名指揮者ターリヒの残した4種類の「わが祖国」全曲盤を聴く

文:松本武巳さん

ホームページ What's New? 旧What's New?
「音を学び楽しむ、わが生涯より」インデックスページ


 

 

スメタナ
連作交響詩「わが祖国」(全曲)

CDジャケット

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1929年9月3-6日、チェコ・プラハ
Opus蔵(国内盤 OPK2075)、※原盤:英HMV


CDジャケット

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1939年6月5日、チェコ・プラハ『国民劇場』(ライヴ)
Supraphon(輸入盤 SU4065)


CDジャケット

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1941年7月、チェコ・プラハ『国民劇場』
Biddulph(輸入盤 WHL049)、※原盤:独エレクトローラ


CDジャケット
LPレーベル面

ヴァーツラフ・ターリヒ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年6-7月、チェコ・プラハ『ルドルフィヌム』
Supraphon(輸入盤CD(上)、初出LP(下))

 

■ 1939年の壮絶ライヴの出現

 

 チェコの生んだ名指揮者ターリヒには、もともと3種類の「わが祖国」全曲盤が存在している。1929年、1941年、1954年のスタジオ録音であり、残された3種類の演奏は、いずれも名演の範疇に入る優れた全曲盤であると言えるだろう。ところが、2009年に至って、突然1939年6月のライヴ録音が発売された。まさに、チェコがナチス・ドイツに併合された直後(形式上は保護領)の録音である。異様な緊張感の漂う、レジスタンス運動の一環であるとしか言いようのない、猛烈なテンションのもとに残された歴史的遺産であると言えるだろう。

 そこで、この壮絶なライヴ録音と、もともと残されていた3種類のスタジオ録音による全曲盤について、少し落ち着いた立場で、なるべく冷静に聴き比べてみたいと思う。特殊な世界史の状況下における録音であるだけに、まずはターリヒの若干詳細な年譜を紹介したいと思う。特に「わが祖国」演奏に関連する事項は、太字にて表記した。

 

■ ヴァーツラフ・ターリヒ(1883〜1961)年譜

 父ヤン(1851〜1915)は、東南ボヘミアのフヴォイノフに生まれた。プラハ・オルガン学校卒。クラトヴィで私立音楽学校を経営していたが、1902年クロアチアに移住した。ヴァーツラフの姉はピアニスト、兄もチェリストの音楽一家であった。

1883: モラヴィア地方のクロムニェジーシュに生まれる。
1892: 4月当地を訪れたドヴォルザークの弾く、ピアノ三重奏曲「ドゥムキ」を聴いて大いに感銘。
1897〜1903: ドヴォルザークの支援を得て、プラハ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。ベルリン・フィルに入団しコンサートマスターとなり、ニキシュの影響で指揮者を志すが、肺結核を患い帰国。
1904: オデッサ市立オーケストラの、コンサートマスター就任。
1905: 革命でトビリシへ移る。
1906: 帰国。
1907〜08: プラハ・オーケストラ協会指揮者。チェコ・フィル野外コンサートに初登場。
1908〜12: スークの勧めでスロヴェニア・フィルを指揮、ライプツィヒでレーガーに作曲、ハンス・シットに指揮を学び、ニキシュの助手を務めた。ミラノでもヴィニャに指揮を学んだ。
1912〜15: スークの勧めでピルゼン・オペラの指揮者となったが、第一次世界大戦で劇場が閉鎖。
1917: 12月12日、はじめてチェコ・フィルを指揮。
1919: チェコ・フィル指揮者となり、10月27日「わが祖国」をはじめて指揮。
1921: チェコ・フィルの首席指揮者。
1922: チェコ・フィルを率い、ウィーンでの「わが祖国」演奏を皮切りに、トリノ、リュブリャナ、ウィーン、パリ、ブリュッセル、イギリス、スコットランド、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ポーランド、ルーマニア、ソ連にて国外公演を行う。
1923: プラハで、ベートーヴェン・チクルス及びマーラーの1〜5&9番を指揮。
1923〜24: スメタナ生誕100周年で、「わが祖国」をチェコ全土で30回演奏する。
1925: 5月11日、スメタナ・ホールから「わが祖国」を含む初放送を行う。
1926: ベートーヴェン・チクルス及び8番以外のマーラーの交響曲を指揮。
1929: 9月3〜6日、「わが祖国」をイギリスHMVで録音。
1932: レニングラードで指揮し、ムラヴィンスキーに感銘を与える。
1935: スークが急死し、カルロヴィ・ヴァリで療養中のターリヒは、急遽プラハ国民劇場音楽監督に就く。11月チェコ・フィルを率い、ロンドン、ブリュッセル、パリで公演し、HMVに録音。
1937: 初代大統領マサリクの死を悼み、「わが祖国」を演奏。
1938: 第10回「ソコル体育祭」、祖国独立20周年を記念し、「わが祖国」を演奏。
1939: 3月15日ナチス・ドイツのボヘミア・モラヴィア保護領となる。5月2〜25日の間「わが祖国」に始まり「第9」で終る「プラハ5月音楽祭」を実現させ、いくつかは6月にもくり返され、うち2回はノルウェー・ラジオで録音された。
1940: 5月には検閲の結果、「わが祖国」の第5、6曲「ターボル」、「ブラニーク」は、チェコ人の愛国心を煽るとして、スメタナの「チェコの歌」に差し替えさせられた。
1941: ナチス宣伝相ゲッベルスの命で、1941年2月11〜12日、ドレスデンでチェコ・フィルを率い、「わが祖国」全曲を指揮。
1945: 第二次世界大戦終結直後の1945年5月9日、国民劇場で上演すべき祝典オペラ「リブシェ」のスコアを抱えプラハへ向かったが、国民劇場で門前払いを食らい、さらに12日ヴィシェフラト国民墓地に墓参したターリヒは、モスクワ帰りで権勢を誇っていたネイェドリィー文化大臣と偶然出会い、大戦中ナチスに協力したと難癖をつけられた。9日後の5月21日ターリヒは、悪名高いパンクラーツ刑務所に投獄されたが、37日後ベネシュ大統領の介入で釈放。
1946: 指揮活動をほとんど禁じられ、学生中心のチェコ室内管弦楽団を創設。
1947: 国民劇場総裁に復帰。
1948: チェコ・フィル指揮者に復帰したが、2月末の共産主義政権樹立で、1953年2月25日まで独裁者ネイェドリィーが楽界を支配。
1951〜52: スロヴァキア・フィルの首席指揮者を務め、高等音楽院で教えた。
1954: 1月14日チェコ・フィルの首席指揮者・音楽監督に返り咲き、「プラハの春音楽祭」で「わが祖国」を指揮。その後1955年まで録音に従事。
1956: 引退。
1961: 没。

(この年譜は、故関根日出男先生の著作から、筆者が取り纏めて作成したに過ぎない)

 

■ 1929年録音盤(英HMV)

   ターリヒ最初の「我が祖国」全曲録音盤である。チェコ・フィルのアンサンブルの精度は極めて高く、非常に格調高い音楽に仕上がっていると言えるだろう。録音は、さすがに1929年録音であるために多くは望めないものの、SPからの復刻であることを前提に聴くと、十分現代でも鑑賞に堪えうるレベルに到達していると言えるだろう。

 ただし、ターリヒに留まらず、たぶん「わが祖国」全曲録音としては史上初の録音でもあるためか、若干意識的な抑揚が付けられている箇所や、表現や身振りが少々大げさな部分も感じ取れ、良い意味でも悪い意味でも、指揮者の若さを含めたある種の録音に向かう気負いを感じ取ることも、この録音から可能であろうと思われる。確かに貴重な録音ではあるのだが、ファースト・チョイスとしてはさすがに不向きであろう。
 

■ 1939年ライヴ録音盤(スプラフォン)

 

 このコンサートが開催された1939年6月は、前年のナチス・ドイツによるズデーテン地方割譲に引き続き、建国からわずか20余年でのチェコ・スロヴァキアの崩壊、ナチス・ドイツによるチェコ・スロヴァキア保護領化という、極めて緊迫した政治情勢下における第二次大戦前の不穏かつ不安定な時期に当たる。ここでのターリヒとチェコ・フィルによる1939年ドイツ占領下のプラハにおけるコンサートは、一度聴いたら二度と忘れることのできない真に衝撃的なものである。このコンサートが開催されたのは、「プラハの春音楽祭」の源流となった同年の「プラハ音楽の5月」での好評を受けて、プラハ国民劇場においてもう一度同じコンサートが開かれた。そのコンサートの模様がほぼそのまま収録されている。

 おそらくこのディスクを聴いた人は誰もが聴いた瞬間、とんでもない猛烈な衝撃に襲われることだろう。この録音でまず繰り広げられるのは、指揮者ターリヒとチェコ・フィルによる、とてもホットな「わが祖国」全曲演奏である。ところが、1曲が終わるごとに盛大かつ長大な拍手が延々と続くことにまずは間違いなく驚かされるだろう。しかし最大の衝撃的な瞬間は第6曲ブラニークの演奏が終わった直後に訪れる。演奏終了と同時に巻き起こった雄叫びのような嵐の大歓声が、辛うじて静かになりはじめたころに、会場内のあちこちからほぼ同時に自然発生的に、無伴奏で聴衆がチェコ国歌を歌い始め、気づいたら会場全体を覆う大合唱になっているのだ。

 これでは凡そコンサートではないと言う人もいるかもしれないし、もしかしたら明らかにフツーじゃない、と叫ぶ人だっているだろう。しかし、緊張下の世界史の一コマが残した壮絶な真のドキュメントであることは、間違いないだろう。ただ、スメタナの「わが祖国」とは、そもそもそんな楽曲なのである。軽々に扱っては決してならないのである。

 

■ 1941年録音盤(独エレクトローラ)

 

 全体がとても大人しくまとめられた録音である。そんな中で、ターボルとブラニークはたいへん密度の濃い優れた演奏であり、両曲共に後半に向かうにつれて徐々にテンションが上がっていく優れた演奏であると言えるだろう。しかし、その一方で、第1曲ヴィシェフラードと第2曲ヴルタヴァは、さすがに大人しいという段階を超えて本当にあっさりし過ぎており、全曲を通して判断しても、他のターリヒの残した録音と比べたときに、やや平凡な演奏に留まっていると言わざるを得ないのかも知れない。なお、1941年録音盤については、ターリヒの年譜の1940年と1941年の項をぜひ同時に参照してほしいと思う。

■ 1954年録音盤(スプラフォン)

 

 ターリッヒ最後の同曲録音である。モノラル録音だが、優れたバランスで録音されておりとても聴きやすい。テンポを意図的に揺らすことを可能な限り控えて、とても端正に演奏しているが、長年取り組んできた作品への、指揮者の慈しみと楽曲への深い共感を基礎とした控えめな表情付けは、かえって聴き手を強く惹き付けるところがある。オーケストラの基礎的な技術力は、たぶん当時がチェコ・フィルの全盛期であると思われる。どの角度から捉えても全く批判の余地など存在しない、まるで隙のない非常にどっしりと安定した恰幅の良い演奏である。安定度の点から判断した場合、後のアンチェル、ノイマン、さらにはクーベリックをも凌駕していると言っても過言ではないだろう。ただし、切迫した緊張感をこの曲に求める方には、やや物足りない演奏と感じるかも知れないだろう。

 

■ さいごに

 

 「わが祖国」がどのような曲か、また愛国心とは如何なるものか、ふだんそのようなことに無関心無頓着な人間でも、真剣に考え込まざるを得ない歴史的事件を刻んだ録音が、1939年のライヴ録音であると言えるだろう。この録音を前にして、それでもきれいごとを言うだけの勇気を持てるかどうか、それを自問自答するための貴重な生きた教材だと言えるのかも知れない。われわれは本当に平和な時代に生きているのだなと痛感する。この1939年ライヴ録音を聴く価値は、まさにここにあると言えるだろう。

 

(2018年6月18日記す)

 

2018年6月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記