『ウィーンのリヒテル』−最晩年のライヴ録音を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

《ウィーンのリヒテル》

  • プロコフィエフ:ピアノソナタ第2番作品14
  • ストラヴィンスキー:ピアノ・ラグ・ミュージック
  • ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ作品87より、第19番、第20番
  • ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲作品27
  • バルトーク:3つのブルレスカ作品8c
  • シマノフスキ:メトープ作品29より、第1曲シレーヌの島、第2曲カリプソ
  • ヒンデミット:ピアノのための組曲『1922』 op.26

スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
録音:1989年2月20日、ウィーン、YAMAHAセンター(ライヴ録音)
DECCA(国内盤 UCCD9945-46),2CD

 

■ まずジャケット写真に注目すると…

 

  今回紹介するのは、1990年代初頭に出たシリーズ物のライヴ録音集の中から、生誕100周年を記念した2015年の国内再発売ディスクである。1989年2月、オーストリア・ウィーンのヤマハセンターにて開かれた演奏会をそのまま収録したライヴ録音であり、2枚組CDである。

 まず驚かされるのは、ジャケット写真におけるリヒテルの風体である。ほとんどマフィアか、それともKGBか、その類の近づくのも可能ならば一般に避けたいと思うような、強面などというレベルを遥かに超越した、猛烈にインパクトのある写真が採用されているのだ。もしかして、これが演奏会当日の実際の風体であったのだろうか?

 

■ 取り上げた作品に注目すると…

 たぶんこの録音は正規の録音でなく、会場内での膝上録音であると思われる。かつやや遠めの座席からの録音と思われ、リヒテルの左手の動きを捉え切れていない欠点が明白である。実は最も鮮明に捉えられている音は、会場内の拍手と聴衆の咳や雑音なのである。通常なら典型的な海賊盤であると言って差し支えないであろう。こんなものは、とうていライセンスを与えて発売されるような類ではないだろうと、一般的には言わざるを得ない。

 しかしながら、プロコフィエフと、ショスタコーヴィチ以外は、生涯に膨大な録音を残したリヒテルにとって、なんとこれが唯一の録音であるようなのだ。そんなリヒテルにとってたいへん珍しい曲ばかり取り上げた演奏を、まとめて聴ける貴重なディスクなのである。しかも、20世紀の音楽を鳥瞰できるような選曲でもある。さらに演奏内容に関しては、良い意味でも悪い意味でも、まさに歴史に残る強烈な演奏となっているのだ。

 一般的な名演奏からは確かに程遠いものの、その一方で20世紀ゲンダイオンガクを忌み嫌う人にこそ、積極的に聴いてほしい演奏であるとも言えるのである。つまり、確かにこれらの楽曲上かなりかなり稀有な解釈を前提とした演奏を行ってはいるが、聴き手にとっては極めて面白いインパクトのある演奏であるため、聴衆はゲンダイオンガクを聴かされているという苦痛から解放され、むしろ演奏を十二分に楽しめる、そんな稀有な演奏となっているのだ。以下に、特にインパクトの強かった数曲を取り上げて、各々簡単に寸評したいと思う。

 

■ ストラヴィンスキーのピアノ・ラグ・ミュージック

 

 初めて聴いたときに直感したのは《大惨事》という単語であった。強烈なダイナミクスを用いて強引に進行するさまに対し、実は最初は拒否感を抱き、続いて爆笑したのであった。ところが何度か聴いているとなぜか妙に惹き付けられてくる、きわめて摩訶不思議な演奏となっているように思われるのだ。非常に短い曲であるので、ぜひ一聴してほしいと思う。

 

■ ウェーベルンのピアノのための変奏曲作品27

 

 きわめて強烈でアグレッシヴな演奏であり、どこまでも冷静で冷めた透徹した演奏に徹しているポリーニの歴史的な名録音と、ぜひ聴き比べてみてほしいと願う。どちらが良いかではなく、現代音楽においてもこれだけ大きな解釈の幅があり、余地があることを間違いなく実感できると思うからである。

 

■ バルトークの3つのブルレスカ

 

 聴いているうちにだんだん勇気と元気が出てくる、そんなバルトークの演奏である。もちろん、そもそも子どもの喧嘩や、酔っ払いを表現する音楽などで作られている小品集なので、こんな風に全体を盛り上げて演奏してくれると、バルトークの作品に対して親しみをもてることを、聴き手も実感できると思う。

 

■ シマノフスキのメトープからの2曲

 

 一転してこの2曲の演奏は官能性の極みであると言えるだろう。ギリシャ悲劇を素材とした第一次大戦中に作曲された作品であるが、まるで地中海の島々を思わせるような大胆な解放感とともに、一方では神秘な女性像も同時に感じさせる、非常に官能性に富んだ演奏となっており、普段のリヒテルからは滅多に味わえない感覚が齎される、非常に印象的な演奏である。

 

■ ヒンデミットの組曲1922年

 

 ほとんど暴力的な演奏であり、まさにジャケット写真の風体を思わせるような強烈な印象を与えられる。本来は、ナチによって退廃音楽に指定される以前の、第一次大戦後のドイツで流行していたダンス音楽が素材として使われているのだが、リヒテルは当時の世界や世相感を、恐怖に凍りつく時代の前兆・予兆として捉え、不協和音をまさにギロチンで処刑するかのように、冷徹に振り下ろすかのごとく、猛烈に激しく打鍵しているように思われてならない。

 

■ かけがえのないリヒテルの隠れた側面

 

 このような試聴記を書くことの目的は、一般に読み手にぜひ注目をしてほしいと考える音源を紹介することなのだろうと思う。その場合に、演奏内容に際立ったパフォーマンスがあるにも関わらず、たとえば音質が非常に悪いとか、限定盤でしか出たことがないとか、そういった何らかのマイナス要因があるために、残念ながら知られざるディスクとなってしまっている録音の紹介が、どうしても中心となるであろう。そして、今回はそんな典型例でもあると思う。

 このリヒテル晩年のライヴ録音もまさにその範疇に属すると思われる。しかし、これに加えて《ゲンダイオンガク》を嫌っている人にこそ積極的に聴いてほしいと強く念願するような、とても稀有な録音でもあるのだ。逆に《現代音楽》がもとより大好きな方は、あまり手を伸ばさない方が良いかも知れない。20世紀《現代音楽》を《ゲンダイオンガク》と揶揄するような人や、普段はリヒテルがあまり好きではない方にこそぜひ聴いてほしいと念願する、非常に珍しい音源なのである。

 

(2018年12月7日記す)

 

2018年12月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記