ 演奏の同一性及び深化について

 

 いずれの演奏も、アラウ自身の演奏であることは、確かに演奏速度こそ大きく違えども、両録音を聴き比べたときに演奏全体の流れに何の違和感も感じ取れないので、仮に楽譜を持っていなくても、ピアノを弾くことが出来なくても、同じ演奏者による録音であることは、ほぼ理解できるだろうと思われる。つまり、良くある当時の古い録音における、演奏者疑惑(演奏者の取り違え)の心配は、このリスト録音においては危険性が小さいと考えても良いだろう。

 一方で、アラウが演奏の深化や楽曲の深い理解に拘ったことと、どこまでも演奏者自身がその場の気分に委ねることを排し、厳しくコントロールすることに主眼を置いた、そんな稀有なピアニストであったことが、古い録音を聴くことでむしろ理解できるように思われるのである。つまり、技巧的な難所で多少安全運転をするような箇所も、ステレオ録音を実行した際の年齢も合わせて判断すると、決してないわけではないのだが、それ以上に表現を重視し意図的に演奏速度を落とした部分の方が目立つのである。つまり、アラウ自身の明確な意図で後年のステレオ録音が行われたことが、この古い録音を通じてむしろ理解することができるように思えるのである。

 

■ アラウの真の姿を垣間見せる戦前録音のリスト演奏

 

 今回紹介したディスクに入っているその他の録音を聴いてみても、確かに若いころのアラウには、われわれが良く接する後年のアラウにはない、一定の疾走感が感じ取れるように思う。しかし、当時からすでにいわゆる爆演といわれるような演奏スタイルはほとんど見られないので、アラウ自身のピアノ演奏に対する姿勢は、かなり若いころから確立していたと考えることができるだろう。その一方で、実年齢の若い時代特有の疾走感を明確に聴き取ることが可能であり、そんな側面から後年のアラウの演奏を再評価することも可能であるように思うのである。特に、後年のアラウの演奏を指の回らない愚鈍な演奏であると考えられている方にこそ、一度は聴いてみて欲しいと願う、そんな1920年代と30年代の3曲のリスト演奏なのである。

 

(2019年3月16日記す)

 

2019年3月16日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記