ティーレマンの驚くほどチャーミングなデビューCDを聴く

文:松本武巳さん

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CDジャケット

ハンス・プフィッツナ−

歌劇《パレストリ−ナ》より

  • 第1幕への前奏曲
  • 第2幕への前奏曲
  • 第3幕への前奏曲

歌劇《心》作品39より

  • 愛のメロディ

付随音楽《ハイルブロンのケートヘン》作品17より

  • 序曲

リヒャルト・シュトラウス

歌劇《グントラム》作品25より

  • 第1幕への前奏曲

歌劇《カプリッチョ》作品85より

  • 前奏曲(弦楽六重奏曲)

歌劇《火の危機》作品50より

  • 愛の場面

クリスティアン・ティーレマン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
録音:1995年10月、ベルリン、イエス・キリスト教会
DG(ドイツ盤 449 571-2)

 

■ クリスティアン・ティーレマン

 

 ティーレマンについてどう思われているだろうか。どちらかというと、やや否定的な見方をされる方が多いように見受ける。その一方で、何らかの確かな実力がなければ、あそこまでの地位や権力を手に入れることもできないだろう。ベルリンやミュンヘンでの運営側とのゴタゴタなどから、ティーレマンの人格を含む能力全般に対し、否定的な見解も確かに多く見られる。そんなティーレマンの、私がとても大切にしているディスクを紹介したいと思う。なお、このディスクはティーレマンのドイツ・グラモフォンへのデビューディスクでもある。

 以下に、ティーレマンの経歴のうち、私がこだわる部分について、紹介したい。

 ベルリン・ドイツ・オペラの練習指揮者であったヒルスドルフからピアノスコアの弾き方を学んだ後、当時、同歌劇場の事実上の常任指揮者であったホルライザーに認められ、1978年、19歳でベルリン・ドイツ・オペラのコレペティートアに採用された。ホルライザーのアシスタントとなり、本格的に指揮者としての道を歩み始めたティーレマンであったが、そもそもティーレマンが指揮者となることを決意したのは、前述のような音楽学生時代を過ごす中で、ベルリン・ドイツ・オペラにて上演されたホルライザー指揮、ヴィーラント・ワーグナー演出による、リヒャルト・ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》を見たことであったという。
 コレペティートアとして働くようになってからは、カラヤンとの交流も深まり、ベルリン・フィルの本拠地であるベルリン・フィルハーモニーとベルリン・ドイツ・オペラを行き来したり、ザルツブルク復活祭音楽祭への参加をはじめとして、彼らの演奏旅行に同行したりしながら、オペラとオーケストラ両面の研鑽を積むこととなる。1980年には、カラヤンが弾き振りするブランデンブルク協奏曲のチェンバリストとしてベルリン・フィルデビューも飾っている。
 また、当時ベルリン・ドイツ・オペラに客演していたバレンボイムのアシスタントも務め、その縁でパリをはじめとする各地での演奏会やバイロイト音楽祭においても筆頭助手として活躍した。バイロイト音楽祭への参加をきっかけとして、シュタインからアドバイスを受ける機会も得ているが、後にティーレマンは、ホルライザーとともに自分を一番可愛がってくれたのはシュタインであると語り、シュタインをカラヤンと同列の指揮者として挙げている。
 その後、1982年よりゲルゼンキルヒェン音楽歌劇場の指揮者兼コレペティートア、カールスルーエ・バーデン州立劇場、ハノーファーのニーダーザクセン州立劇場にて経験を積んだ。そして、1985年にデュッセルドルフのデュッセルドルフ・ライン歌劇場の首席指揮者としてキャリアをスタート、1988年にはニュルンベルク州立劇場の音楽総監督に就任した。これは当時ドイツ国内では最年少の音楽総監督であった。
 この間、1983年にはイタリアの名門フェニーチェ劇場において、ワーグナー没後100年を記念した《パルジファル》を指揮し、好評を得た。1987年には、ウィーン国立歌劇場へモーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》を指揮してデビューし、続けてモーツァルトの《フィガロの結婚》やヴェルディの《椿姫》などを10回指揮したものの、この時は人気を得るには至らず、以降しばらく遠ざかることになるという苦い経験も有している。
(以上、ウィキペディア日本語版より抜粋引用)

 私がティーレマンの活動に注目する理由は、オペラの舞台の下積みの一員から徐々に経験を増やしていき、小都市のオペラハウスでの指揮経験を経て、さらに大きなオペラハウスに招かれ、そこでの活動が広く認められ、最終的にコンサート指揮者としても著名になるという、欧州での伝統的な経歴を有している最後の世代であることである。オペラハウスの経験を全く持たない著名コンクール上がりの指揮者が、多くを占める近年の指揮者界隈において、このような昔ながらの経歴を有している指揮者は、すでにとても少数派となってしまったと思うのである。

 

■ 実にチャーミングなティーレマンのデビュー録音

 

 全体にものすごくゆったりとしたテンポ設定で、かつとても美しく優しく楽曲が鳴り響くことにまずは驚かされるだろう。また当ディスクで焦点を当てているのは、明らかにプフィッツナーの楽曲であり、同時期に活躍したリヒャルト・シュトラウスの楽曲は、あくまでも比較対象として数曲入れているようにすら思えるのである。

 プフィッツナーの音楽は、リヒャルト・シュトラウスと異なり、どう考えても華美さに於いて劣っていると思われる(代表作《パレストリーナ》の配役の男女比を見ただけでも、私の言いたいことは分かっていただけると思う)のだが、ティーレマンはプフィッツナーにありとあらゆる愛情を注ぎこんでおり、実際には著名な指揮者が意外なほど多く残しているその他のプフィッツナー録音とは、明確に一線を引いている録音なのである。

 これほどまで、プフィッツナーを愛おしくチャーミングに聴かせた指揮者はティーレマンのみであり、歌劇《パレストリーナ》全曲を優れたスタジオ録音で残したクーベリックでさえ、その他大勢の録音側に入れざるを得ないのである。もしもこの演奏を戦後の聴衆の多くが最初に聴いていたら、プフィッツナーの音楽が忘れ去られようとしている現状自体を変えることが出来たのではないかと、本気で思うくらいである。

 

■ 作曲家プフィッツナーについて

 

 1869年5月に生まれ、1949年5月に没したドイツの作曲家である。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)とほぼ同時期に人生を過ごしたことになる。生前の華々しい活躍とは裏腹に、没後は作品ごと忘れ去られようとしているが、政治的発言が多く誤解を受けやすい性格であり、愛国主義者であることを自ら表明しつつ、一方で具体的な行動を何ら起こしたわけではないなど、戦後は一級戦犯として起訴され無罪になったものの、晩年はまさに貧困に喘いだ。結果として、作曲家としての評価が未だに定まっていないのが現状であるが、クレンペラーやカール・オルフなど、多くの著名な門弟をもつ指導者でもあったのは確かである。

 

■ 日本でのデビュー盤はフィルハーモニア管とのベートーヴェン

 

 このディスクより後の1996年7月に録音された、フィルハーモニア管弦楽団を指揮したベートーヴェンの交響曲第5番と第7番の録音が、日本では先に発売され、こちらがデビュー盤となっている。ドイツ・グラモフォンの販売戦略に過ぎないとは思うのだが、直後に発売されたとはいえ、このディスクはあまり広く知られることなく、当初からひっそり存在したわけである。

 

■ 最近のティーレマンについておもうこと

 

 ドイツやオーストリアで、ティーレマンの生演奏の機会に接した時の、周囲の熱狂ぶりや会場全体を包む熱い雰囲気は、いろいろと政治的言動を含む、ティーレマンについて報道されるゴタゴタぶりとはあまりにも異なることに、正直驚きを感ぜざるを得ないのである。ベルリンやミュンヘンやドレスデン辺りからいろいろな悪評が多々聞こえてくる一方で、ホール内での聴衆の熱さは、悪評とは明らかな別世界を形成していると言えるだろう。

 まるで、強いドイツの再来を彼に託しているような雰囲気すら感じられる。それは、ティーレマンが伝統的な指揮者としての出世コースを歩んだことと関連があるのかもしれない。あるいは、これが(現実には存在しないが)いわゆるドイツ民族特有の資質なのかもしれない。完全に門外漢の私は、ザルツブルクでもミュンヘンでもドレスデンでもウィーンでも、経験するたびにこの光景に「入り込めない自分」を重ねつつ、その一方でこのデビューディスクのチャーミングさをいつも思いだすのである。私と偶々同い年のミステリアスな指揮者ティーレマンと、演奏の好悪は別にして、私は今後も付き合い続けるのだろうと思う。

 

(2019年12月12日記す)

 

2019年12月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記