「わが生活と音楽より」
ニッケルハルパを聴く

文:ゆきのじょうさん

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 前回の拙稿「2枚のスロッテルを聴く」で、北欧ノルウェーの民族楽器ハーディングフェーレを採り上げました。この楽器のことをあれこれ調べているうちに同じ北欧隣国のスウェーデンにニッケルハルパという、これまた耳慣れぬ名前の楽器があることを知りました。今回はこの楽器について聴いてみました。

 

■ ニッケルハルパとは 

 

 詳細な解説はネット上、Wikipediaなどで得られますので本稿では詳述は避けます。外見はヴァイオリンに似ていますが、大きく異なるのは二点です。第一に、弦を指で押さえるのではなく、タンジェントと呼ばれるキーで押さえて音程を作ります。第二に、肩と顎で支えるヴァイオリンやハーディングフェーレと違って、肩紐で小脇に水平に抱えて弓で弾きます。やはりキーで音程をつくるヴァイオリンに似た形の民族楽器に、西ヨーロッパで生まれたハーディ・ガーディがあります。これは弓ではなく手回しの円盤で弦を振動させるそうです。

 ニッケルハルパの成立は、ハーディングフェーレと同様正確な史料は存在しません。1350年頃に作られたスウェーデンの教会のレリーフでニッケルハルパらしい楽器があるため、この頃からあったとする説があります。16世紀には隆盛を極めたようですが、その後スウェーデンの一部の地方を除き衰退しました。

 20世紀になると絶滅の危惧が出て、当時の著名な演奏家エリック・サールストローム(1912-1986)が、楽器の改良、演奏技術の向上と啓蒙に努め、現在まで受け継がれており、日本にも日本ニッケルハルパ協会があります。現在使用されているニッケルハルパはハーディングフェーレと同様に共鳴弦を持っていますが、キーの数などでいくつかの種類が存在するようです。

 さて、実際には演奏したことも見たことも聴いたこともない楽器でしたので、興味を持って買い求めたディスクがこれです。

 

 

CDジャケット

城とコテージから

  • オーロフ・ヤンソン:教会行進曲
  • エーリク・サールストレム:春の雫
  • C.P.E.バッハ:ヴィオラダガンバ・ソナタ ハ長調 Wq136
  • ラーシュ・ネースブム:教会ポルスカ
  • エーリク・サールストレム:嵐
  • J.S.バッハ :無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調
  • フランソワ・クープラン:クラヴサン奏法中の実例 前奏曲第5番
  • マラン・マレ:夢見る人、スペインのフォリアによる32の変奏曲

トゥールビョーン・ネスボム ニッケルハルパ
アンドレアス・エードルンド チェンバロ

録音:2006年1月16-18日、ダーラヤーナ教会、ダーラナ、スウェーデン
スウェーデンMusica Rediviva(輸入盤 MRCD014)

 スウェーデンの民族音楽、ニッケルハルパの復興に尽力したサールストレム、それに本来この楽器のための曲ではないクラシック音楽を演奏したディスクです。1曲目の「教会行進曲」を聴けば明らかなように、ニッケルハルパはキーを叩く音がかすかに混じる以外は、ヴィオラのような中音域の豊かで素朴な響きを持っています。「春の雫」や「嵐」は、この楽器の普及に情熱を持った人の手による曲ですので、楽器の特徴を最大限に生かし、限界を目指したようなスケールの大きい曲になっています。それにしても伴奏で加わるハープシコードと何と調和がとれているのでしょうか? C.P.E.バッハのソナタもまるで違和感なく、実在感をもって聴き手に迫ってきます。なお、4曲目の「ポルスカ」とはポロネーズと同じ語源だそうです。のどかな田園風景で繰り広げられる踊りを連想させる楽しい曲です。

 演奏しているネースブムはJ.S.バッハの無伴奏を聴くだけでも名手であることは明白で、まったく不安なく聴くことができます。録音もこの楽器の音を過不足なく捉えています。そして特筆すべきことは、プロジューサーはSatoko Berger-Fujimotoとクレジットされており、日本人女性です。そのため解説書はスウェーデンの美しい風景や建物の写真に加えて日本語訳の解説があり、入門としては最適な一枚ではないかと思いました。

 これでニッケルハルパに興味を持った私は、さらに2枚のディスクを買い求めました。

 

 

CDジャケット

Storsvarten

ウーロフ・ヨハンソン ニッケルハルパ

ローゲル・タッレルート ギター、ブズーキ、オクターブマンドリン
ミカエル・マリーン フィドル、ヴィオラ
アンデルス・ブロマンデル オルガン、フリューゲル
クラウディア・ミューラー フルート
マッツ・オロフソン チェロ

録音:1997年11月25-30日、ベリンゲン教会、スウェーデン
スウェーデンDRONE(輸入盤 DROCD011)

 題名は収録されている自作の曲名であり、スウェーデン語のようです。無理矢理訳すと「長き待望」とでも言うのでしょうか? ほとんどデンマーク語しかない解説書の英文バイオによると、ヨハンソンは16歳から演奏歴を開始しており、数々の受賞歴があるようです。ストックホルム王立音楽院で教鞭にもついています。ヴェーセンという演奏ユニットの一人であり、このディスクもそのメンバーたちが共演しているようです。ディスクは22曲の小曲から構成されていて、伝承曲をそのまま演奏したりアレンジしたり、ヨハンソン自作も収録されています。ニッケルハルパ独奏もあれば、ギターやブズーキ(バチカン地方のリュートのような楽器)、オルガンとの共演、最後はフルート、チェロ、ヴィオラとの四重奏曲と多彩な作り込みになっています。

 ヨハンソンの演奏はとても刺激的で挑戦的です。ネルボムがあくまでもクラシック音楽という枠組みで格調高く演奏しているのに対して、ヨハンソンはニッケルハルパという楽器を現代から未来に息づいているものとして、その可能性を柔軟かつ大胆に考えているようです。伝承の独奏曲もとても躍動感があるのですが、自作の様々な楽器との共演では、まるでジャズセッションのように丁々発止のやりとりがライブのような迫力で迫ってきます。ジャケット写真や解説書での写真にもあるように、確かに楽器を投げ飛ばさんばかりの勢いの良さがあり、それがこのディスクでの最大の魅力になっています。

 

 

CDジャケット

ヴェーゲン<道>  

ペーテル”プーマ”ヘドルンド ニッケルハルパ

録音:2001年11月12-15日、ニュージャージー、サージェントビル、ウィンドミル・スタジオ
ノルディックノーツ(国内盤 DHN1044、スウェーデンAllWin AWCD48)

 全編、ニッケルハルパだけで演奏したディスクです。ヘドルンドは上述のニッケルハルパ復興の祖、サールストレムの直弟子の一人になります。このディスクの構成やこうした経歴を見ると伝統主義側にいるかのような印象がありましたが、ヨハンソンと同様に様々な楽器と組み合わせたアンサンブルを作っていてアルバムも出ています。

 冒頭の「ブゥゴールデンの大鹿のマーチ」から、いきなり涼しげで澄み切った空気を運んできます。そして、音楽は重音が駆使されて、あたかも複数の楽器で合奏しているかのような、拡がりをもたらします。ニッケルハルパという楽器について、このディスクから聴いても、おそらくその魅力に気づけるような心憎い演出です。一挺のニッケルハルパだけで一枚のCDが持つのかという不安は、聴き続けるうちに霧散します。知らない曲ばかりなのはもちろんですが、どこか人なつっこさと素朴さを感じるような「歌心」が絶妙に配列されています。個人的には「インゲルの花嫁ワルツ」での透明感に満ちた響き、「スレングポルスカ」での幾重にも重なった躍動感に惹かれました。

 

 

 

 こうしてみると、北欧に限ってみてもヴァイオリンに似た様々な楽器が生み出されていました。おそらく現代には記録が遺らなかった楽器もあったでしょう。16世紀から17世紀という時期はもしかすると、生物における先カンブリア紀の大爆発のような家庭があったのかもしれません。そして多くの楽器たちは絶滅し、こんにち、私たちがクラシック音楽として聴く際のヴァイオリンやヴィオラ、チェロ、コントラバスが主流となり、それに古楽でのヴィオラ・ダ・ガンバなどが受け継がれているという構図なのかもしれません。この潮流にあっては、ノルウェーのハーディングフェーレや、スウェーデンのニッケルハルパは本来は淘汰されていくべき宿命であったのかもしれません。

 ヘドルンドのアルバム「ヴェーゲン」に添付された日本語解説書によると、ヘドルンドの言葉としてニッケルハルパの演奏では楽譜が存在しなかったと載っていました。この点はノルウェーのハーディングフェーレも同様です。そして、ハーディングフェーレにはクヌート・ヨハンセン・ダーレという名演奏家がいたように、ニッケルハルパにはエリック・サールストロームがいて、民族楽器が生き残り、新たな視野をもって活躍する人たちが出てきているというのは、やはり伝統と呼ぶべきことなのだろうと思います。その過程で(ヘドルンド自身も書いているように)伝統楽器として本来持っていた味わいが薄められたり、捨てられたりしていったかもしれません。でもヨハンセンのように、挑戦的にニッケルハルパの新しい世界を創ろうとするのは決して悪いことではなく、これもやはり伝統なのだと思います。

 

2010年5月17日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記