DVDで楽しむ歌劇「後宮からの誘拐」

文:豊田さん

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DVD表紙

モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」(DVD)
1998年シュトゥットガルド歌劇場公演(ライブ・日本語字幕付)
輸入盤(ARTHAUS MUSIC 100179)

「やあワトソン君、よく来てくれたね。まあ座りたまえ」

この普段は気難しい友人が、その夜は珍しく上機嫌だった。

「どうしたんだい、ホームズ。いやに楽しそうじゃないか」

「うむ。ウラーワ駅あたりの音盤屋をうろついていたら、ちょっと良いものを見つけたものでね。知っているだろう、僕がオペラに目が無いことを」

「そりゃ、何度もコヴェント・ガーデンへ付き合わされたからね。それで、何を見つけたんだい?」

「ほら、ちょうどフランス革命の頃、オーストリアにモーツァルトという作曲家がいただろう? 彼の作曲したオペラで『後宮から誘拐』というものがある。これがプロシアのシュトゥットガルトで上演された時の、DVDを手に入れたのさ」

事もなげにホームズは言ったが、見つけ出すまでには、相当に執念深く店の中を捜し回ったに違いない。

「それが、そんなに君を喜ばせているんだね。だけど、『後宮』なら僕も知っているが、それほど目新しいものではないじゃないか」

「ワトソン君、君もいい加減、愚者の仲間から足を洗ってほしいものだね。これはありきたりの演出じゃないのだよ。そんなことは一目見れば明らかじゃないか」

「うーむ。ホームズ、降参だ。僕には解らないよ」

ふん、とホームズは鼻を鳴らした。自分より知能の劣った者を相手にする時の、彼のいつもの癖である。

「見たまえ。彼女“達”がコンスタンツェ役だ。こちらの男“達”はベルモンテ役」

「ホームズ、これは…!」

「やっと解ってくれたかい、ワトソン君。この演出では、太守セリム以外の役は、すべて二人一役なんだ。舞台俳優と歌手とで役割を分担しているが、単純に台詞と歌とを分けている訳じゃない。割り振りが、実に巧妙なんだよ」

「ああ、凄いよ、ホームズ。ほら、この場面。セリムに口説かれて困り果てた女優・コンスタンツェが、とっさに『音楽を! 歌うのよ、コンスタンツェ!』と叫ぶ。すると、歌手・コンスタンツェがアリア“ああ、私には恋人がありました”を歌い出して、動揺しかけた心を叱りつける…」

「ペドリルロ役の二人も傑作だろう? 同一人物同士で掛け合いを始めたりするんだ。観ていると、彼はあの有名な鳥刺しの親類なんじゃないかと思えてくるよ。

 それにごらん、気持ちと行動のギャップが大きいオスミン役の二人は、体型が全然違うじゃないか。他の役には、比較的外見が似通った二人を起用しているのに。そんなところも芸が細かいと言えるね」

それから暫く、私たちは黙ってこのいっぷう変わったオペラに見入っていた。

「終わってしまった…。ホームズ、これはとてもよく出来た舞台だ。初めて観るには向かないかも知れないけれど、少しでも『後宮』を知っていれば楽しめる。二人で演じることで、それぞれの人物の心情の移り変わりが巧みに表現されているから、新しい発見も多いと思うよ」

「その通りだ、ワトソン君。僕もまったく同意見だよ」

そうは言いながら、ホームズの顔には皮肉な笑みが浮いていた。

「だがホームズ、君はまだ何か言いたそうだね」

「ふむ。君には隠し事は出来ないね。このDVDでは、カーテン・コールが省略されている。僕はこれだけは不満なんだ。拍手や歓声も、オペラの一部分なんだからね。

 それに、この公演では、カーテン・コールにもちゃんと意味があったんだ。太守セリムと指揮者ツァクロゼックとが並んで挨拶していたが、二人は同じ燕尾服を着ていた。実は彼らも“二人一役”で、ステージの上下で公演をコントロールしていたのだ、と最後に判るのだよ。そのシーンをカットしてしまうとは!」

「ちょっと待ってくれ、ホームズ。君は何故、そんなDVDに収められていない事柄まで知っているのだ?」

「僕の情報網を甘く見てもらっては困るよ。二年ほど前に、雑誌“Grand Opera”で紹介されていたのを読んでいたのだ。その記事を見て、いちどその舞台を観てみたいと思っていたから、このDVDが発売されたのを知って、喜んで捜し出してきたのさ」

「ホームズ、感服だよ。僕も同じ雑誌を読んでいるのに、全然憶えていなかった。そのくせ、説明されてみると『なあんだ』と思うんだからねぇ…」

「気にするなよ、ワトソン君。僕はこういうことで生活の糧を得ているのだからね。君には君の良さがあるじゃないか」

そう言って立ち上がると、ホームズは棚からもう一枚DVDを取り出してきた。

「ところで、今夜は時間があるのだろう。お茶を一杯飲んでから、このチューリッヒ歌劇場の“コシ・ファン・トゥッテ”も観ていかないか? これは去年、衛星放送を観て感心したものだ。アグネス・バルツァのデスピーナが、実に味わい深いのだよ!」

 

2002年2月19日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記