「わが生活と音楽より」
二つのメタモルフォーゼンを聴く

文:ゆきのじょうさん

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 リヒャルト・シュトラウス作曲のメタモルフォーゼンは、正式には「メタモルフォーゼン 23の独奏弦楽器のための習作 (Metamorphosen Studie fur 23 Solostreicher)」というもので、以前は「変容」と訳されていましたが、最近はカタカナ言葉が自然になったせいか、「メタモルフォーゼン」と表記されることがほとんどのようです。個人的には「変容」の方が好きなのですが、ここでは「メタモルフォーゼン」で統一しておきます。

 この曲は1945年に作曲されました。昭和で言えば20年、第二次世界大戦が末期となってドイツは空襲や陸上攻撃によって破壊というより、まさに語感通りに「崩壊」していく時でした。そんな戦火の中で、ミュンヘンでシュトラウスはメタモルフォーゼンを作曲したそうです。この曲にはベートーヴェン/交響曲第3番第2楽章のいわゆる「葬送行進曲」の動機が引用されていることも手伝って、いわゆる死の音楽、滅びの音楽、失われしものへの惜別の音楽と位置づけられています。

 私が、この曲で長年愛聴しているのは、ケンペ/カペレ盤(EMI)と、同じくケンペ/ミュンヘン・フィル盤(SONY)です。これらの演奏については拙稿「ケンペの<グレイト>を聴く」で触れさせていただきました。これ以外ではカラヤン/ベルリン・フィルの新盤(DG)も魅力的であり続けています。

 ケンペにしても、カラヤンにしてもドイツ・オーストリア系で、1945年当時は各々35歳、37歳でしたから、第二次大戦、そしてそれに関連する「崩壊」は自らの原体験として心に刻まれていたことは想像に難くありません。録音当時のカペレやベルリン・フィルの演奏者の中にも体験した者がいたかもしれません。音楽にそういった要素を絡めて捉えるやり方は、私個人は余り好みませんが、一方においては排除できない事実であったとも考えます。両者とも美しくもえぐるような厳しさと滅びの音楽です。

 私は不勉強にも知らなかったのですが、シュトラウスは、メタモルフォーゼンをまず、弦楽七重奏による短縮版で作曲して、1945年3月31日に完成。それと並行して23の独奏弦楽器による最終(フルサイズ?)稿を3月13日に着手して4月12日に完成しているそうです。初稿ともいえる弦楽七重奏・短縮版は1990年にスイスで発見され、それに基づいてルドルフ・レオポルドが最終稿の長さによる弦楽七重奏版を復元しました。そのディスクが今回紹介する一枚目です。

CDジャケット

R.シュトラウス:
メタモルフォーゼン(弦楽七重奏版)
ピアノ四重奏曲ハ短調作品13
「カプリッチョ」作品85〜前奏曲
ナッシュ・アンサンブル
録音:2006年4月12-14日、ヘンリーウッド・ホール、イギリス
英Hyperion(輸入盤 CDA67574)

 ナッシュ・アンサンブルは1964年に創設されたイギリスの室内楽団体だといいますから、もう40年以上の歴史があります。当然メンバーも入れ替わっているのでしょう。私にとっては、この団体は現代音楽を演奏しているイメージがありますが、よく調べてみるとバロック音楽など幅広くレパートリーがあるようです。そのナッシュ・アンサンブルによるメタモルフォーゼンですが、奏者が三分の一弱に減っているとは思えないような濃密な音です。奏者同士の呼吸は寸分の狂いもなく合っており、重なった音は分厚く、軽くポルタメントもかかるか、伸ばされた音の最後には小節が利かされています。テンポも曲想に合わせて細かく揺れ動き、浪漫的と言えばあまりにも浪漫的な演奏です。ケンペやカラヤンの演奏と比べてみると滅びの音楽というよりは、カップリングされた若書きのピアノ四重奏曲の浪漫的な側面を強調しながら、そこにほのかな切なさを加えたような作り方です。これで聴くと23人も要らないのではないかと感じてしまいそうです。

 因みに印象深いジャケットは、チェコの女流画家であるMarie Cerminova Toyen(トイェン、と表記するのでしょうか?)による「危険な時間」と題された作品です。Toyenは、ナチスのチェコ侵攻後、退廃芸術扱いにされ発表の機会を与えられず、第二次大戦後祖国が共産主義化していくと、パリに移って作品を作り続けたのだと言います。

 もう一枚のディスクはこちらです。

CDジャケット

シェーンベルク:浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版)
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン
ル・ディソナンス(Les Dissonances)
デイヴィッド・グリマル(リーダー)
録音:2006年8-9月、ヴァンセンヌ、フランス
欧Ambroisie(輸入盤 AMB110)

 ル・ディソナンスとはフランス語で「不協和音」という意味だそうです。1973年パリ生まれのヴァイオリニスト、デイヴィッド・グリマルが、若手演奏家を集めて作ったアンサンブルです。決してフランス人ばかりではないようで、奏者リストにはAyako Tanakaという日本人らしい名前もあります。

 ル・ディソナンスが演奏するメタモルフォーゼンは、ケンペやカラヤンの演奏を聞き慣れた者にとっては、戸惑いすら感じる演奏です。ここには死や、滅び、失われしものへの惜別などというものを感じることができません。アンサンブルはナッシュ・アンサンブルに負けず劣らず見事なものですが、音の始まりはできるだけ柔らかく入るようにしており、全体の音も暖かく穏やかで慈しむような作り方です。

 これを深みがないとか、精神性が希薄だ、などと片づけるのは簡単です。私はむしろ、この曲の新たな表現を知ったと思っています。滅び、崩れ落ちていく中にも変わらないものがある、それがやがて荒野に芽吹く若葉のように、新たな始まりにつながる。そういう思いを感じさせてくれます。武田泰淳は評論「滅亡について」の中で、滅亡について考えることは「より大きなるもの、より永きもの、より全体的なるものに思いを致させる」ことになると書いています。ル・ディソナンスの演奏は、そんなことも思い出させてくれました。

 ル・ディソナンス盤のジャケットは、大変わかりにくいのですが、おぼろげに(おそらく)花嫁を写した写真です。1981年生まれの写真家Pauline Thomasによる作品で、タイトルが「MILLENIUM IMAGES」というのだそうです。

 

2007年3月11日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記