メシアンの大作「アッシジの聖フランチェスコ」全曲を聴く

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

 

メシアン
歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」全曲

CDジャケット

小澤征爾指揮
パリ・オペラ座管弦楽団、合唱団
録音:1983年11‐12月、初演ライヴ
NEC Avenue(輸入盤CDCY833-836,A30C3002〜5)※ジャケット写真は再発時のもの


CDジャケット

ケント・ナガノ指揮
ハレ管弦楽団
アルノルト・シェーンベルク合唱団
録音:1998年8月、ザルツブルク音楽祭ライヴ
ドイツグラモフォン(国内盤 POCG 10219)


CDジャケット

インゴ・メッツマッハー指揮
ハーグ・フィルハーモニック
ネーデルランド・オペラ合唱団
録音2008年5‐6月、アムステルダム音楽劇場ライヴ
Opus Arte(輸入盤 OA1007D)(DVD)

 

■ 日本での全曲初演を目前に

 

 作品自体の存在はかなり著名ではあるが、実際に聴く機会を得ることが非常に困難な、オリヴィエ・メシアンの大作オペラを、日本でも2017年11月に読売日本交響楽団と指揮者カンブルランによって、ついに全曲演奏初演が行われる(2か所で計3公演)ことが予告されている。抜粋による日本初演は、パリ初演からわずか2年数か月後の1986年3月に、初演者小澤征爾により、作曲者メシアン立ち会いの下で、日本でも早々に行われたものの、それから実に30年以上が経過してようやく全曲演奏が行われるわけである。まずは公演の成功を心より祈念したいと思う。

 

■ 2011年ミュンヘンでの新演出

 全曲盤をすでに録音しているケント・ナガノの指揮で、ドイツ・バイエルン州のミュンヘンにおいて、2011年に新演出による上演が行われたのだが、近年特にヨーロッパに於いて往々にして起こっている、いわゆるスキャンダラスな演出であったのだ。You Tubeでは堂々と世界中に現在でも公開されているものの、当該演出での上演は少なくとも日本ではとうてい実現不可能であろう。彼の地ではともかく、日本では確実に公然猥褻または猥褻物陳列罪に問われてしまうような、きわめて過激かつ卑猥な演出であると言わざるを得ないのである。初演から30年を経ずして早くも過激な新演出まで登場しているほど、実は話題性にこと欠かないオペラなのである。

 

■ パリでの初演

 

 作曲者の指名により、小澤征爾がケント・ナガノを助手として用い、初演を執り行った。その意味でも日本に所縁のあるオペラとなっているが、そもそも休憩時間を含めると上演に6時間近くを要するとてつもない大作である上に、キリスト教(カトリック)に関する深い知識や、メシアンお得意の鳥に対する深い知識まで必要とされるために、当オペラを理解するのはおよそ容易ではないのである。また、メシアン特有の音構造を持った音楽自体にも、たぶんかなり苦しめられるであろう。そんな壁を乗り越えて、少なくともこの作品のタイトルは非常に著名であり、現代音楽としてはとても珍しい一般的な広がりを見せた楽曲でもあるといえるだろう。まさにメシアン畢生の大作であるのだ。

 

■ アッシジの聖フランチェスコ

 

 ピアノ音楽に多少詳しい方ならば、フランツ・リストに「二つの伝説曲」という曲集があって、その第1曲が「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス」というタイトルであることを、きっとご存じであろう。ここでの聖フランチェスコと聖フランシスは、単に言語の問題であって、同一人物を指している。

 アッシジの聖フランチェスコ(1182−1226)は、イタリアに実在した修道士でありフランシスコ会の創立者でもある。裕福な織物屋に生まれ、かなり享楽的な青春時代を過ごしたものの、イタリアの内戦と病気により改心するに至る。聖ダミアノ教会の聖堂で、キリストの生の声を聞き、過去を捨て去り修道士生活を始めた。イタリアのアッシジの守護聖人に列せられた。一般的には、クリスマスにキリスト誕生の馬小屋を飾って祝福する習慣を広めたことで有名である。

 なお、聖人について付言すると、聖人とはキリスト教(カトリック)において、立派な行いをした人物として崇めるための存在では決してない。あくまで、聖人とは有り難い存在ではなく倣う存在であり、宗教に限らず物ごとが腑に落ちるための助言をする存在である。決して偉人伝的な存在ではないことを理解していただきたい。また、信者が洗礼名(俗にミドルネーム)に聖人の名をつけることが多いが、これも偉人にあやかるといった意味以上に、洗礼を受けた人を保護するという意味合いが強いことも付け加えておきたい。

 

■ オペラの全体像

 

 全3幕、8つの場面で構成されている。第1幕第1場面が十字架、第2場面が賛歌、第3場面がハンセン病患者への接吻で、奇蹟が起きる場面であり聖フランチェスコ登場の場面でもある。第2幕第4場面が旅する天使、第5場面が音楽を奏でる天使、第6場面が小鳥への説教で、小鳥たちの言葉が理解できる聖フランチェスコと小鳥たちとの会話がなされ、小鳥たちが一斉に歌を歌う場面である。第3幕第7場面が聖痕、最後の第8場面が死と新生である。最後は聖フランチェスコの死と、合唱による復活の賛美の中で幕を閉じる。

第1幕に80分弱、第2幕に約2時間、第3幕に70分弱の演奏時間を要する大作である。休憩時間を含めると、5時間半から6時間程度かかる極めて大規模な作品であるといえるだろう。楽器編成もとても大掛かりで、管弦楽だけで約110名強、合唱団に約120名が必要とされている。さらに独唱者が7名必要であるので、総勢だと実に240名前後のまさに大編成のオペラなのである。

 

■ 登場人物やテーマについて

 

 各々の登場人物には、一つ以上のテーマ並びに鳥の歌が用意されている。たとえばエンジェル(天使)にはいくつかのテーマがあり、その中には日本の能を表すものも含まれているし、レプラというハンセン病患者も登場する。そして、アッシジの聖フランチェスコの精神的な旅の例として、例えばハンセン病患者への愛のテストであるとか、エンジェルの外見や鳥に対する説教であるとか、汚名と死などが描かれているのだ。また、キリスト教の崇高な詩や登場人物と管弦楽との頻繁な対話、加えてライトモティーフを用いて登場人物を丁寧に紹介するなど、聴き手になんとか関心を惹き付けようとする作曲家の苦心の跡が垣間見えてくるのだ。さらには、打楽器の連打により宇宙的な広がりを創出したり、あちこちで鳥のさえずりを表す音を織り交ぜたり、キリストの祝福に相当するような歓喜を表す大合唱なども含まれているのだ。

 単に20世紀後半の現代音楽の作品にとどまらない、きわめて豊富かつ色彩的な音楽であり、一方ではいかにも現代音楽らしい無調かつ非旋律のリズムを鋭く刻んでみたり、ありとあらゆる手法を駆使した、まさに作曲家メシアンの集大成ともいえる汗と涙と努力の結晶のような濃密な音楽となっているのだが、あまりの長大さゆえに、それでもなお聴き手が全曲を集中して聴きとおすことには、かなりの困難を伴うことも確かに否定しえないであろう。

■ 小澤征爾盤

 

 初演者ならではの気迫と入れ込みが、若干貧しい録音からはっきり聴き取ることが出来る。しかし、1980年代という比較的最近の録音でありながら、音質はお世辞にも良好とは言い難いうえに、録音のより良好な全曲盤が他に二種類存在する現状では、初演者としての記録的価値は今もって非常に高いものの、小澤盤が一般的な意味合いでの代表的録音であるとは、残念ながら言えなくなってきたように思う。

 なお、同様に初演時の非常に貧しい画質のビデオもあちこちに流出しているが、こちらは放送局にマスターテープがたぶん残っていると思われるので、近い将来きれいな画質で出現することを心から期待したいと思う。その場合は、初演時の貴重な記録であることが重なって、小澤盤が代表盤として再び陽の目をみることもあり得るように思うのだ。つまり、他の盤より劣る主因が貧しい音質と画質であるため、その面での解決をみる可能性が残されている時期の初演でもあるので、首を長くして期待し、待ち続けたいと思っている。

 

■ ケント・ナガノ盤

 

 初演時の助手も務めたケント・ナガノが、1998年のザルツブルク音楽祭で残したライヴ録音である。ザルツブルク音楽祭では、これ以前に抜粋での上演や、演奏会形式での全曲演奏を行っており、現地である程度定着した演目になりつつあったことも相まって、小澤盤を大体の部分で上回っていると言って差支えないと思われる。また、短期間ではあったものの、国内盤としても一度発売されており、録音状態も小澤盤と異なって、かなり高レベルのライヴ収録となっているのだ。この盤をもって、現時点での代表盤であるとみなして、特に差し障りがないように思える。

 なお、ケント・ナガノには80年代後半の上演時の、海賊盤の全曲ディスクが実は存在する上に、2011年の騒動を引き起こしたミュンヘンでの新演出による上演でも、彼がタクトを握っていることから判断しても、現在の現役指揮者の中では最もこのオペラに精通した指揮者であると評価しても、ほぼ間違いないと思われる。ただし、過去の経緯から判断しても十分に予想できることではあるが、小澤盤と演奏の基本的志向は、もとよりかなり似ていることに関しては、さすがにやむを得ないものと思われる。

 

■ メッツマッハー盤

 

 DVDによる正規盤である。映像で見ることが出来る利点が、このディスクの最大の武器であろう。映像のカメラワークも優秀で、筋書きが分かりやすく工夫されているが、なぜか映像の鮮明さに比べて音質がやや劣ることと、何よりもこのDVDには日本語訳が存在しないことが最大の難関かつ欠点となっているように思える。キリスト教(カトリック)の正式な信者は、日本国内にはわずか40万人余りしか存在していないので、このDVDに日本語訳の選択肢がないことは、非常に不利な商品であると言わざるを得ないのである。その意味でとても残念なディスクである。

 

■ メシアンについて

 

 メシアン(1908−1992)は、本来は終生オペラを作曲しない方針であった。しかし、時のフランス大統領ポンピドゥーから晩餐会の場で直接依頼されるにおよんで、自身の考えを改め、オペラの作曲に取り掛かったのである。しかし、メシアンをしても、オペラの創作は難航を極め、オペラ座に納期の延長を申し入れ、精神的にも相当苦しみながら、8年もの歳月を経てなんとか完成にこぎつけたのである。

 真に敬虔なカトリック信者であったメシアンの、作曲家人生におけるまさに集大成として、この大作オペラが残されたことは、結果としてメシアン本人にとってもまさに本懐であったと思われる。また、アッシジの聖フランチェスコを最終的に題材として選んだ背景としては、間違いなくメシアンの鳥に対する特別な思いの部分が、アッシジの聖フランチェスコと共通した特色であったことに由来するものと思われる。

 

■ 伊東さんとの約束

 

 私は約9年前に、メシアンの「トゥーランガリーラ交響曲」についての試聴記を書いたことがある。その際に伊東さんから、急がないので、「幼な児イエスに注ぐ20の眼差し」と「アッシジの聖フランチェスコ」の試聴記を書いてほしいと頼まれた経緯があるのだ。実に9年も経ってようやく片方だけ約束を果たせたのである。もう一方も、今度はもう少し短い期間をおいてなんとか書きたいと念願している。私にとってメシアンの壁は今もって巨大かつ高い壁である。なんとかこれからもよじ登る努力を続けたいと考えている。


 

※参考文献(主な参照物)

  • 新旧約聖書(日本語新共同訳、日本語文語訳、フランス語版)
  • アシジの聖フランチェスコの小さき花(石井健吾訳、聖母文庫)
  • カトリック教会のカテキズム(日本カトリック司教協議会)
  • 教会暦と聖書朗読(年度版)(日本カトリック典礼委員会編、カトリック中央協議会出版部)
  • なんでもわかるキリスト教大事典(八木谷涼子著、朝日新聞出版)
 

(2017年11月8日記す)

 

2017年11月8日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記