「わが生活と音楽より」
セーゲルスタムのブラームス交響曲全集を聴く

文:ゆきのじょうさん

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ブラームス
交響曲全集
レイフ・セーゲルスタム指揮ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー
録音:1991年9月、10月、ルートヴッヒスハーフェン

 

 もし音楽に重さを量る事が出来るのだとしたら、ブラームスの交響曲はかなりずっしりと重たい部類に入るだろうと思います。その重たいブラームスの交響曲を思いのままにずっしりと壮大なスケールで演奏するとどうなるのか。それを体現したのが今回紹介するセーゲルスタム盤です。セーゲルスタムはフィンランド生まれの指揮者ですが、その容貌魁偉さは一度見たら忘れることはできません。見たことがない方は試しにグーグルで「leif segerstam」のイメージ検索をしてみたら判ります。巨漢でぼうぼうと伸びきった顎髭・・・そう、風貌はまさに現代のブラームスであります。そのセーゲルスタムが創り出すブラームスは、どのようなものなのか。リファレンスとしてルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルを挙げて、演奏時間の比較をしてみましょう。

   

第1楽章

第2楽章

第3楽章

第4楽章

第1番

13:27

8:47 4:49 16:13
 

(16:37)

10:04 5:38 17:40
第2番

16:00

9:32 5:15 9:01
 

(21:11)

10:42 5:28 10:01
第3番

9:31

8:02 6:01 8:56
 

(14:13)

9:18 6:35 8:58
第4番

12:18

11:03 6:34 9:40
 

13:06

11:57 5:15 9:01

K:ケンペ S:セーゲルスタム ()はSで繰り返しあり。

 第4番を除いて全体的にケンペよりゆったりとしたテンポ設定であり、特に緩徐楽章で顕著なことがわかります。それでは一曲一曲を聴いてみましょう。

 

■ 交響曲第1番

CDジャケット

交響曲第1番ハ短調作品68
ハンガリー舞曲第1番、11番、13番
独BAYER RECORDS(輸入盤 100240)

 セーゲルスタムのブラームスの特徴は、第1番の冒頭を聴けば瞭然です。これでもかと金管が咆吼し、ティンパニは叩きまくり、弦楽がまるで松ヤニを飛び散らして全弓で弾ききっているようです。特に低弦がごうごうと鳴り響きます。誠に大きな音楽で、せかせかしたところなど微塵もありません。適度な残響も手伝ってどこまでも音楽は両手一杯に、立体的に拡がって気持ちよく鳴り響きます。まさに痛快です。テンポも大きく蠢き、どんどん畳みかけていくと思えば、曲想によっては叙情的にゆったりと歌わせたりもします。第2楽章になるとテンポは格段にゆっくりとなり、音楽は心地よい静けさが与えられています。続いての第3楽章は前楽章の雰囲気を残しながら牧歌的な快活さを加え、終楽章は文字通りのスケールの大きい爆演でフィナーレはアッチェランドがぐいぐいとかかり、あっという間に終わります。

 

■ 交響曲第2番

CDジャケット

交響曲第2番ニ長調作品73
ハンガリー舞曲第5番、6番、7番
独BAYER RECORDS(輸入盤 100241)

 第2番は厚い弦楽の響きの中で管楽器たちの絡みをしっかりと聴かせてくれます。第2楽章になって弦楽パートはぎりぎりのところで踏みとどまるような遅いテンポで一つ一つの音を表情豊かに奏でます。まるでブルックナーを聴いているような静謐さです。第3楽章になってテンポは穏当になってきますが、終楽章ではティンパニがバンバン叩きまくる冒頭から、途中ぐっとテンポを落として聴かせる部分を挟みながら、どんどん音楽が高まっていきます。最後の金管の吠えまくりも見事です。

 

■ 交響曲第3番

CDジャケット

交響曲第3番へ長調作品90
ハイドンの主題による変奏曲作品56a
独BAYER RECORDS(輸入盤 100242)

 第3番はおそらくこの全集において、最も成功した演奏だと思います。冒頭からロマンティックにテンポを揺らしながら構えの大きい音楽が創られます。静かに語りかけるような第2楽章と、甘美でありながら構えの大きい第3楽章に続いて、終楽章はこれまた雄大な構えで始まります。ただ、曲自体が大仰一辺倒ではないので、セーゲルスタムは最後に私たちに素晴らしい落日を見せてくれます。

 

■ 交響曲第4番

CDジャケット

交響曲第4番ホ短調作品98
ハンガリー舞曲第3番、10番、16番
独BAYER RECORDS(輸入盤 100243)

 問題なのは第4番です。これまでの3曲を聴いてくると、バルビローリのごとく甘く連綿となるのかと想像する第1楽章は、肩すかしを食らわせるように素っ気ない淡々とした始まり方をします。構えはやはり大きくうねりをあげるのですが、全体的には他の3曲に比べて剛直とした印象です。これで戸惑う聴き手に対して、セーゲルスタムは第2楽章であっと驚く仕掛けをみせます。侘びしさの限りを尽くした連綿たる弦と木管との絡み、しかもわずかにポルタメントすら付けるロマンティズム、そして中間部での弦楽合奏での第2主題において、デリカシー豊かなピアニッシモでは息をのむような深淵、荒涼たる大地を見せてくれます。あとは颯爽とした第3楽章と今までと同様に曲想で思いのままに変幻自在なテンポと表現を見せる終楽章が待っています。

 

 フィルアップにはハイドン変奏曲以外には、悲劇的序曲や大学祝典序曲を(あえて?)外して、ハンガリー舞曲が収録されています。そこでは重々しくならずに疾走するかのような演奏をしているのですから、セーゲルスタムは表現の巾がかなり大きいようです。

 さて、このようないわば破天荒なセーゲルスタムの指揮ぶりですが、中途半端な技量のオーケストラであったなら、間が持たずに空中分解してしまうこと避けられません。しかし、ラインラント=プファルツ州立フィルはよく付いていっています。特に秀でたパートがあるわけではなく本質的には堅実なオーケストラなのでしょう。それにハチャメチャで即興的に聴こえる音楽作りですが実は一つ一つ計算されているようです。綿密なリハーサルが為されたに違いありません。

 セーゲルスタムは現代にあってとても浪漫主義的な音楽を作ります。オーセンティックなんて糞食らえ、俺は自分がしたいように指揮をする、と言っているかのようです。ヘルシンキ・フィルを振ったシベリウスの交響曲全集(Ondine)がありますが、これも豪快な演奏です。このように現代には得難い個性的なセーゲルスタムの新譜は、しかしながら実に少ないのです。これにはいくつかの理由があるようです。まずセーゲルスタムは指揮者であると同時に作曲家でもあり、28曲に及ぶ交響曲、20曲の弦楽四重奏曲など多数発表し、録音もしています。いわゆる楽しくは聴けないゲンダイオンガクです。指揮よりは作曲が好きなのかも知れません。あと、セーゲルスタムはかなりオーケストラをしごき、チェリビダッケばりであると伝えられます。そのため客演も少なく録音も限られてしまうようです。でもこんなに重厚で驀進するセーゲルスタムの指揮するいろいろな音楽を是非聴いてみたいと私は思います。

 

■ 追記

 

 さて、CDジャケットの絵について触れずにはいられません。これらはカスパール・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1841)の作品です。フリードリヒについては、喜多尾道冬著『ムーサの贈り物』(音楽之友社)に詳しく、その67ページで「フリードリヒは人間と自然との新たな関係を目指そうとする。彼には自分に対する甘えも、また自然に対する媚びもない。あるのは自然と自己とが対等で折り合えるぎりぎりの地点を見極めようとする、すがすがしいまでに透徹した眼差しである。そのような眼をもった画家は彼以前にはいなかったし、またそれ以降もいない。」と表現されているように、写実的のようで自らの心象風景を描いた、一度観たら忘れられない画家です。フリードリヒの友人が彼の絵を「大地の生命の芸術」(Erdlebenbildkunst)と評したのも頷けます。ジャケットそれぞれは:

第1番 『虹のある山岳風景』

第2番 『夏』

第3番 『リーゼンゲビルゲのエルデナの廃墟』

第4番 『海辺の僧侶』

という作品で、各々の曲のイメージをそこはかとなく表しているようです。

 

2006年1月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記