シフラとボレットでリスト「半音階的大ギャロップ」を聴き比べる

文:松本武巳さん

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  リスト
半音階的大ギャロップ
CDジャケット ジョルジュ・シフラ(ピアノ)
1.1957年EMI録音(実測3分17秒)
CDジャケット 2.1964年東京公演ライヴ(実測2分58秒)
CDジャケット ホルヘ・ボレット(ピアノ)
1.1972年RCA録音(実測4分16秒)
CDジャケット 2.1980年代前半DECCA録音(実測4分29秒)
 

■ これぞ超絶技巧の極み

 

 一般に、ピアノによる技巧的難曲の代名詞として、リストの作品であれば、「ラ・カンパネラ(パガニーニ練習曲)」とか「鬼火(超絶技巧練習曲集)」などが、その他の作曲家であればゴドフスキーによる編曲ものや、プロコフィエフの「トッカータ」や「ピアノソナタ第7番終楽章《戦争ソナタ》」等々が挙げられるであろう。
 しかし、マニアの間では、俗に『半ギャロ』と言う渾名で良く知られている、このリストの半音階的大ギャロップは、ピアノ愛好家やピアニストの間では実はかなり有名な楽曲なのである。そこでこの曲について、あまりにも対照的な演奏を、しかも複数の録音を残している、ジョルジュ・シフラとホルヘ・ボレットの録音で聴き比べてみたいと思う。

 

■ スピード競争

   この曲は、曲の内容自体が、ギャロップと言う軽めの内容の楽曲でもあり、きわめて率直に技巧面を競うオリンピックとして、どれだけ速くかつ正確に弾いたかと言う、競争の原理あるいはスポーツ的興味が当然のように話題になる。その意味で、冒頭の曲目のところに記した演奏時間をぜひご覧いただきたい。シフラの東京ライヴは2分58秒(拍手除く)、ボレットの有名なDECCAへのリスト録音集成に含まれる録音では4分29秒であるのだ。何と、ボレットはシフラよりも51%も多くの時間をかけて演奏しているのだ。
 これは、例えばベートーヴェンの第5(俗に運命)を例に比較すると、カラヤンの録音はほぼ30分前後であるが、一方で実は先日亡くなったブーレーズによる珍盤が残されており、こちらは何と39分近い演奏時間となっているのだ。このことは、ブーレーズ盤の発売当初は、ずいぶんと話題に上がったので、年配の方ならご記憶のある方も結構いらっしゃると思う。しかし、こちらは演奏時間を比率で表すと、ブーレーズはカラヤンより約30%増しの演奏時間をかけているに過ぎないのである。
 

■ ピアノ演奏に潜む二面性

 

 ピアノ演奏は、たった一人で、時と場合によるとオーケストラの代用としての演奏ですら可能であるため、その演奏にはどうしても技巧的側面と芸術的側面と言う、本来相反すると思われる二つの側面が同居していると言えるだろう。
 そして、技巧面の比較の方が誰にも分かりやすく、かつ判断もしやすい側面があるため、多くの若いピアニストのキャッチコピーに「超絶技巧の持ち主」であるとの宣伝文句が付きまとってくるのである。また、多くの聴き手が、どうしてもミスタッチや演奏時間に耳を傾けがちでもあるため、ピアノ演奏の芸術性に関する比較以上に、その技巧面が表に出て来やすい楽器の代表格であると言えるだろう。
 しかし、現実には、技巧だけを売り物にしたピアニストは、活躍できる期間はさして長くないのが現実である。たとえ技巧を長期間維持できたとしても、技巧の維持だけでは聴衆に飽きられてしまうのである。もちろん、往年のバックハウスのように、若いころはリストやショパンをバリバリ弾きまくり、晩年に至るといつもいつもベートーヴェンを弾いていたように、年とともに演奏スタイルが変化していくのは、程度の差こそあれ、一線のピアニストとして生き残るために、あらゆるピアニストが必ずいつかは辿る道でもあるのだ。

 

■ 超絶技巧を売り物にする場合の宿命

 

 この点は、オリンピック競技と同様に、演奏時間の短さやミスタッチの少なさといった、いずれも客観的な計測が可能であるため、順位を付けられやすい宿命を背負っており、だとすると歴史上の金メダリストであるとか、現役の金メダリストが、ピアニストに於いてもある程度特定できてしまうのである。そのため、この世界に身を置く場合は、若い間の期間限定とするか、あくまでもここに全てをかけて超絶技巧に挑み続けるか、どちらかの道しか残されていない。
 こんなとき、人生を賭けて超絶技巧と演奏時間の短さに取り組んだと言っても過言でないのが、ジョルジュ・シフラであると思うのである。少なくとも彼は残されたインタビュー等で、自らこの事実を認めているのである。それにしても、シフラを聴く場合には、聴き手もこの点だけに集中して臨む必要があると言えるだろう。まさにシフラにとって、ピアノ演奏はオリンピックの競技種目なのである。
 ちなみに、シフラの半音階的大ギャロップは映像でも残されている。以下のURLに映像の記録が残されている。こちらは3分04秒で駆け抜けているので、ピアノ演奏部門の金メダリストの演奏をぜひ堪能して欲しい。映像は若干古く、感動はしないかも知れないが、誰もが唖然とするのは間違いないと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tmq5JBpFf9w

 

■ ボレットの特殊性

 

 いくら、芸術性が大事だとは言っても、遅すぎると間延びして演奏がダレてしまうことは、誰もが知っていることだと思う。しかし、この半音階的大ギャロップの演奏においても、実にゆったりと演奏しており、録音を残した大半のピアニストが、3分20秒から3分50秒程度で弾いていると思われる点から比較しても、ボレットの演奏は異様に遅いのである。
 しかし、ボレットの場合、他のリスト弾きや技巧派ピアニストとは根本的に異なる要素があるように思えてならない。それは彼の経歴を見ると、若いころはそもそも超絶技巧のゴドフスキーの弟子でもあったため、当人も技巧を前面に押し出した、そんな演奏をしていたと思われるのだが、はっきり言って当時はまるで売れなかったのである。
 その後、日本の戦争処理で占領軍の一員として来日し、その際にギルバート&サリヴァンの喜歌劇「ミカド」の日本初演を行うなど、幅広い音楽活動を行ったようだ。そして、晩年に差し掛かるころになって、突如人気が沸騰し、一躍時の人となったのである。
 彼のピアニズムは、非常に軽めのタッチで、本来は超絶技巧の楽曲を、つまり一般のピアニストが顔を真っ赤にして格闘するように弾くような楽曲を、さり気なく飄々と演奏することに尽きるだろう。そして、ヴィルトゥオーゾが取り上げそうな楽曲を好んで多く取り上げておきながら、そのほとんどの演奏について、極めて余力を残しながら、意図的にテンポそのものよりも、リストに潜む楽曲本来のロマン性を前面に押し出した演奏をしているのである。ほとんどのピアニストが、懸命に速くかつ正確に弾くことばかりに意識が集中しているのを、ボレットは横目でさり気なく流しつつ、余力を保ったままで、グランドマナー的なやや古い演奏スタイルを意図的に標榜し、そして貴族的とすら言えるような紳士的で高貴な演奏を行うのである。
 彼が若いころに無視されてきた時期が長かったことや、占領軍の一人として来日し、あらゆる音楽活動を任せられたことなどが、後年に至って、彼以外にはなし得ない独自のワールドを形成することに成功したため、最晩年の人気を勝ち取ったと思われるのである。その味わい深さが、本来は技巧派であった過去と、晩年の十分に余力を残したテンポが相俟って、引きだされているのである。

 

■ リストのピアノ音楽

 

 リストのピアノ曲は、とかく批判の対象になりがちであるが、高度な技巧も伴うために、ピアニストを目指した人以外には、弾くチャンスがほとんど得られない側面もあるため、リストのピアノ曲に対する正しい理解は今なお進んでいるとは思えない。
 しかし、ジョルジュ・シフラとホルヘ・ボレットが、まさに対極の二巨頭として多くの録音を残してくれた上に、リストの音楽の表現の幅を広げてくれたことは、普通のピアニストに取って、リストのピアノ作品に取り組みやすい素地を作ってくれたことにつながっていると思う。そのためもあってか、近年の若いピアニストは、以前より多くのリスト作品を手掛けているように思えるのである。リストのピアノ作品復権の礎を作った二人の名ピアニストに、心からの拍手を贈りたいと思う。

 

(2016年11月17日記す)

 

2016年11月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記