車中で聴くグールドのバッハ

文:ENOさん

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CDジャケット

J.S.バッハ
パルティータ
プレリュードとフーガ
ピアノ:グレン・グールド
録音:1959〜1980年 ニューヨーク、トロント
ソニー・クラシカル(輸入盤 SM2K 52597)

 これを「試聴記」にいれていいかどうか迷うのですが、よろしければ「試聴記」として、お読みください。

 私事ですが、三年前に転勤して職場が遠くなり、通勤時間がそれまでの2倍の1時間弱に伸びました。新しい職場は車で行かないと不便な場所にあり、朝はラジオで森本毅朗氏と遠藤泰子サンの愉快なトークを聴きながら退屈せずに行けるのですが、帰りはあまり聴きたい番組もなく、渋滞することも多く、自然にCDを聴きながら帰宅するようになりました。

 たしか伊東さんは、クルマの中では音楽を聴かないことにしているとどこかに書いていらっしゃったと存じます。私も、特にクラシックのCDは、クルマで聴くものではないだろうと何となく思っていたのですが、さすがに退屈なので、いろいろ試してみると、まず、1時間弱というのは、CD1枚を聴くには手頃な時間なのと、その間は、運転していることをのぞけば一切「邪魔」が入らないので、結構好都合だということに気づきました。実は、この4月に職場からすぐの所に、電車の新しい駅が開業して、目出度くクルマ通勤から解放されることになりました。

 さて、この2年間、毎日のようにクルマの中で、とっかえひっかえ色々なクラシックのCDを聴いてきたのですが、クルマの運転をしながらという「環境」に適したCDは何かというと、私の場合、重たい、メリハリの強いもの、例えば重厚なシンフォニーやドラマチックな音楽やオペラはダメなことに、すぐ気づきました。

 また、私はモーツァルト・マニアと称してもおかしくないくらいモーツァルトが好きなのですが、意外や、意外、モーツァルトもダメでした。あの作曲家は、全体はいかにも軽快そうでいて、とんでもない所に、落とし穴のように、深刻な聴かせどころが隠されていて、好きなだけにかえって、運転に神経が回りにくくなってしまいます。

 結局、繰り返し聴くことになったのが、バッハ。特に、グールドの弾くバッハでした。運転の邪魔にならず、それでいて、十分にその音楽の良さも頭に入ってきます。この「頭に」というところが大事で、いつも一定の距離をおいて音楽が展開していて(器楽的と言いかえてもいい)、感情やハートを高ぶらせることが少なく、渋滞のイライラもクールダウンしてくれて、「安全運転」に適した音楽です。帰りは、首都圏の外郭環状線の下の道路をひたすらまっすぐ走らせていくのですが、フーガのテンポ感など、夕方から夜にかけての車窓の無機質な風景の流れに、よく似合います。ソロ・ピアノで、硬質な音色なのも、貧弱な自動車のスピーカーで聴いて、オーケストラの曲のようには違和感がないという意味で、利点です。

 グールドのバッハはもともとも好きほうだったのですが、自宅で聴いていると、短い曲の連続に、大概は途中でダレてしまい、下手をすると眠り込んでしまったりしていたので、初めてといっていいくらい、この2年間、「グールドのバッハ」を聴きこみました。もっとも、運転しながら寝てしまう分けにもいきませんからね(笑)。

 一番よく聴いたのは、表記の、「パルティータ」6曲と「プレリュードとフーガ」がたくさん入った、2枚組のCD。それこそ、繰り返し繰り返し聴いていると、今で知らなかった(眠ってしまって、素通りしていた?)、私にとっては「未知の名曲」が自然に耳に残るようになりました。

 例えば、パルティータ4番の、第1曲「OUVERTURE」の何気ない出だしと自然な盛り上がり、そしてすっと収まる見事さ。第4曲「ARIA」の名旋律による気分の高揚と、その後の第5曲「SARABAND」のもの思いにふけるような静けさの対比。

 パルティータ5番の、第1曲「PRAEAMBULUM」の、音の列が、上から下へ下から上へと、デジタルに移行していく面白さ。

 パルティータ6番の、第1曲「TOCCATA」の、非情といいたいほどの、悲壮感ただよう美しさ。9分53秒の、これだけ独立して聴いたとしても鑑賞に耐える、充実した一曲です。この曲だけは、ついつい聴きこんでしまい、運転が危なくなる恐れがありますが。

 そして、何時の間にやら耳にこびりつくようにして記憶していたのが、ディスク2の13番のトラックに入っている「PLAELUDIUM」。説明しにくいのですが、ギクシャクとした、もどかしい、「愛の告白」を聴くような曲想。

  もう一曲。同じディスク2の、19番のトラックに入っている「PLAEMBULUM」。雨の日の運転に絶妙なマッチングをみせる小品。

 実は、今日は、クルマの中に置きっぱなしだった、このCDを自宅に持ち帰り(2年ぶりに!)、サテ、あの曲は、どのパルティータの何番目の曲だったんだろうと、確認しながら、この原稿を書き終えたところです。改めて、じっくりと聴きなおしながら、つくづく思うのは、どんな小品でも、考えに考え抜いて演奏し、自分にしかなしえない「美」をそれぞれから生み出してみせる、グールドという稀代のアーティストの凄さです。

 ついでに、もう一枚。クルマの中で聴くことで、おやっと思うような「効果」がもたらされたのが、あの有名な「ゴルトベルク変奏曲」(私が好きなのは、最初の録音の方)。すべての変奏が終わると主題にもどる分けですが、クルマのCD演奏は「繰り返し再生」の設定にしてあるため、シュッというCDをもどす小さな音の後、振り出しにもどって、また、あの主題が静かになり始めます。輪を描くように「ゴルトベルク変奏曲」が、また続いていく感覚は、実に不思議。残業を終えた、深夜近くのドライブに、最適です。

 

2008年4月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記