「わが生活と音楽より」
バッハのマタイ受難曲を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 バッハの「マタイ受難曲」(以下、マタイ)は、特別な位置にある楽曲と感じてきました。よほど音楽(特に宗教曲)の造詣が深くて、マタイの一つ一つの楽曲の構造やそこで歌われている詩の意味を充分に諳んじて解釈できるような御仁でなければ語る資格がないような曲と感じていました。また様々な解説や評論を読んでも、エヴァンゲリスト(福音史家)などという聴き慣れぬ配役(?)についての蘊蓄が展開されていたりして、私のような素人が気楽に聴ける音楽ではないなと、気後れしておりました。

 さらに私がマタイに近づけないもう一つの原因が、決定盤として常に推挙されるのがリヒターの旧盤です。それが精神的に崇高な音楽である、と書かれてしまうと、それを聴いて感じ入るものがないといけない、自らが試される踏み絵のように感じてしまい、さらに遠ざかっていました。

 さて、そんな私がついにマタイを聴くことになったのは、これも別の意味でマタイを語る上で欠かせない演奏であるメンゲルベルク盤を手に入れたからです。

CDジャケット

ヨハン・セバスチャン・バッハ
マタイ受難曲 BWV244

ソプラノ:ジョー・ヴィンセント
アルト:イローナ・ドゥリゴ
テノール:カルル・エルプ(エヴァンゲリスト)
テノール:ルイ・ファン・トゥルダー
バス:ウィレム・ラヴェッリ(イエス)
バス:ヘルマン・シャイ
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
ザンハルスト少年合唱団(合唱指揮:ウィレム・ヘスペ)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク指揮 

録音:1939年4月2日、アムステルダム ライブ
欧州フィリップス(468 636-2)

 昭和で言えば14年、第二次大戦前夜の緊迫したオランダで行われた演奏で会場からすすり泣きが聞こえる、などと語られる演奏ですが、そういう前知識なしで(「すすり泣き」はSPレコードの雑音という話もありますし)、この演奏を虚心坦懐に聴くと、とてもドラマチックでわかりやすい演奏であると思います。一方で大変流麗とも聴こえ、文字で言えば《草書体》のような趣です。

 これで聴くマタイはまるでオペラのようです。登場人物は喚き怒り嘆く。それをエヴァンゲリストなるナレーターが深く語って行く。そんな作品なのだな、と感じました。

 これに気をよくした私は、次に、かのリヒター旧盤を聴いてみることにしました。

CDジャケット

ヨハン・セバスチャン・バッハ
マタイ受難曲 BWV244

ソプラノ:アントニー・ファーベルク
ソプラノ:イルムガルト・ゼーフリート
アルト:ヘルタ・テッパー
テノール:エルンスト・ヘフリガー(エヴァンゲリスト)
バス:キート・エンゲン(イエス)
バス:マックス・プレープストル
バス:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ミュンヘン・バッハ少年合唱団
ミュンヘン・バッハ合唱団
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
カール・リヒター指揮

録音:1958年6-8月、ミュンヘン
ポリドール(国内盤 POCS-2006/8)

 この演奏は全てをゆるがせにせずに、表現し尽くした演奏でしょう。厳しく音楽を見つめて創り上げており、神々しいばかりです。遊びのないそれは、《明朝体》のような趣です。素晴らしいと思いました。しかし(ファンには大変失礼ながら)何かが欠けているとも感じました。

CDジャケット

ヨハン・セバスチャン・バッハ
マタイ受難曲 BWV244

ソプラノ:アグネス・ギーベル
アルト:レナーテ・ギュンター
テノール:ヘルムート・クレブス(エヴァンゲリスト)
バス:フランツ・ケルヒ(イエス)
ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団
ロベルト・マイヤー学校少年合唱団
プフォルツハイム室内管弦楽団
フリッツ・ヴェルナー指揮

録音:1958年10月、独ヴァインスベルク、プロテスタント教会
欧州Warner Classics(2564614032)

 さて、ヴェルナー盤です。資料によればフリッツ・ヴェルナー (1898-1978)はドイツの合唱指揮者指揮で、作曲家でもありました。戦前はベルリンとポツダムで教会音楽家として活動し、戦後はフランクフルトの南方、ハイルブロンで教会のオルガン奏者を務めた後、1947年にハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団を創設して指導と指揮を行い数々の録音を行った、とあります。 紹介するCDはLP時代にエラートに録音されたバッハの宗教曲録音の第3シリーズで10枚組CDから成ります。

 ヴェルナー盤のマタイは一言で表現すれば「率直」とも言えるものです。これ見よがしな誇張もなく、テンポはしっかりとしています。同じ1958年(昭和33年)の録音でありながら、リヒター盤がひたすら高みに向かって昇り詰めようとするのに対して、ヴェルナー盤は静かに平野の目線で音楽を語ろうとしています。独唱も、合唱もリヒターが揃えた第一級の布陣に比べれば技術的には相当に見劣りしますが、ヴェルナーの指揮の下に同じ音楽を紡ぎ出そうとする真摯さがあります。合唱指揮者であるということもあってか息詰まるようなテンポの設定はなく、かの有名なアルトのアリア「憐れみたまえ,わが神よ」も墨汁をたっぷりつけた筆で太々と描かれた《隷書体》のような、感傷的な哀切だけではない力強さと暖かさを感じます。これはバスのアリアである「われに返せ、わがイエスをば!」ではさらに顕著で、ヴァイオリンのオブリガードはしっかりとした音の強さでバス独唱を支えます。その中からそこはかとない切なさがにじみ出てくる瞬間はぞくぞくします。

 管弦楽も唸るような技術はありませんが、例えば「我が頬の涙甲斐なしとあらば」でのアルト独唱の伴奏での弦楽パートの響きは「調和」という言葉がふさわしい一体感と美しさがあり真のアンサンブルというものを聴かせてくれます。

 リヒター盤の完成度と時代を超える先鋭さから比べれば、ヴェルナー盤は武骨で古風な演奏として片づけられてしまうのは致し方ないことでしょう。しかし、私はこのヴェルナー盤が、一番に心が和んで聴き通すことができます。音楽が「あのね、昔々にね」と親しげに語りかけてくるように感じるからです。これがリヒター盤にはなく、ヴェルナー盤が私にとって魅力となる大事な点のようです。

 

2005年12月12日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記