アシュケナージ唯一のリスト録音集を聴く

文:松本武巳さん

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リスト
超絶技巧練習曲S.139から

  • 第1番ハ長調『前奏曲』
  • 第2番イ短調
  • 第3番ヘ長調『風景』
  • 第5番変ロ長調『鬼火』
  • 第8番ハ短調『狩り』
  • 第10番ヘ短調
  • 第11番変ニ長調『夕べの調べ』

ゴルチャコフ即興曲S.191
メフィスト・ワルツ第1番S.514

ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1970年5、12月、ロンドン
DECCA(国内盤 POCL4515)CD、LONDON(国内盤 SLA1024)初出LP

 

■ アシュケナージ唯一のリスト録音

 

 アシュケナージの音は、硬くて柔らかい。いきなり意味不明な内容で始めて申し訳ないが、アシュケナージの演奏を認められるかどうかの境界線が、実はこの表現を許容できるか否かであるように思えるのである。最近ようやく、アシュケナージは実は当たり外れが大きい演奏家であったこと、そして決して何でも屋ではなかったこと辺りは理解されてきたように思う。そして、1970年頃までの録音には、むしろ当たりの方が多かったこと。これらは、さすがにアシュケナージも80歳を超えて最晩年に至り、現在評価が確立しつつあるところであると言えるだろう。

 冒頭の謎解きは、各々の楽曲の評論に回すことにして、早速アシュケナージ唯一のリストの録音集について曲ごとに感想を記したい。なお、このリスト作品集は、アシュケナージの録音に当りの方が多かった最後のころである、1970年の録音である。また、当時は十分に権威のあったレコードアカデミー賞の器楽曲部門を1971年度に受賞した名盤でもある。

 

■ 第1番《前奏曲》

 まさに一瞬で駆け抜ける第1番は、前奏曲というよりも、むしろ曲集全体の前口上的な音楽である。アシュケナージの演奏は、この難しい曲集を華々しく開始させていると言えるだろう。

 

■ 第2番イ短調

 

 この曲にはタイトルはないが、冒頭に「気の向くままに」という指示が書かれている。この曲におけるアシュケナージは、少々窮屈な感じが聴き取れ、流れもやや滞り勝ちである。アシュケナージの優れた世界観を示し切れておらず、もたもたしていると言えなくもない少々平凡な演奏である。

 

■ 第3番《風景》

 

 曲の後半に「田園曲」との指示があるように、田園風景を表した抒情的な楽曲である。技巧的には当該曲集中で唯一、普通のレベルの楽曲である。緩やかに下降する部分と、静かに上昇する部分をどのように弾き分けているかが、評価の分かれ目であると言えるだろう。アシュケナージはこの2つの部分を、たぶん意図的にある種の僅かなズレを作り出して演奏し、最後にはそこから情緒的な雰囲気を醸し出して静かに楽曲を閉じている。まるで「超絶技巧練習曲」が決して無味乾燥ではないことを、主張しているように感じ取れるような演奏である。

 

■ 第5番《鬼火》

 

 世評では、少なくともこの曲に限っては、アシュケナージの評価が現在でも間違いなく高いと言えるだろう。さらに、アシュケナージがこれ以前に録音したリストの楽曲には、ソ連時代の「鬼火」と「メフィスト・ワルツ」が存在しており、実は再録音なのである。なお、第69小節から72小節にかけての半音階で下降していく、この難曲の中でもとりわけ難所といえる箇所で、アシュケナージはほぼ原譜どおりに弾ききっていることを付け加えておきたい。この部分は、作曲者自身によってOssia(原譜通りに弾けない人のための置き換え用楽譜)が書かれているのだが、アシュケナージが録音した当時までに既出の名盤とされる録音は、ほとんどがOssia又は原譜とOssiaを参照し、演奏者が若干改変を加えて弾いているのである。著名なベルマンの旧盤をしても改変を加えて弾いている箇所であることは、アシュケナージのためにも一応書いておきたい。

 なお、《鬼火》に関して、大多数のピアニストは、恐ろし気な不気味な雰囲気を醸し出しながら演奏しているが、そもそも鬼火とは、旅人を惑わして怪しげな動きを見せる神出鬼没な妖怪であると理解したうえで、やや面白おかしく捉えて、例えとして少し変かも知れないが「水木しげる」の世界のように描くこともまた可能であると思われる。このように捉えたとき、アシュケナージの描く《鬼火》は、ほぼ独壇場ともいえる抜群の効果を発揮してくるのである。つまり、ハンマーを叩きつけるかのような強烈な左手の低弦打鍵、そしてやや不器用ではあるが明るく柔らかい、そっと奏でるような全体の響き、これらが相まって本来恐ろしく不気味な鬼火の世界を、恐ろしさと不気味さを維持しつつも、そこに滑稽さを同時に混ぜ込んで表現することに、アシュケナージは唯一成功しているように、私には思えるのだ。

 

■ 第8番《狩り》

 

 この曲は、そもそも標題に関して誤解が見受けられると思われる。ここで言う《狩り》とは、嵐の夜に魔王に率いられて狩りをしている死霊の群れのことなのである。誤訳であるとまでは思わないが、誤解を受けやすい訳であると思われることを、冒頭にお断りしておきたい。

 曲の冒頭は、単に激しい嵐を表しているに過ぎないが、中間部以後は死霊の不気味さと、狩りを示す軽快なリズムが同居している。そんな夜の宴を表す曲であると思われる。ここでも、アシュケナージ特有の強靭な打鍵と柔らかい美音を同居させ、不気味さと軽快さを同時に表すことに成功していると思われる。もちろん、どうしてもギクシャクしているように受け取られる危険性は、確かに回避し得ていないので、評価が若干割れることはやむを得ないと思われるが、楽曲のタイトル《狩り》の意味を正しく捉えた標題音楽として演奏していることに対し、私は高く評価したいと思う。

 

■ 第10番ヘ短調

 

 タイトルが付けられていない楽曲である。そのため、アシュケナージがどのように捉えて弾いているかが焦点となる。私には後悔から逃れるためもがき苦しむ雰囲気や、苦悩が高揚していくような雰囲気が上手く出されていると思う。技巧的にも破綻なく進行させているので、聴き映えがする内容となっている。

 

■ 第11番《夕べの調べ》

 

 夕暮れ時の微妙な雰囲気を表す楽曲である。昼の世界と夜の世界の神々が入れ替わる時間帯特有の混沌とした世界を、繊細かつ詩情的に表す独特の位置関係を歌いきることが必要である。演奏時間も長いために、一歩間違えると単調に堕してしまう難しい曲である。

 アシュケナージにしか描けない深い歌心によって、この曲集の一般的な位置づけや、リストの音楽自体の一般的評価すら覆すような、見事な世界観に置き換えることに成功していると思われる。その結果、リストの音楽が本来持っている美しい音楽性や抒情性を、見事に引き出した演奏であると評価したい。まるでタイトルが《夕べの調べ》ではなく《夕べの祈り》であるかのような、深く美しい祈りの音楽となっているようだ。

 

■ ゴルチャコフ即興曲

 

 初版には「夜想曲」の題が与えられていたが、後の版で「即興曲」と改められた。「即興曲(夜想曲)」という別称はこのためである。ロシア人外交官の妻であったマイエンドルフ男爵夫人に献呈されたことから、夫人の旧姓を用い「ゴルチャコフ即興曲」と呼ばれることもある。

 上記のような経緯から、ロシア・ソ連出身のピアニストが比較的取り上げることの多い小品である。アシュケナージもたぶん子どもの頃から慣れ親しんでいたこの小品を、唯一のリスト作品集に加えたのであると思われる。演奏は滋味溢れたたいへん優れたものであると言えるだろう。

 

■ メフィスト・ワルツ第1番

 

 《鬼火》のところで書いたように、この曲はソ連時代にも一度録音歴がある。技巧的に安定しているが、前半は打鍵に若干余裕を欠いている。しかし、後半の跳躍部分と最後の猛スピードは、一般的に考えるアシュケナージの美点とは異なる、非常に激しい気合の乗った演奏である。荒々しいほどの覇気があり、アシュケナージの評価自体を覆すような迫力が感じ取れる。

 

■ さいごに

 

 アシュケナージは、この後リストを弾くことを止めてしまっている。しかし、私はこの録音を以下のように捉えたい。アシュケナージの手は非常に小さい。そのためにリスト演奏には確かに不向きである。しかし、アシュケナージはリストの音楽自体は好きであると過去に公言している事実もあって、このディスクはアシュケナージとしては一期一会の機会と捉え、懸命に準備を重ねた録音であったように思われてならないのである。アシュケナージが自らの記念に録音を承諾したように思えるし、一方で曲目の選定には慎重を期したのもやむを得ないように思うのである。

 蛇足ではあるが、手や指の形と楽曲の演奏のしやすさには、手の大きさと同様に深い関連がある。上手いか下手かは別として、弾きやすいか弾きにくいかは、実は手の大きさ以上に手や指の形に左右されるのは事実であると思う。比較するのはあまりにも不遜ではあるが、アシュケナージの手は確かに小さいが、彼の薬指は中指とほとんど同じ長さであるように見受ける。実は偶々私の右手も中指と薬指はほぼ同じ長さなのである。そうしたとき、アシュケナージの選曲が、理由を超えて私には理解できるときが偶にあるのである。また、手や指の広がり方も同様に楽曲演奏に大きな影響があると思われるのだ。不遜ではあるが、ここで言いたいことは、手が小さいことはピアニストにとって不利ではあるが致命傷ではない。しかし指の長さの特徴が、楽曲演奏の向き不向きに大きな影響があることを理解して欲しいために、あえてお話しした次第である。蛇足部分は単に経験則に基づく記述であるので反論は何卒ご容赦願いたい。

 

(2018年12月2日記す)

 

2018年12月2日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記