ラヴェル「子どもと魔法」聴き比べ

文:松本武巳さん

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  ラヴェル
歌劇「子どもと魔法」(全1幕)
台本:シドニー=ガブリエル・コレット
CDジャケット (1)エルネスト・アンセルメ盤(英DECCA-LP)
スイス・ロマンド管弦楽団
録音:1954年
CDジャケット (2-1)ロリン・マゼール盤(仏DG初出-CD)
CDジャケット (2-2)ロリン・マゼール盤(欧DGオリジナルス-CD)
LPジャケット (2-3)ロリン・マゼール盤(西独DG-赤STチューリップ初出-LP)
LPジャケット (2-4)ロリン・マゼール盤(西独DG-チューリップLP)
LPジャケット (2-5)ロリン・マゼール盤(仏DG-LP)
フランス国立放送局管弦楽団
録音:1960年
CDジャケット (3)ヘルベルト・ケーゲル盤(旧東独BERLIN Classics-CD)
ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1970年
CDジャケット (4)アンドレ・プレヴィン盤(欧EMI初出-LP)
ロンドン交響楽団
録音:1981年
CDジャケット (5)シャルル・デュトワ盤(欧DECCA再発-CD)
モントリオール交響楽団
録音:1992年
CDジャケット (6)サイモン・ラトル盤(欧EMI初出-CD)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2008年
CDジャケット (7)小澤征爾盤(DECCA初出-CD)
サイトウ・キネン・オーケストラ
録音:2013年
 

■ 執筆の動機

 

 もともと興味のあったオペラだが、直接の動機は、青木さんのラヴェル「子供と魔法」(マゼール)を聴くを拝読したのがきっかけである。私のジャケット写真の並べ方を見て頂くだけでも、青木さんと同じディスクを推しているのは明らかだと理解していただけるのではないだろうか。
 マゼールの若い時代の録音は、かなり過激なものが多く、長く聴かれ継がれるような、いわゆる名盤はあまり残していない。そんなマゼールが30歳の時の、まさに会心の演奏である。ネコの鳴き声の描写など、ネコブームの現在こそ、これを聴かせるべきではないかと思うくらいの、痛快な演奏である。とにかく、面白く笑わせてくれるが、一方でこのオペラの本質とも言える、フランスのセンス満載の色彩溢れた音楽を見事に描写し、表出することに成功している。また、ラヴェル特有の裏に皮肉を込めたような痛烈な部分も、マゼールはしっかりと抉り出し、かつ嫌味を感じさせずにしっかりと表現し得ている。これぞ知る人ぞ知る歴史的名盤の一つだと思う。もっとも、マゼールは生粋のアメリカ人だと思われてはいるが、そもそもフランスはパリ近郊の生まれであり、生後両親がアメリカに移住したのである。

 

■ オペラのあらすじ

 

 台本作者は、フランスの女性作家シドニー=ガブリエル・コレット。コレットはこのオペラでは、母親の視点から子供の世界を描いている。子供が愛しい気持ちが作品の根底にあるが、愛は憎しみにも通ずる。

《フランスのノルマンディ地方、田舎の家の一室と庭》
 いたずら好きの坊やが主役。この坊やとお母さん以外に人間は登場しない。登場するのは、ソファー、安楽椅子、大時計、ネコ、カップ、ティーポット、木など。母親に叱られた坊やは、腹いせに家具やペットに当り散らすが、魔法が働き、家具が歌いはじめて、ペットも話しはじめ、口々に坊やを非難する。大時計は「振り子を外しやがって」、ティーポットは「パンチを食らわしてやるぞ」、暖炉は「悪い子にはやけどをさせてやろう」。皆で仕返しをしようとしているのだ。言うことをきかないワルがきが、家具やペットに散々いじめられ、たじろいだ坊やは孤独を感じ、ママ以外に守られているわけでも愛されているわけでもないことを知り、反省して動物の手当てをする。最後は、坊やの「ママ」という、弱々しい呼びかけで幕を閉じる。

 

■ マゼール以外のディスクの寸評

 

 アンセルメ盤は、まさにこの曲を世に知らしめた功績者であろう。素敵なLPのジャケットが、今も忘れがたい名盤である。演奏は確実で堅めな指揮ではあるが、歌手陣も揃っており、今なお現役として十分通用すると思われる。
 プレヴィン盤とデュトワ盤は、各々のファンの期待を裏切ることは決してないのだが、反面、新たなファンを形成したり、新機軸を打ち出したりはしておらず、良い意味でも予想通りの出来となっている。なお、プレヴィンはドイツグラモフォンに再録音しており、当オペラを複数回録音した珍しい指揮者となっている。出来は、好悪の問題だが、私には旧盤の取り組みの方が好ましいと思われるが、歌手陣の出来を重視する場合は、旧盤には疑問を持つ方がいてもおかしくないと思われる。実は、デュトワ盤も歌手陣の出来が今一歩であることでも、両者は共通している。
 ラトル盤と小澤盤は、各々の立場から、子どもへの愛情を十分感じ取れる好演であるが、いずれも若干ではあるが、音楽が期待値よりも重く、そのために心弾む感覚にまで至らないのが惜しい。決して期待外れではないのだが、期待値には達していないと言わざるを得ないのが、非常に残念である。

 

■ 旧東独のケーゲル盤

 

 大穴のディスクと言えるだろう。東側が崩壊した直後に、ピストル自殺を遂げた悲劇の指揮者、ヘルベルト・ヘーゲルが、1970年にエテルナに残した録音であり、CD化もドイツでなされたが、ほとんど存在すら知られていないだけでなく、現実に入手するのもかなり困難で、レア盤の代表格であると言えるだろう。
 そもそも、ケーゲル盤はフランス語ではなくドイツ語での歌唱である。ところが、ケーゲルは旧東独の子どもの数少ない楽しみとして、子どものためのオペラを一つ増やすことに成功していると言えるだろう。全く原作とは異なった、ドイツ風メルヘンチックな、子どものためのオペラとして、想像以上に違和感なくオペラに没入できるのである。ただし、ラヴェルの本来描こうとした世界とは大きく異なるかもしれないし、フランス語特有の微妙な繊細さは全くない。そこには、極めて明確なドイツ語による物語として置き換えられているのだ。
 しかし、それにもかかわらず、このオペラの幻想性はほぼ完全に維持されているし、それどころかラヴェル作曲の作品としての違和感も感じないのである。ケーゲルにしかなし得ない珍盤と言えるだろう。しかし、この盤が存在していることで、我々は初めて、このオペラの汎用性に気付かされるのである。このオペラは決してフランスに閉じ込めておくような、度量の狭い作品ではないのである。この事実を知らしめてくれるディスクとして、ケーゲル盤の価値は永遠であると言えるだろう。

 

■ 最後に

 

 この曲に関しては、大昔のマゼール盤と、大穴のケーゲル盤があれば、現在でもほとんど満足できるのであるが、考えてみると意外にもフランス人指揮者が、あまりこのオペラを取り上げていないのである。これは一体どうしたことなのであろうか?とても不思議なことである。

 

(2016年11月13日記す)

 

2016年11月14日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記