バーバラ・ボニーの「ローベルト&クララ・シューマン歌曲集」を聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ローベルト&クララ・シューマン
「ミルテの花」作品25より、献呈、くるみの木、はすの花、ズライカの歌(ローベルト)
歌曲集作品12より、あの方は来ました、わたしが美しいために愛してくださるなら(クララ)
すみれ、ローレライ、わたしの星(クララ)
「女の愛と生涯」作品42(ローベルト)
6つの歌曲作品13(クララ)
森の語らい、月夜、もう春だ、あこがれ、ぼくの美しい星、ミニヨン(ローベルト)
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
録音:1996年2月、ロンドン
DECCA (輸入盤 483 2224)

 

■ クララ・シューマンとローベルト・シューマン

 

 クララは名ピアノ教師フリードリヒ・ヴィークを父として、1819年9月13日にザクセン王国ライプツィヒで生まれた。一方のローベルトは、1810年6月8日書籍販売・出版業アウグスト・シューマンを父として、ザクセン王国ツヴィッカウで生まれた。1828年秋以後、ローベルトはフリードリヒ・ヴィーク家に住み込みでピアノを習い始めた。ローベルトはすでに18歳の青年であったが、出会ったクララはわずか9歳の少女であり、当初から恋愛感情を抱いていたとはやや考えにくい。両者が恋愛感情を抱き始めたのは、残された作品等から1833年ころだと考えられているが、実はその時点でもクララはまだ13,4歳であったため、後にクララが18歳になった誕生日の時点で、ローベルトは意を決しクララの父でありローベルトのピアノの師匠でもあるフリードリヒに、ふたりの結婚の許可を求めるのだが、激怒の上拒否されてしまい、最終的にはなんと法廷闘争の上、1840年9月12日にようやく結婚した。ローベルト30歳、クララ20歳の時であった。

 これを日本流に言いかえれば、小学校3〜4年生の少女と出会った青年が、少女が中学生になったころにはすでに確かな恋心を抱き、女性の高校卒業を待ってすぐに結婚を申し出たものの女性の父から拒絶され、女性が成人になってようやく目的を達したわけである。世の中に「いい夫婦」という言葉があるが、まさにその典型としてシューマン夫妻が取り上げられることが多いのは、後にシューマンが非業の死を遂げたにもかかわらず、ふたりの年齢と人生を重ねて考えてみると、両者の愛情の確かな深さと人生の状況が見えてくるであろう。実際にはクララは、36歳の若さで未亡人となってしまうにもかかわらず、理想的カップル・夫婦の典型例の一つとして、今なお取り上げられ話題に上り続けているのである。

 

■ クララの歌曲

 

 ボーっと聴いたとすると、ローベルトの歌曲とほとんど区別のつかない、すぐれた歌曲ばかりである。確かに、クララの音楽家としての才能は、ピアニストとしてだけでなく作曲家としても傑出しており、その意味では手塩にかけて愛娘を育て上げた父親のフリードリヒが、ローベルトの行為に対して激怒したのも分からなくはない。ここで取り上げられている11曲の歌曲も、押しなべてレベルの高い曲ばかりであり、もう少しクララの残した作品が取り上げられる機会が多くても良いように思われてならない。

 

■ ローベルトの歌曲

 

 ディスクの冒頭が、ミルテの花から「献呈」であるのは、たとえだれがこんな企画を計画したとしても、結論は必ず一致するであろう。そのくらい、ローベルトのクララへの愛情を語るうえで決して外すことのできない小品であるうえに、後日この私的な愛らしいラヴレターともいえるような作品を、フランツ・リストはよりによって絢爛豪華なピアノ曲に編曲してしまったのである。しかし、リストの編曲も、シューマン夫妻の思いとは裏腹に、ピアニストの愛すべき小品として、しっかりと現代に生き延びている。私にとってもどちらの小品も好きな楽曲ではあるが、作曲の経緯を合わせると、多少は複雑な思いにも駆られてくることが偶にある。

 

■ バーバラ・ボニー

 

 いつも通りのすばらしい澄み切った美声で聴かせてくれる。ただ、彼女がこの録音企画に乗った主因は、クララの歌曲を歌いたかった気持ちの方が強かったように思うのである。彼女は、クララの歌曲について、当該ディスクのライナーノーツをわざわざ自身で執筆している。ローベルトの歌曲には競合盤が非常に多いことも確かにあるだろうが、クララの作品の方によりこのディスクの価値が高いのは間違いないと思う。ちなみに、このディスクはボニーのDECCA移籍第1弾として発売された。

 

■ アシュケナージ

 

 伴奏者として、理想的なスタンスを貫いていると思われる。もともとアシュケナージも美音タイプのピアニストではあるが、ときおりかなり無理な打鍵も目立つソロ作品演奏時とは異なり、終始控えめに最良の意味での伴奏者に徹しており、かつ非常にやわらかく愛情を込めたタッチで全体を演奏しているために、アシュケナージのシューマン夫妻の作品への愛情も痛いほど感じ取れ、またDECCAへの移籍直後で不慣れな点もあったであろうバーバラ・ボニーをうまくリードして、ボニーの本質である美音を一切阻害することなくしっかりと引き出しており、90年代後半の彼の残したピアノ作品としてとらえた場合、きわめて秀逸な出来となっている。

 

■ リートを聴く楽しみ

 

 最近、ドイツリートの世界は、明らかに不人気である。過去の傑出した録音はともかくとして、現代のコンサートでリートを歌う場合、同じ歌手がオペラで出演する場合に比べると、チケットの売れ行きが芳しくなかったり、新録音をなかなか残すことができなかったり、もはや室内楽の分野全体が衰退期なのかもしれないと不安になってくる。売れなくなってくると、レコード制作会社も焦るのか、よりいっそう有名な歌曲集に集中依存する傾向が強まり、結果的にさらに売れなくなってくる。こんな悪循環が生じているように思われるのだ。一つの例をあげるならば、シューベルトの三大歌曲集の録音は依然として数多いのだが、シューベルトの愛らしいリートばかりを集めて1枚のディスクを制作するような機会が激減しているのである。「冬の旅」全曲盤が新譜で出る数よりも、たとえば「An die Musik」や「魔王」が新譜で出る数の方が少ないのは、明らかに行き過ぎた有名曲依存の一つで、ドイツリート全体のパイが縮小している末期症状の一つだと思うしかないであろう。

 そんなとき、このディスクは将来に対する明るい福音となるかもしれない。それは、存在する言葉の壁を乗り越えて、最良の意味で聴き手が望んでいるような良い企画を示せば、まだまだドイツリートの優れた演奏を聴くことは可能だと思えるような、将来性を切り拓く道の一例を提示したディスクとなっているからである。このように、新しい道を拓く意味でも、演奏自体が優れた良質な企画盤は、そのジャンル全体の帰趨を左右するようなこともあるように思える。それほどまでに、演奏自体も企画自体も優れたディスクであると、私には思われるのだ。少なくともこのディスクを聴いた直後に、不機嫌になる人は一人もいないと断言できる。聴き手に幸せな時間を確かに与えてくれる、実に優れたディスクなのである。

 

(2017年10月1日記す)

 

2017年10月1日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記