ワイセンベルクによる「ショパン《ピアノと管弦楽のための作品全集》」を聴く
−名門パリ音楽院管弦楽団最後の録音−

文:松本武巳さん

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CDジャケット

全集CD

ショパン

  • ピアノ協奏曲第1番作品11
  • モーツァルトの《お手をどうぞ》による変奏曲作品2
  • アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
  • ピアノ協奏曲第2番作品21
  • ポーランド民謡による幻想曲作品13
  • クラコーヴィアク作品14

アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮パリ音楽院管弦楽団
録音:1967年9月4‐15日、パリ、サル・ワグラム
EMI Music France(フランス盤 7243 5 733217 2 2)CD

LPジャケット

ピアノと管弦楽のための作品集(LP)

ショパン

  • アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
  • モーツァルトの《お手をどうぞ》による変奏曲作品2
  • ポーランド民謡による幻想曲作品13
  • クラコーヴィアク作品14

アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮パリ音楽院管弦楽団
録音:1967年9月4‐15日、パリ、サル・ワグラム
EMI His Master's Voice(イギリス盤ASD 2371)LP

 

■ 一般的なワイセンベルクの評価についての論争

 

 一般的に、結構コアなピアノ音楽ファンの中に、実はワイセンベルク批判派は多いと思われるのだ。彼らは基本的に『ワイセンベルクは確かに技巧に優れているが、情感に乏しく無機的なピアノに終始している』などと、大要このように評価して、ほぼ全否定するのである。一方、カラヤンとの共演を好まない、またはそもそものアンチカラヤン派は、このようなコアなピアノ音楽ファンの批判に乗っかる形で、カラヤンとワイセンベルクの共演盤をことごとく批判したのである。参考までに、両者の共演は、チャイコフスキーの第1番(パリ管弦楽団)、それにラフマニノフの第2番、フランクの交響的変奏曲、そしてベートーヴェンの協奏曲全集であり、これらの管弦楽はベルリン・フィルである。細かく言えば、ベルリン・フィルとの来日公演での、ベートーヴェンの第3番と第5番の録音も存在する。

 さらに別の角度からの批判派も存在していて、ワイセンベルクが金儲けやブランド物に目がないと噂されていたことや、真偽不明だが日本で黒柳徹子と浮名を流したこと、同じく日本でサントリーのテレビCMに登場したことなどを、芸術家の清廉潔白を固く信じる、いわば教条派ともいうべきクラシック音楽ファンから別次元での批判を浴びたようである。これなどは、一般にカラヤンを批判する際のツールとも非常に似通っていた(特にカラヤンのエリエッテとの年の差再婚などは、カラヤンが没して初めて理解されたようなところがあったように思うが、このカラヤンの再婚と、ワイセンベルクが黒柳徹子と浮名を流したことが、両者重なっていわれなき批判を浴びたのである)ため、セットで攻撃されたようなところもあったように思う。

 その一方で、詳しいピアニストの噂などは知る由もないし、大して興味を抱くこともない、多くのクラシック音楽ファン、特に指揮者や管弦楽曲のファンは、スター指揮者カラヤンとの共演の多さも含めて、ワイセンベルクの演奏の内容自体に対しても絶賛を博したのである。ここでは、An die Musikでの共同執筆者でもある「ゆきのじょう」さんの文章を、以下に少々引用したいと思う。

 LPで発売されたときに、やはり「人工美の極致」「ただ美しいだけで中味がない」「協奏曲は名ばかりのカラヤン中心のレコード」と酷評されたディスクです。確かにワイセンベルクのピアノは研ぎ澄まされて不純物のない音ですし、カラヤンの伴奏も主張が強いのですから、そういう批判も理解できます。
私は、この全集中の第4番をFMのエアチェックで聴いて、虜になってしまいました。それこそ何度聴いたかわかりません。私にとって、このコンビの第4番は冬の澄み切った空気に包まれた、一片の雲もない満月の夜です。ワイセンベルクのピアノは突き刺すような冷気であり、カラヤン/ベルリン・フィルは途方もなく拡がる漆黒の空と輝く月光です。これほどの透明感と深さは、他のどの演奏とも違うと感じています。後年買い求めた第1番から第3番までのディスクも第4番で受けた衝撃と印象そのままの演奏でした。

 

■ 私にとってのワイセンベルク

 

 実は、上記の論争に付き合うことが出来ないわけではないし、自分なりの一定の考えを示すことも出来るようにも思うのだが、私にとって、ワイセンベルクのとっておきの名盤がある以上、正直なところ上記の論争は基本的にどうでも良いのである。

 その名盤とは、パリ音楽院管弦楽団最後の録音となった、「ショパンのピアノと管弦楽のための作品全集」という、LPで3枚、CDでは2枚のセットものである。指揮は、後年日本でもブルックナーの指揮などで、けっこう名が売れたポーランドの指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキであった。パリ音楽院管弦楽団を発展解消してパリ管弦楽団を創設するという、国家プロジェクトに近い英断により誕生したパリ管弦楽団最初の録音である、シャルル・ミュンシュ指揮のベルリオーズの幻想交響曲の伝説的名盤とされるディスクは、1967年10月23‐26日に、同じパリのサル・ワグラムにて、同じレコード会社によって録音収録されているのである。実に両者は1か月強しか録音時期が異ならないのである。

 

■ ピアノと管弦楽のための作品全集

 

 この盤の数年後の1970年から72年にかけて、クラウディオ・アラウのピアノ、エリアフ・インバル指揮ロンドン・フィルで、同じくショパンのピアノと管弦楽のための作品全集を、旧フィリップスレーベルにて完成させている。こちらは、その後も再発売を重ねている上に、アラウの重厚なピアノのもと、有力な全集としての地位を現在もなお守り続けていると言えるだろう。

 しかし、私は、ふだん例えどれだけアラウのピアニズムを好んでいようとも、この作品全集に関しては、ワイセンベルク盤の右に出る者は、未だに現れていないと思うのである。もちろん、2曲の協奏曲に関しては星の数ほどもある録音の中から、このワイセンベルク盤が最右翼だなどと言うつもりはない。しかし、ショパン自身も深い所縁があったパリ音楽院の最後の録音であるばかりでなく、シューマンが「諸君、天才だ。帽子を脱ぎたまえ」と讃えた作品2のドン・ジョヴァンニからの変奏曲や、作品13のポーランド民謡による幻想曲、作品14のクラコーヴィアクなどは、例えば作品13にはルービンシュタインの録音など、個々には優れた異演盤が存在したりするものの、作品22のポロネーズを含めたこれら4曲すべてを、若書きのショパン特有の音楽の瑞々しさと、例えようのないメロディーの美しさを、これほどまで端正に表現しきった録音は、今なお超絶的であると思えるのである。

 そこには、もちろんパリ音楽院管弦楽団の楽団員の最後の録音への特別な入れ込みや、まだ若かったスクロヴァチェフスキの祖国ポーランドへの深い愛情などももちろん相まったとは思うが、それにしても私には各々の協奏曲の第2楽章も含めて、まるでサンソン・フランソワが弾いているかのような錯覚を覚える瞬間すら何度も出てくるのである。ちなみにこの録音当時、フランソワはラヴェルのピアノ作品全集を完成させた直後であり、翌1968年1月からは当地サル・ワグラムにて、未完に終わったドビュッシーのピアノ作品全集の録音を開始しているのである。ピアノの響きが似ているように思える理由の一つに、レコード会社と録音場所が同じで、時期も極めて近接していることが多少は影響しているのかも知れないとは思う。

 

■ 蛇足を2点

 

 ワイセンベルクは、長年パーキンソン病と闘った晩年を過ごしたらしい。すでに病状が進んでいたように今となっては思える最後の来日時に起こった出来ごとは、後年訃報に接した際に闘病による引退の事情が記事に記されていて初めて理解できた。あまりのショックから、私は日時も会場も曲目も失念してしまったのだが、最初に置かれた大規模なソナタ(だったように思う)の第1楽章がほとんどまともに弾けずに、楽章の途中でリサイタルが中止となってしまったのである。

コンサートにはいろいろな事故がもとより起こるものではあるが、これほどまでのショックを受けたことは一度も無かった。そのため、訃報に接するまでの長い間、私は意図的にワイセンベルクの名前を見るのも避けていた。いま思えば、あのとき重病だったことを聞いてホッとしたとしか言いようがないのである。演奏家との別れがあんなにも寂しい辛い出来事となったことは、これ以後幸いに一度も起きていない。

 最後に、私はカラヤンとの共演で著名になったラフマニノフの協奏曲第2番は、実はワイセンベルクにとって、カラヤンのサポートがあったからこそ取り組んだようにすら思えるのである。決して悪い演奏ではないのだが、カラヤンの意図をたぶん超えて、かなり慎重な演奏でもあるように思えてならないのだ。一方で、第3番の協奏曲は、プレートルとのディスク、バーンスタインとのディスク、プレートルとの映像、マルティノンとの映像、どれを見ても単に自信に溢れた演奏に留まらず、豪放磊落な素晴らしい演奏であり、後の晩年のホロヴィッツによるディスクや映像、さらにワイセンベルクと同時期のラザール・ベルマンとアバドの演奏とともに、この時期の3傑であると信じている。当時の私にとって、ラフマニノフの協奏曲第2番は、アシュケナージの3つの録音の方が、どうしても親しみを持てたように思えてくるのである。もっとも、カラヤン自身がラフマニノフをあまり演奏しない一方で、アシュケナージの共演者(特にプレヴィン)は、ラフマニノフを多く演奏し、得意としていたことにも起因するのかも知れない。

 

(2020年6月19日記す)

 

2020年6月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記