「わが生活と音楽より」
メンデルスゾーンをいろいろ聴いてみる(2):ピアノ三重奏曲

文:ゆきのじょうさん

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 クラシック音楽を聴き始めた頃は、「メンデルスゾーンはすなわちヴァイオリン協奏曲ホ短調」という認識であり、まるで一発屋のような捉え方をしていました。その後、「イタリア」とか「宗教改革」と言った交響曲、そして弦楽のための交響曲などを聴くようになったので、流石に一発屋というイメージはなくなりましたが、それでもオーケストラ作品の範疇に留まっていました。

 そんな私の認識を改めさせてくれたディスクの一枚がこれです。

 

 

CDジャケット

メンデルスゾーン:
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
同   第2番ハ短調作品66

トリオ・ベルアルテ
スザンヌ・ラウテンバッハー ヴァイオリン
マ−ティン・ギャリング ピアノ
トーマス・ブレス チェロ

録音:1972年
独CANTUS MUSIC(輸入盤 5.00059)

 冒頭、密やかなピアノの伴奏に乗って、チェロがふわりとテーマを奏で、そこにヴァイオリンが出しゃばらずに加わってくるところで、まったくもって心が奪われてしまう味わいがあります。三人とも特にテクニックを前面に出すとか、格別に強い主張をするわけでもないのですが、音楽は実に極上です。何と言っても3人とも同じ言葉で演奏していると痛切に感じます。3人いるはずなのに、まるで一つの楽器が演奏しているかのような音色と息づかいです。録音も古いものですが、ヴァイオリンが主張する時には、まるで演奏が一段階高いところが聴こえてくるような錯覚すら覚える瞬間があります。それほど音楽は立体的なのです。奏者たちは何処でどんな風に築き響かせるかについて一点の迷いもありません。出てくる音楽は全く作為を感じさせず自然なのです。これを至芸と呼ばずして、何と言えばよいのか分かりません。

  さて、一方においてメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲というのは、実に奥深い作品であると考えます。たった三人の奏者での曲ですが、終始ヴァイオリンがリードするという形式ではなく、各々のパートはさり気なく複雑に絡み合っています。フレーズの受け渡しの呼吸一つ間違えると、とたんに崩れてしまうような危うさがあります。従ってただ腕に覚えのある名手たちが集って演奏するだけでモノになる曲とは思えません。個人個人の芸術性がいくら高くても、それだけではどうにもならない部分が多いと感じます。もし、この曲を聴いて余り面白くないと感じた方がいらっしゃれば、それは曲が悪いのではなく奏者に問題があったと言っても過言ではないのです。このことは第1番第二楽章における各々のパートが前になり後ろに回って曲を進め、大きな盛り上がりを創るトリオ・ベルアルテの演奏を聴いてみるだけで十分理解できることだと思います。ある一つの音でヴァイオリンが少しだけテヌートを強調してのばして演奏すると、続くチェロが同じように演奏しながらも決してまったく同じ伸ばし方はしません。しかしフレーズとしての呼吸はしっかりと受け継いでいるのです。一方において第2番第一楽章を聴くと、まるでライブのように最後は白熱してもの凄まじいアッチェランドで終わり、第二楽章も実に息の長い盛り上がりを示しています。終楽章も、あざとい演出はまったくないのに次第に高揚して、気宇壮大な音楽が創り上げられる様は圧巻です。とても3人だけで演奏しているとは信じられないくらいの感銘が待っています。これは何も偶然に生まれた演奏ではなく、同じ奏者たちが加わっているメンデルスゾーンのピアノ四重奏曲(独CANTUS MUSIC 500034)でも上質な演奏を繰り広げていますので、このトリオの実力なのだと考えます。どの一つの音符を取ってみても、音楽が生きています。

 この演奏でヴァイオリンを担当しているラウテンバッハーは、拙稿において既に「バッハの無伴奏ヴァイオリンを聴く」、「ビーバーのミステリー・ソナタを聴く」で二度採りあげさせていただきました。LP時代にVOXレーベルを中心に大量の録音があるのですが、そのため粗製濫造と思われたのか不当なまでに低い評価となっています。現在ほとんどCD化されておらず、たまにCDになっても廉価版扱いです。一部に熱烈なファンがいらっしゃるようですが、表だって騒がれることもなく、ディスコグラフィーもネット上で調べた範囲では見つけられませんでした。トリオ・ベルアルテでのベートーヴェンの三重奏曲集は個人的には不朽の名盤と思うのですが、作品9のみしかディスクはないのです。ラウテンバッハーこそ、トリオ・ベルアルテの演奏も含めて全録音をCDボックス化していただければ、その再評価は確実だと思うのですが・・・(少なくとも私は買います)。因みにラウテンバッハーはシュトゥットガルトで存命のようで、今年77歳になるようです。

 閑話休題、いきなり最初にこのような印象深い演奏を聴いてしまったので、以後、いつくかのディスクを聴きましたが、正直なところ、どれも「帯に短し、襷に長し」の感は拭えなかったのです。そんな中で別の魅力を教えてくれた演奏が次に紹介させていただくディスクです。

 

 

CDジャケット

メンデルスゾーン:
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品49
同   第2番ハ短調作品66

ジェラール・プーレ ヴァイオリン
クリストフ・ヘンケル チェロ
ピエール・レアック ピアノ

録音:2004年12月29-31日、パリ、サル・コルトー
仏SAPHIR(輸入盤 LVC 001051)

 トリオ・ベルアルテと比較して、実に軽やかに、そして華やかに演奏が始まります。テンポはとても速くて弦楽器では弓が弦に触れているのかいないのか、というくらいに感じます。トリオ・ベルアルテ盤は、いかにも深い森を思わせる、ほの暗さとそこはかとない芳香を感じさせましたが、プーレたちはとても情熱的で、かつ華麗さと洒脱さが際立ちます。これを「フランス的」と一言で片づけるのは安直だとは思いますけど、フランスの音楽雑誌で高評価であったというのには、何となく頷いてしまいたくなります。

  2曲とも第3楽章以外ではトリオ・ベルアルテ盤よりは格段に速い演奏ですが、雑な印象は驚くほどありません。これは、3人の演奏のバランスが、トリオ・ベルアルテとは違った次元で保たれているからなのでしょう。例えば第1番第二楽章では、しみじみとした味わいという点ではトリオ・ベルアルテが優りますが、プーレたちはより抑揚を大きくしながら、喜びを音楽に込めていきます。この演奏で私が印象を強くしたのはレアックのピアノで、速いテンポでありながら、音楽は呼吸し、わずかに振幅をもって揺らぐところです。全体のテンポ設定ではインテンポで弾くのが精一杯ではないかと思うくらいなのですが、第1番第三楽章スケルツォでもフレーズの終わりには転がらずにきちんと終結させて、間を置かずに次の展開を始めています。テクニックはもちろんのこと、音楽を創ると言う点でよほど秀でたものがないと不可能ではないかと考えます。

  第2番第一楽章冒頭は恐ろしく速いテンポで始まります。疾風怒濤という言葉がまさにぴったりです。第二主題でややテンポは穏和となりますが、畳み掛けるような迫力は保たれており、そのまま展開部に移るのもきちんと計算されていると思いました。第二楽章も立ち止まることはなく音楽は進んでいきます。第三楽章もよくこのテンポで弾ききることができるものだとうなってしまいますが、必死に演奏しているという緊迫感はまったくなく、むしろ楽しんで演奏しているような風情が漂ってきます。終楽章のバッハのコラールが引用されているという部分でも奏者たちの熱さは変わりありません。フィナーレは強大な響きで押し通すかと思えば、実に品良く終わらせています。

 古き良き味わいと響きを堪能するのならトリオ・ベルアルテ盤ですが、プーレたちはこれらの曲に新しい輝きと上品な熱情を込めることに成功していると思います。聴いた後は実に爽やかな気分になります。また明日からも頑張ろうと思いたくなる演奏です。

 

 

 

 クラシック音楽を聴き始めてから、ほとんどがオーケストラ作品を聴き続けた私にとって、室内楽というのは今なお遠い存在です。さらにピアノ三重奏曲、しかもメンデルスゾーンになると果てしなく遠い存在でした。それを近づけてくれたこれらのディスクは(世に言う名盤は他にもあるのでしょうが)私にとって大切なものです。私にとって忘れられないディスクがこれからも増えることを楽しみにしていきたいと思います。

 

2009年8月2日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記