「わが生活と音楽より」
An die Musik 10周年に寄せて(3)
二枚の「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」のディスクを聴く

文:ゆきのじょうさん

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■ カール・マリア・リルケ

 

 高校生から大学生の頃、御多分に漏れず、多感ぶった文学青年気取りの時代がありました。日本文学のみならず、欧米文学を(もちろん翻訳の)文庫本で読みあさっておりました。その中の一人がリルケでした。リルケは1875年生まれ、1926年に白血病となり、バラの刺を刺したことが元で死ぬという劇的な生涯にも印象を強くしたわけですが、何よりもその作品の味わいが、世間というものを知らない私のひ弱な心に強烈な刻印を打ったのです。

 リルケと生年が同じ作曲家にはラヴェル、ドビュッシーがおり、1年前(1874年)にはシェーンベルク、ホルスト。2年前(1873年)にはラフマニノフ、そして、1872年にはスクリャービン、ディアギレフ、そしてビアズリーがいます。芸術が爛熟し、多様性が豊かになった時代に、ドイツで生きたのがリルケであったわけです。リルケは、もちろん「マルテの手記」のような小説も書いていますが、私にとっては詩人という捉え方になります。「オルフォイスに寄せるソネット」や「ドゥイノの悲歌」など有名な作品を始めとして、詩集を読みあさりました。そして思ったのは、リルケを一言で表現するのはとても難しいということでした。

 「うつろひ」と「さきわひ(幸ひ)」、激情と柔軟で女性的な優美さ、静的と動的、無限と有限、伝統と近代・・・など様々な相矛盾する言葉で語られています。これにリルケの生涯という時間軸を与えれば、リルケが劇的な変貌をとげたことが、人々の心を捉えて止まないとも言えそうです。現在も、リルケをどのように考えるかという点では私自身の結論はでていません。

 さらに、私がリルケを原語で味わうほどの語学力がないことも、リルケ理解においては致命的です。リルケの詩は、とくに晩年になるほど難解となりますが、これは原語で味わうと、その響きから別の独特の味わいがあるのでしょう。リルケについてはまだ書き足りないのですが、これ以上書き続けることは本稿の目的とは異なるので、このあたりにしておきます。

 

■ 旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌

 

 この「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」(以下、「旗手」)はリルケの祖先である18歳のクリストフ・リルケが1660年、当時ハンガリーにおけるハプスブルク家を中心とした神聖ローマ帝国とオスマン帝国との戦闘に旗手として参加して戦死した、という記述の古文書に触発されたものです。リルケ24歳であった1899年に一晩で書き上げたと伝えられてします。推敲ののち、1906年に刊行されました。

 祖国のため遠い異国の地まで来た誇りと死への不安、ヨーロッパの様々な国から集まった兵士との交流、祖国にいる家族や恋人への思い、悲惨な戦場、つかの間の休息と情欲、そして旗手としての死が描かれています。戦争の虚しさを表しているとも言えますし、祖国のため戦い倒れた祖先への賛歌とも読めます。

 最初はまったく売れなかったそうですが、しだいに注目されるようになり、やがてドイツ全土を席巻するに至ります。当時はビスマルクが宰相としたドイツが勢力を伸ばして国際紛争が起こっていた頃で、第一次世界大戦前夜でした。世情からみて愛国主語の高まりの中で、この「旗手」が評価されていたのかもしれません。

 私はリルケに関する評論を多数読んでいるわけではありませんから、あくまでも読んだ範囲内で、ということになりますが、リルケに関しての考察の多くは先に掲げた、後期の詩集、及びそれを繙く時のアリアドネの糸である膨大な書簡を題材にしています。一方、それらの評論で「旗手」についての考察を見つけることができませんでした。リルケ論という潮流にあっては「旗手」は傍流でしかないようです。これは「旗手」は詩句には勢いがありますが、内容は比較的分かり易く世俗的で、いわば若書きの作品と考えられているからなのでしょうか。当時の世情において「旗手」が与えた衝撃と、その背景、さらには後年の「ドゥイノの悲歌」で見られるリルケの思索から「旗手」を考えてみるのも面白いテーマだと思いますし、どこかにそういう文章があるのだろうとは思います。しかし、リルケでよく考察される「実在論」という点で、「旗手」そのものは行間を補填して考察する余地が少ない作品であると言うことはできそうです。

 さて、リルケの詩は歌曲になっているものが多いのですが、この「旗手」については私の知りうる限り、4人の作曲家が音楽を付けています。生年順にクレナウ、マルタン、ウルマン、マトゥスです。いずれもさほどメジャーな作曲家ではありませんから作品自体もあまり知られておりませんし、ディスクも少ないです。このうち比較的数が多いのは、フランク・マルタン(1890-1974)によるアルトとオーケストラのための作品(1942年)です。現在入手可能なものでリポフシェク/ツァグロセク/オーストリア放送響盤(ORFEO)、ストテイン/スティーン/ヴィンタートゥール・ムジークコレギウム管盤(MDG)があります。4人の中で唯一リルケと同時代ではないのは、ジークフリート・マトゥス(1934 -)です。彼は1984年にオペラにしているそうですが、これは現役盤を見つけることができませんでした。

 ここでは残る二人の作曲家、クレナウとウルマンの作品について採りあげたいと思います。

 

■ クレナウ

CDジャケット

パウル・フォン・クレナウ:旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌

ボー・スコウフス バリトン
ブルノ・フィルハーモニー合唱団
ポール・マン指揮オーデンセ交響楽団

録音:2006年8月28-31日、9月1-2日、4-6日オーデンセ、カール・ニールセン・ホール
欧Dacapo(輸入盤 6220532)

デンマークの作曲家クレナウ(1883-1946)が1924年、41歳のときに完成させた作品で、バリトン独唱、混声合唱、管弦楽からなる70分余りの大作です。クレナウはバルトークやベルクと生年が近いのですが、本作には不協和音がほとんどなく、重厚でブルックナー、マーラーなどのようでもあり、リヒャルト・シュトラウスのような印象も持ちます。この、ほとんどディスクのないクレナウを採りあげる理由は、本作が初演された時にリルケが聴いていること、そして自分の作品が楽曲になることを好まなかったというリルケが、本作の出来映えに満足して詩の使用を許可したという、いわばリルケ公認の作品であるからです。

 音楽は冒頭から大編成のオーケストラと女声合唱による荘重で不安に満ちて始まり引きこまれてしまいます。人間の内面に迫る描写ではバリトン独唱が、経過や全体描写においては合唱が受け持つという構成です。音楽は時に荘重に、時に艶やかになり、劇的な昂揚感にも事欠きません。リルケがこの詩に込めた感情や色合いと同一とは思いませんが、リルケが認めたというのですから、そう的はずれではなかったのでしょう。

 演奏について聴き比べはできませんが、気品のある独唱、息の長いフレーズを滞らせることのない合唱、深い奥行きのある響きをつくる管弦楽と、この曲の魅力を十分に表現していると思います。後半の敵襲にあい「旗手は!」と呼ぶ声がする場面からの鋭い切れ込みは、録音の良さと相まって心を捉えて止みません。

 

■ ウルマン

CDジャケット

ヴィクトル・ウルマン:メロドラマ「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 朗読
ブルクハルト・ケーリング ピアノ
録音:2003年1月 ベルリン、スコアリング・ステージ(現フンクハウス・ ケーペニック)

 ウルマン(1898-1944)は旧チェコスロバキアの生まれのユダヤ人作曲家で、シェーンベルクに師事し、ナチス・ドイツに捕らえられて強制収容所のガス室で命を落としたということです。本作は、死の直前に収容所で作曲されました。

 メロドラマという形式はピアノ伴奏で朗読を行うものですから、私は積極的に聴く機会はありませんでした。ここでは、本来の作品もさることながら、やはりフィッシャー=ディースカウを聴くべきディスクです。フィッシャー=ディースカウは1992年の歌手活動から引退した、20世紀を代表する歌手の一人です。生誕80周年を記念して、メロドラマでの録音を行っています。シューマン、リスト、リヒャルト・シュトラウスと並んで、ウルマンの本作が録音されました。朗読ですから旋律もリズムもなく、音楽はピアノが演奏しているだけのはずです。しかし、フィッシャー=ディースカウの朗読は、それだけで「歌」です。正統なドイツ語の発音からみたときにどうなのかは存じませんが、私はここでのドイツ語は例えようもなく美しいと感じます。読み進める速度、抑揚、声の強弱、それらが唯一「音楽」を主張するはずのピアノを支配して、凌駕しています。いわばモノトーンの世界のはずなのに、編成の大きいクレナウの作品に劣らないほどの音圧を感じます。もちろんピアノのケーリングの主張すべきところでは主張する丁寧な演奏も貢献するところ大です。

 この衝撃の強さは、フィッシャー=ディースカウの至芸だけに帰せされるものではありません。カップリングされている他の作曲家の作品の朗読と比較しても、リルケの一つ一つの言葉が持つ重みと美しさは、やはり特別です。「旗手」が当時にもたらした波紋の大きさは当然だと考えます。さらにウルマンが作曲したピアノ伴奏にも心奪われます。ウルマンはナチス・ドイツから「退廃音楽」とされ、強制収容される前の作品はほとんど破棄されてしまいました。収容所ではプロパガンダを目的とした音楽を作曲させられていたそうです。「旗手」も、リルケの詩が注目された背景を考えれば、ナチスの国威発揚という立場での作品という位置づけになるでしょう。そのような抑圧と強制から生まれた音楽ですが、音楽には起伏が大きい感情のうねりがあります。そして終結部は、英雄への讃歌でも悲歌でもありません。何となく平穏で長閑な風景が思い浮かびます。それを「平和」という言葉に置き換えることができるのかどうかは分かりませんが。

 

■ 終わりに

 

 本稿は当初から執筆予定であったものの一つでした。しかもこの時期に書こうと思っており、特に当サイト10周年に関係しているつもりはなかったのです。しかし、本稿を書いている最中に、ふと「リルケ詩集」(新潮文庫)を開いたときに、偶然に以下の詩の和訳文が目に飛び込んできたのでした。これは偶然という他になく、その偶然ゆえに、私は本稿を当サイト10周年に寄せるものにしたいと思ったのです。

An die Musik

Musik: Atem der Statuen. Vielleicht:
Stille der Bilder. Du Sprache wo Sprachen
enden. Du Zeit,
die senkrecht steht auf der Richtung vergehender Herzen.

Gefuhle zu wem? O du der Gefuhle
Wandlung in was? -: in horbare Landschaft.
Du Fremde: Musik. Du uns entwachsener
Herzraum. Innigstes unser,
das, uns ubersteigend, hinausdrangt, -
heiliger Abschied:
da uns das Innre umsteht
als geubteste Ferne, als andre
Seite der Luft:
rein,
riesig,
nicht mehr bewohnbar.

http://www.rilke.de/gedichte/an_die_musik.htm

 

 

 

本稿を書くにあたり、下記の文献を参考とさせていただきました。

  • リルケ:「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」、塩谷太郎訳、四季叢書、1954年
  • リルケ詩集、富士川英郎訳、新潮文庫、1963
  • 加藤泰義:「リルケとハイデガー」、芸立出版、1980/1990
  • 辻邦生:「薔薇の沈黙 リルケ論のこころみ」、筑摩書房、2000
  • 加藤泰義:「このように読めるリルケ ー響きつづけるグラスであるがいいー」、朝日出版社、2001

 

2008年11月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記