「わが生活と音楽より」
二人の女性バロック・ヴァイオリニストによるディスクを二つずつ聴く

文:ゆきのじょうさん

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■ アン・クノップ

 

 

  アン・クノップは1981年、ベルギーのヴィルボールデ生まれ。市立メヘレン音楽院でフラン・ヴォスにヴァイオリンを、フロラン・ファン・デ・フォンデルに室内楽を師事。ルーヴァン・レメンス音楽院では川口ヱリサにヴァイオリンを師事、ブリュッセル王立音楽院では古楽演奏のパイオニア的存在であるシギスヴァルト・クイケンのもとでバロック・ヴァイオリンを学びました。現在は、ソリストやオーケストラ奏者としての活動の他、2019年9月に取得した博士号(ゲント大学)のテーマでもあるロマン派のレパートリーの演奏実践について幅広い研究を行っています。また、アントワープとメヘレンの音楽院で後進の指導に力を注いでいます。

 ラ・プティット・バンドの第1ヴァイオリンを務め、他にもイル・フォンダメント、エウローパ・ガランテ、バッハ・コンツェントゥスなどの著名なアンサンブルでも活動、ハノーファーのピリオド・オーケストラ「コンチェルト・フォスカリ」のコンサートマスター、弦楽四重奏団「QUATUOR “a4”」の第1ヴァイオリンなどとしても活躍しています。2020年にアンサンブル「ル・パヴィヨン・ド・ミュジク」を設立し、バロックから初期古典派の知られざる音楽に焦点を当てて活動しています。ネットメディアには来日したようですが、詳細は調べきれませんでした。

CDジャケット

アンリ=ジャック・ド・クロース(クルス): 6つのヴァイオリン協奏曲Op.1(ブリュッセル, 1734)
アン・クノップ バロック・ヴァイオリン、指揮
ル・パヴィヨン・ド・ミュジク
録音:2020年8月26-29日、ベルギー、ベールト、聖アウグスティヌス教会
ベルギー Et'cetera KTC 1707

 アンリ=ジャック・ド・クロース(クルス)(1705-1786)は、ベルギーのヴァイオリニスト、作曲家です。アントワープ聖ヤコブス教会の第1ヴァイオリニストやロレーヌのシャルル教会楽長などを務めました。新しく発見されたヴァイオリン協奏曲集は、1734年10月8日付けのブリュッセルの新聞で「6曲のヴァイオリン・ソナタとともに発表された」という記事はありましたが、長らく協奏曲集の楽譜は失われていたと考えられていました。それが発見されて、今回の世界初録音になったという経緯です。

 かのヴィヴァルディの生没年は1678-1741、J.S.バッハは1685-1750、そしてハイドンは1732-1809ですから、クロースはバッハとハイドンの間の世代ということになります。タルティーニが1692-1770ですから同世代というところでしょうか。冒頭の第1番はいきなりソロ・ヴァイオリンの独奏から始まるのが印象的ですが、全体としてはイタリアのバロック音楽の影響を感じさせる明朗闊達さがあります。

 クノップの独奏は折り目正しく、煽ることのない演奏であり、自身が創設したル・パヴィヨン・ド・ミュジクのアンサンブルとよく呼応した統率ぶりを示しています。

 クノップはその後、ヴァイオリン独奏作品の最高峰と言ってよいバッハを録音します。

CDジャケット

J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(全曲)
アン・クノップ バロック・ヴァイオリン
録音:2022年7月-10月、ベルギー、メヘレン、Motormusic Recording Studios
ベルギー Et'cetera KTC 1768

 クロースでも感じた折り目正しさが、バッハでも遺憾なく発揮されています。バロック・ヴァイオリンでありがちな「攻める」演奏ではなく、淡々とあるがままの姿勢が透徹しています。それでは面白味のない、ただの生真面目なだけの演奏なのかというと、まさに正反対です。

  クノップのヴァイオリンは暖かく、深みのある音色です。わめき立てることがなく、無理のないテンポで弾きながら、次第に聴き手の心の波風を包み込み、穏やかにしていきます。まさに祈りと言える演奏です。「大丈夫、すべてはうまく行くのだから」という、どこまでも肯定的なバッハが体現されていると思いました。

  ■ マリー・ナドー=トランブレ





 マリー・ナドー=トランブレはカナダ出身のヴァイオリニストです。2019年に古楽で修士号を取得・卒業して以来、バロック・ヴァイオリニストとして活躍。マチュー・デュゲ国際古楽コンクールで4度栄誉名簿に名を連ね、第1位も獲得したとのことです。音楽に加え、イラストレーターとしてのキャリアを追求し、中国語と日本語の勉強も続けているとのこと。Instagramアカウントもあり、2024年9-10月に日本に来ているようです。また、今年27歳と考えられます。

CDジャケット

オブセッション〜バロック・ヴァイオリン・ソナタ集
● ハインリヒ・ビーバー(1644-1704):ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調 C139
● ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707):トリオ・ソナタ イ短調 BuxWV272
● 作者不詳/ナドー=トランブレ編:若い娘
● ハインリヒ・ビーバー:ロザリオのソナタ第1番ニ短調『受胎告知』
● ミシェル・ファリネル(1649-1726):グラウンド上のファロネルのディヴィジョン(ラ・フォリア)
● ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707):トリオ・ソナタ ト短調 BuxWV261
● ルイ=ガブリエル・ギユマン(1705-1770):無伴奏ヴァイオリンのためのアミュズモン〜ラ・フルステンバーグ Op.18-1
● フランソワ・フランクール(1698-1787):ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト短調 Op.2-6

マリー・ナドー=トランブレ バロック・ヴァイオリン
ケリー・バーシー テノール(「若い娘」)、リュート
メリザンド・コリヴォー ヴィオラ・ダ・ガンバ
エリック・ミルンズ チェンバロ、オルガン
録音:2023年5月8-10日、カナダ、ケベック州ミラベル、サン・オーギュスタン教会
カナダ ATMA Classique ACD2 2825

 「強迫観念」や「執着」といった意味をもつ「オブセッション」をテーマに掲げ、主題と変奏、執拗低音、ロンドといった繰り返される音楽を軸に選曲したというアルバムです。ビーバーやブクステフーデを始め、ファリネル、ギユマン、フランクールとあまり馴染みのない作曲家の作品が採られています。全体を通して短腸の曲でまとめられていて、哀惜と陰翳に満ちたアルバムとなっています。ナドー=トランブレのヴァイオリンは怜悧でありながら、伸びやかさもあり、とても美しい演奏です。

 3曲目の「若い娘」はナドー=トランブレによって変奏曲に編曲した版です。自身の解説によりますと、イタリアでは「ソプラ・ラ・モニカ」として知られる民謡とのこと。ある少女が母に対して、修道院に送って尼僧にしないでほしいと懇願する内容となっています。15世紀から18世紀にかけてキリスト教ヨーロッパ全土で人気を博し、マリーニやボデッカー、フレスコバルディなど多くの作曲家が採りあげています。変奏曲のリズムが三連符で演奏される場面があるのは、ナドー=トランブレ自身が影響を受けているケベックの民族音楽のフィドルを連想しているとのことです。「柔らかく穏やかな悲しみ」と評したとおり、誠に心奪われる曲だと思いました。

 ナドー=トランブレにも、無伴奏ヴァイオリンのディスクがあります。バッハではなく、こちらも凝った選曲のアルバムです。

CDジャケット

プレリュードとソリチュード〜無伴奏ヴァイオリン作品集
ペドロ・ロペス・ノゲイラ(1700-1770):前奏曲 へ長調
ユーハン・ヘルミク・ルーマン(1694-1758):エッセイ へ長調 BeRI 306 Aspro、Amoroso/ハ短調 BeRI 310 Grave
ニコラ・マッテイス(1670s-1737):幻想曲 ハ短調 Con discretion
マリー・ナドー=トランブレ:即興的前奏曲
ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767):幻想曲7番 変ホ長調
ジョン・ウォルシュ(1666-1736)/ジュゼッペ・トレッリ(1658-1709):前奏曲 ホ短調
ゲオルク・フィリップ・テレマン:幻想曲第9番 ロ短調
トマス・バルツァー(1631-1663):前奏曲 ト長調
ヘンリー・パーセル(1659-1695):前奏曲
ハインリヒ・ビーバー(1644-1704):パッサカリア ト長調(ロザリオ・ソナタより)
マリー・ナドー=トランブレ バロック・ヴァイオリン
録音時期:2021年5月、カナダ、ケベック州ミラベル、サン・オーギュスタン教会
カナダ ATMA Classique ACD2 2823

 バロック時代の無伴奏ヴァイオリン作品を集めていますが、テレマン、パーセル、ビーバー以外はこちらも馴染みのない作曲家の作品が並べられています。本アルバム作成の経緯は、自身のライナーノートに書かれていますので、拙訳にて引用します。

―――(ここから)
このアルバムは、2020年の終わりのないロックダウン中に何時間も孤独に練習した集大成です。そして、夢を描いたり、イラストを描いたり、文章を書いたりと、数え切れないほどの孤独な時間を過ごしました。音楽においても、文章やイラストを描く時と同様に、私の目的は同じです。それは、かけがえのない瞬間の雰囲気、感覚を共有することです。私たちは皆、甘い憂鬱、驚き、内省、そして悲しみといった瞬間を、これまでに感じたことがあるでしょう。音楽的に、プレリュードはこうした感覚への自然な入り口です。その即興的な性質は、演奏者に限りない自由と解釈の容易さを与えます。プレリュードはこのアルバムのために選ばれた多くの楽曲形式の一つに過ぎませんが、どの曲も自然発生的で即興的な性格を持っています。幻想曲、アッサッジョ(注:アッサージとも ルーマンの曲集のタイトル。イタリア語で「味(趣味など)」の意味)、パッサカリア…こうした地面は、物語や寓話、そして幻想を開花させるのに役立ち、アルバムの各曲に私自身の詩を添えることにしました。ですから、私の意図は、単に当時の響きを帯びたバロック音楽を提示することではなく、特に、親密さの渦巻く私の世界を垣間見せることなのです。
―――(ここまで)

 さて、本盤にはナドー=トランブレが作曲した小品が収録されています。マッティスの幻想曲が終わって7秒間の静寂のあと、ふわりとした情感で弾かれる1分弱。そこから間を置かずにテレマンに繋いでおり、実に考え抜かれた設計だと感じ入りました。

 圧巻はなんといっても最終曲のビーバー/パッサカリアでしょう。なんと11分以上もかけて演奏しています。しかし間延びするどころか、抉るように深く美しく、孤独を描いています。最後はテンポが遅くなり、ピチカートを取り入れながら音楽は虚空に消えていきます。

 パッサカリアに付けられた、ナドー=トランブレの詩の拙訳は以下のとおりです。

―――(ここから)
寒い部屋で、朝の光が
斜めから少ししわが寄った
羊皮紙のようなシーツの上に照らす。古の氷の中で
ひと筋の乳白の腕が静かに流れ出す。
愛よ! これほど強き力を
時を越えて持つものはあるだろうか
もう誰も止められず、誰もそれをほどけない
かつてのように。
誰のものだろう、この艶めく大理石は?
その永遠の形は子どものよう。
すべての指に、砂とほこりが少しついて
祈りの輝きをかすかに放つ。
愛よ! これほど強き力を
時を越えて持つものはあるだろうか
もう誰も止められず、誰もそれをほどけない
かつてのように。
その無垢な軌道はひとつの口元へと向かい
少し開いて、眠たげな吐息をこぼす。
陽だまりのひだから、手が上がって
私の視線を被うため、ハエのように止まる。
愛よ! これほど強き力を
時を越えて持つものはあるだろうか
もう誰も止められず、誰もそれをほどけない
かつてのように。
―――(ここまで)

 

■ 

 

 知られざる楽曲を採りあげている、アン・クノップとマリー・ナドー=トランブレです。アン・クノップは学究的にならず、優しく温かみのある演奏をしています。マリー・ナドー=トランブレも学究的ではありませんが、求道者かのような青光りする演奏です。バロック・ヴァイオリンを用いながら時代性を追求するが目的なのではなく、自分が目指したい音楽をするための道具として文字通り自在に演奏する名ヴァイオリニストたちだと思いました。

 

2025年3月31日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記