リンゼイ弦楽四重奏団のベートーヴェンを聴く

文:スシ桃さん

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ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130/大フーガ 作品133
ザ・リンジーズ(リンゼイ弦楽四重奏団)
録音:2000年
ASV(輸入盤 CD DCA1117)

 結成から既に35年を超えるベテランクァルテット、ザ・リンジーズによる2度目のベートーヴェン全集が進行中です。現在までに初期6曲と作品130・133が発売されています。

 最初の全集は84年、大成功をおさめたベートーヴェンフェスティバルと平行してASVレーベルに録音されました。この全集は英国「グラモフォン」誌でも室内楽部門の年間レコード大賞を受賞するなど高い評価を受け、今でも現役盤として流通しております。私もこのベートーヴェン全集により彼らのファンになりました。

 その後、ザ・リンジーズは97・98年と2年にわたり日本でもベートーヴェンツィクルスをひらき、その名を広く印象づけることとなりました。

 前回の全集と今回の録音を、録音済みの作品130と大フーガを例にとり、比較しつつ聴いてみましょう。

 ザ・リンジーズの特徴としては、何よりも彼らの激しい表現意欲が挙げられます。前回の全集でもそれは顕著で、多少音の美感やバランスを犠牲にしても自分たちの表現したい内容を恐れずに音にしていました。4人の平等なバランスを重視する団体が多い昨今、明確にファースト主導型をとる彼らの流儀には強い印象を受けました。

 今回の演奏について書くまえに演奏時間を比較してみましょう。

  旧録音 新録音
第1楽章 14:33 14:15  
第2楽章 2:00 1:54  
第3楽章 6:39 6:15  
第4楽章 3:22 3:07  
第5楽章 8:37 9:18 9:09
大フーガ 16:00 15:09  
第6楽章 9:48 9:25  

 もちろん、演奏時間だけでその演奏のすべてを語ることはできませんが、両演奏の特徴の一端を表していると思い、あえて比較してみました。一見してすぐにわかるのは、新録音のほうが第5楽章をのぞき演奏時間が短くなっている、ということです。その第5楽章は、といえば申すまでもなくベートーヴェンの最高傑作のひとつ、「カヴァティーナ」であります。

 では、演奏の印象に入りましょう。

 今回の演奏を聴いてもっとも驚くことは、ザ・リンジーズの音が洗練されてきていることです。かつてはライブはもとよりスタジオ録音でさえも表現意欲がほとばしるあまり、4人のバランスが乱れ、ファーストとチェロばかりが突出する傾向がみられましたが、今回の演奏ではそれが影をひそめ、クァルテットとしての音楽が聞こえてきます。

 「カヴァティーナ」を例に挙げてみましょう。このわずか66小節の音楽のなかにベートーヴェンは“sotto voce”という指示を3回も書いています。その言葉をザ・リンジーズほど深く受け止めて音楽に表しているクァルテットはないように思います。この指示はいずれもセカンドから始まる旋律に与えられており、各クァルテットのセカンドヴァイオリンの聴かせどころともなっております。ザ・リンジーズのセカンドは一貫してロナルド・バークス。前回の演奏ではファーストのピーター・クロッパーには音色や歌いまわしの点で若干及ばないように聞こえましたが、この演奏では堂々、クロッパーと対等に渡り合っております。また、2人の音色が似てきていることも好ましい点といえるでしょう。

 この楽章だけが旧録音よりも演奏時間が延びています。彼らは現代の団体としては珍しく、旋律を深々とした呼吸で歌い上げることができるのですが、新録音ではその呼吸がますます深くなっているようです。およそ40秒も長くなっているのにも納得させられます。

 では、そのほかの楽章の演奏時間がいずれも短くなったことにはどういった理由が考えられるのでしょう。現在の彼らの音について、4人のバランス感が良くなったこと、に加えてもうひとつ、音が引き締まってきた、ということによるのではないかと私は考えます。深い呼吸はそのままに、ある意味で正反対の「軽やかさ」をも彼らは身につけたのではないかと感じるのです。

 演奏時間表をご覧になられて、なぜ「カヴァティーナ」の演奏時間が2種類書いてあるのか、という疑問を持たれたかたもいらっしゃると思います。今回、彼らは「カヴァティーナ」を2回演奏しているのです。その理由がCDジャケットに記載されています。引用させていただきますと、「ベートーヴェンが大フーガの代わりに書いたフィナーレは、大フーガのあと唐突に聴かれるよりも、カヴァティーナとセットで聴かれるほうが好ましい」という理由からであります。

 その2種類の「カヴァティーナ」の演奏時間が約10秒異なっているのも、いかにも型にはまった表現を嫌う彼ららしいといえるのかもしれません。あとを受ける楽章によって意識的に演奏を変えたのかどうか。これからさらに聴き込む際の楽しみのひとつにとっておきましょう。

 以上の記述から、新録音はあらゆる点で旧録音を超えた、とお感じになられたかたも多いと思います。しかし、ただ一点、「カヴァティーナ」の中間部だけは旧録音の演奏があまりに強烈なため、今回の演奏も充分凄いことは認めつつも旧録音を忘れ去ることはできません。“beklemmt(息苦しく, 重苦しく)”と指示されたわずか8小節を、ファーストのピーター・クロッパーが慟哭するような大きなヴィブラートをかけ、前のめりの歌を聞かせてくれるのです。《泣きながらしゃくりあげている》という印象さえ受けます。新録音ではそこまで強烈な弾きかたはしていません。時期が近いせいか、日本での演奏も今回の録音に近い弾きかたでした。より洗練された今回の演奏で以前のような表現をとると全体のバランスが崩れてしまうと考えたのかもしれません。それでもほかのクァルテットの表現とは天と地ほどの差があるのですが、彼らの円熟を喜びつつ、旧録音に聴かれるこのようなとんがった部分こそザ・リンジーズ若き日の演奏の記録としていつまでも愛聴することになりそうです。

 これからさらに録音は中期、そして作品131、132、135と進んでいくものと思います。彼らの新たな表現を楽しみに、一日も早い新全集の完成を待つばかりです。

 

2002年2月18日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記