シノーポリ&カペレで「リストのダンテ交響曲」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット
リスト
ダンテの『神曲』による交響曲
ブゾーニ
「ファウスト博士」のためのサラバンドとコルテージュ
ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
ドレスデン国立歌劇場女声合唱団
録音:1998年
DG(国内盤 UCCG-3240)
  ■ たとえカペレのページを持っていても・・・
 

  このAn die Musikというサイトは、シュターツカペレ・ドレスデンの応援がホームページ運営目的の一つである、そんなサイトである。しかし、それでも当該カペレのディスクを取り上げようとする者は、少ないであろう。一方で、そもそも主宰者の伊東さんをして、シノーポリの指揮者としての能力は認めつつも、カペレとの相性に疑義を呈していらっしゃるのである。とすれば、このディスク、どう考えても私が取り上げるしかない、そんな殉教精神で取り上げることとしたい。(実は伊東さんは、当該ディスクを取り上げて試聴記を書いておられます。それも1998年、録音年に即刻!)

 

■ そもそもこんな曲知らないよ・・・

 

 これがほとんどの方の大方の意見であろう。多少リストについて興味のある方なら、ファウスト交響曲や、ピアノ曲の巡礼の年第2年に含まれた「ダンテを読んで」なら知ってるよ、と仰るであろう。私も、実のところ、決してこの曲のファンではないし、残されたディスクも多くない。そんな中で、ダニエル・バレンボイムが、指揮者としてダンテ交響曲を録音したディスクの余白に、ピアニストとして「ダンテを読んで」を弾いているディスクがある。

CDジャケット

 これは、まるでプロ野球日本ハム大谷投手の先駆けみたいな二刀流ディスクで、指揮者としてベルリンフィルを振り、余白に自身がピアノを弾いているのである。名盤の誉れ高いとは言い難いが、少なくともレアなディスクであることは間違いない。1992年の録音である。
さらに、旧東側の権化マズアがゲヴァントハウスを振った70年代後半のディスクもある。が、、、これ以上はさしたる録音が存在していないのだ。(近年出たノセダ盤は不勉強により未聴。)

 

■ ダンテ交響曲とは

 

 誰もが名前は知っているダンテの神曲を元にした音楽である。で、ここでまたもや大きな問題が生じてくる。確かにダンテは有名だが、実際に神曲を読んだ人はどのくらいいらっしゃるのか・・・非常に少ないのではないだろうか?しかし、世界史的知識から、14世紀ころのイタリアの名作で、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部構成であること、ここら辺りまではかなり知られているのではなかろうか?この程度の知識でも、音楽は音の世界に置き換えた形で芸術を提示してくれるので、聴き手はそれなりに耳を傾けることが出来るのである。ただし、当曲の場合、これ以上深入りしてもあまり得ることは多くないかも知れない。他への転用の機会もほとんどなく、また敬虔な信者でもない限り、この曲を何度も繰り返して聴かないであろうし・・・

 

■ リストとダンテとドレスデン

 

 リストは後年修道院に入るほど敬虔なカトリック信者であった。そして彼は幼年からダンテに親しんでいたようだ。つまり、リストにしてみれば、当該交響曲を作曲するだけの理由はあったのである。つぎに、この曲にはワーグナーが間に介在しているのだ。作曲を始めてしばらくしたころに、リストはワーグナーに当該楽曲を作曲中であることを明かしたところ、地獄、煉獄はともかく、「天国は音楽で表現できない」なる突き放した返事が返ってきたため、リストは第3部を天国篇ではなく、女声合唱による「マニフィカト」を置いたのである。リストがそんなにも弱腰だったのは、意外な気もするが、史実である。完成した交響曲は1857年ドレスデン王立歌劇場で、リスト自身の指揮で初演された。

 

■ シノーポリのディスクについて

 

 シノーポリは、ファウスト交響曲も録音しており、リストの作品に一定のシンパシーを感じていたようである。しかし、マズアの無慈悲でそっけなく粗っぽい演奏、バレンボイムの凝りに凝った山っ気たっぷりの演奏と比べると、どのように表現すべきか少々迷うが、とりあえず以下のように思うのである。シノーポリは、聴き手の精神状態によって違った側面が聴こえてくるような、そんな音楽作りをしているように思う。これは、例えば地獄篇の冒頭にしても、まさに地獄に突き落とされるような恐怖心を煽っているようにも聴こえるが、聴きようによってはむしろパロディ風に、ほとんど『ゴジラ登場の音楽』みたいな娯楽的な聴き方も可能であろう。そして、聖歌の部分もまさに天国に上るような、フォーレのレクイエムと比肩すべきピュアな音楽とも受け取れるが、一方で冗長な疑似宗教音楽とも受け取れるのである。
 つまるところ、良く言えば聴き手に委ねた幅を持たせた音楽作りで、かつ優れた録音でもあり、音の迫力も満点の完成度の高いディスクである。しかし一方では、そもそもこれって、シノーポリはこの録音で一体何を言いたかったの?とか、この演奏の背後から感じ取れるだけでも良いのだが、シュターツカペレ・ドレスデンの伝統的な音は、一体どこに行ってしまったの?とも言えるのである。そうは言っても、旧東側のオーケストラの大半は、民主化以後各々のオーケストラの特長を確実に失いつつあるのが現状だろう。そのように考えると、シノーポリは多くの録音をこのオーケストラと残し、間違いなく一定の貢献をしたと思えるのである。それは、その後定期的に録音を継続するレコード会社すら失ってしまった、そんな現状のシュターツカペレ・ドレスデンを想うとき、シノーポリの時代はまだまだ良き時代であったのである。

 

■ 余白のブゾーニについて

 

 ブゾーニの未完のオペラからの2曲である。ブゾーニ死後の1925年に、このオペラの全曲はヤルナッハ補筆版により、ドレスデンで初演された。つまり、こちらもドレスデン所縁の楽曲なのである。なお、来春(2017年3月)、ドレスデン・ゼンパーオパーにて、新演出による再演が行われることが、ゼンパーオパーのサイトに予告されている。指揮はチェコの俊英、トマシュ・ネトピルである。ネトピルはすでに2008年頃に、バイエルン国立歌劇場で当該オペラを振っているので、ドレスデンでの新演出も楽しみである。

 

(2016年10月25日記す)

 

2016年10月25日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記