「わが生活と音楽より」
二枚のジークフリート牧歌を聴く:謎についてのエッセイ

文:ゆきのじょうさん

ホームページ WHAT'S NEW? 「わが生活と音楽より」インデックスに戻る


 
 

  ジークフリート牧歌は、長大な楽劇を作曲したワーグナーにおいては、愛すべき「小品」と言えます。妻コジマへの誕生日兼クリスマスプレゼント(誕生日が12月25日)として作曲され1869年に自宅で初演された、というエピソードを知らなくても、この曲には穏やかさと至福な雰囲気にあふれています。

CDジャケット
注)カラヤン指揮ベルリンフィル盤。現在は交響曲第8番とのカップリング。

 今回、この曲を採り上げるにおいて、私にとっては別格な演奏があることをお断りしなくてはなりません。それは、カラヤン/ベルリン・フィルの1977年録音DG盤です。ブルックナー/第7を2枚組LPで出したときの2枚目B面に収録されていました。20足らずのこの曲をLP片面にたっぷりと収録した演奏は、まさに上質、酔いしれんばかりの演奏でした。当時の評論に「これ(ジークフリート牧歌)を聴くために、この2枚組を買っても惜しくない」という文章を見つけて、「まさにその通り」と頷いておりました。

 閑話休題。今回、まず私が拘ってしまったのは以下のディスクです。

 

■ サヴァリッシュ盤

CDジャケット

リヒャルト・ワーグナー:
ジークフリート牧歌

ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団のメンバー
録音:1991年5月4日、ノイシュヴァンシュタイン城 歌の間におけるライブ
欧Farao(輸入盤 B108049)
13人

 カップリングは、サヴァリッシュのピアノ伴奏で、リポヴシェクが歌うヴェーゼンドンク歌曲集で、ディスクのトータル時間は41分足らずのものです。有り体に申し上げて、サヴァリッシュのファンではなく、今まで一枚もディスクを所有していない私が、このCDを手にした理由はただ一つ、録音場所が、私に強い印象を刻ませたノイシュヴァンシュタイン城であったからです。

 

■ ノイシュヴァンシュタイン城

 

 以下の文章において、私はノイシュヴァンシュタイン城について、肯定的ではない感想を述べたいと思います。この城を愛して止まない方がいらっしゃれば、愉快でない気持ちになってしまうかと危惧します。これは全く持って私の、ネガティブな情緒をもった個人的な体験ですので、この城が多くの人々に愛されていること、この城を愛している方の感情や人格を否定することを意図するものではないことを強調したいと思います。

 ノイシュヴァンシュタイン城は、ご存じの通り当時バイエルン国王であったルートヴィヒ二世が築城したものです。書物によれば、ルートヴィヒ二世にあるのは王としての誇りだけで、政務に関する才能はなく、実際に政治上の決定は議会が牛耳っていたそうです。その現状に失望した彼は、自分の興味がある音楽、美術などに傾倒し、その時ワーグナーに出会います。すっかり信奉者となった彼は、ワーグナーに多大な援助を行い、例えば、かのバイロイト祝祭劇場などが作られました。最終的にワーグナーの楽劇を始めとして、自分が信奉する美、自分だけの美学、を徹底した世界を具現しようとしたのが、山の上に建てられたノイシュヴァンシュタイン城であったと言います。ルートヴィヒ二世は1886年に謎の死を遂げます。

 もう一昔も前のこと。アメリカで研究に従事していた私は、日本より行きやすいという理由と、お上りさん気分でヨーロッパを巡り、ノイシュヴァンシュタイン城も見ようと計画しました。このことを研究室で話したところ、チェコ人の同僚が「ありゃ、ディズニーだよ」と吐き捨てるように評しました。確かにディズニーランドでのシンデレラ城は、この城がモデルであることは、よく知られているところです。ところが、その同僚の発言には、何処か不快な感情が吐露されていました。それを不思議に思いながら、実際に、まさに御伽話に出てきそうなこの城を訪れたときの感想は、一言で言えば「気分が悪い」でした。

 マリーエン橋から見る外観は、確かに例えようもなく美しく、別世界のような感覚を覚えました。ところが中に入ってみると、本当に絢爛豪華なのですけれども、非常に居心地が悪いのです。内装や数々の壁絵は、ワーグナーの諸作品を多少なりとも知っている私には興味深いものがありましたが、何かイヤな瘴気が襲ってくるのです。美しくも不快・・そういう印象でした。

 歴史の沈潜とか、そういうものとは違う異質なものがある、と感じたのです。

 

■ 再びサヴァリッシュ盤

 

 そのようなワーグナーゆかりの城での演奏会です。各パート一人ずつの初演時の編成を再現した演奏には、気負ったところは全く感じられません。カラヤンのような耽美的な要素も希薄であり、初演時の妻への誕生日プレゼントという微笑ましさが伺える演奏と感じました。ただ、ノイシュヴァンシュタイン城で演奏されているから、という潜在意識がそうさせるのか、この演奏にはこの城に感じた感情と同じものを抱かずにはいられませんでした。どのパートも対等に演奏し、おそらくは演奏会場の音響学的理由もあるのでしょうが、すべてが残響控えめのオンマイク気味で収録されています。アンサンブルとしては上質であり、個々の奏者のテクニックは素晴らしいことを十分認めることができるのですが、聴いていて何処か落ち着かない感情を持ってしまいます。繰り返しますが、演奏がいけないということではないのです。演奏が伝えてくる空気に戸惑いを感じたということです。

 

■ セバスチャン盤

CDジャケット

リヒャルト・ワーグナー:
ジークフリート牧歌

ジョルジュ・セバスチャン指揮パリ音楽院管弦楽団
録音:1963年4月19-20日、サル・ワグラム、パリ
欧ACCORD FESTIVAL(輸入盤 4768984)

 このディスクは、少なくともネット上で検索した範囲においては、ほとんど話題になっていない演奏です。しかし、私にはそれが不思議でなりません。

 まず冒頭からして響きが深く、かつ美しいです。弦楽器は増員されていますが厚ぼったい印象はありません。全体の流れも上品です。曲中のいくつかのクライマックスになると音楽は高揚とともに推進力を得ていきます。しかしそこには不自然さはなく、すぐため息のような間とともに安寧なテンポに至ります。管楽器のソロも妙技を発揮しています。

 ここで指揮しているジョルジュ・セバスチャン(1903-1989)という指揮者は、知名度はほとんどないと言ってよいでしょう。ハンガリー生まれといいますから、本当はゲオルグと呼ぶのが良いのかもしれませんが、主にフランスで活躍していたのでジョルジュと表記されています。またSebastianもフランスに移ってからの名前で、元々はSebestyenだったようです。オペラをよく指揮していて、マリア・カラスが歌ったオペラでの指揮で知られていたようです。

 さて、ジークフリート牧歌におけるセバスチャンの指揮は、フランスのオケとは思えぬ重厚さを出すことに成功しているだけでなく、鈍重ではない快活さも併せて表現しています。テンポがさらに揺れ動く後半は、ただただ聴き惚れるばかりで、弦楽器のさざ波から管楽器のソロに受け渡される際のバランスの絶妙さも見事です。

 これを聴くとジークフリート牧歌はなんて面白い曲なのだろうと認識を新たにさせてくれました。

 なお、このディスクには、他に同じオケで「マイスタージンガー」前奏曲、「神々の黄昏」抜粋、バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団とで、ワルキューレの騎行、「ローエングリン」第1、第3幕への前奏曲が収録されています。どれも佳演だと思います。特に「マイスタージンガー」の堂々たる構えの大きい演奏は心打たれるものがあります。

 

■ 再びノイシュヴァンシュタイン城について:映画「ルートヴィヒ」

 

 ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ二世を描いた有名な映画が、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ルートヴィヒ」です。実際にノイシュヴァンシュタイン城を始めとした実際の城や宮殿でのロケもさることながら、王族や貴族という「文化」の終末をこの上もなく美しく描いた大作です。公開されたものは3時間版で「神々の黄昏」という副題が邦題につけられていました。実際にヴィスコンティが意図したのは4時間版で、これを復元したいわば「原典版」が日本でもDVDとして出ています。 

 この映画のルートヴィヒ二世の最後の台詞は「私は謎なんだ。そして永遠に謎であり続けたい。みなにとって・・そして私にとっても」というものでした。自分自身ですら、自分が何であるのかわからない、「謎」である。王と呼ばれ、尊ばれても自分がいかなる「王」なのかもわからない。生涯結婚せず、男色に走り、何が自分にとっての愛なのかもわからない。取り憑かれたようにワーグナーの音楽や、美を追求するも、本当に芸術をわかっていたのか?

 ルートヴィヒ二世は自分が何であるのかを突き詰めて考える内に、自身が謎そのものであることに気付いた人なのかも知れません。自分は謎である、だから誰にもわからない、そういう風に思っていたのかも知れません。あるいは彼が突き詰めた結論が「謎であり続けることを望んだ」からだったのかもしれません。人と会うことを嫌い、美に耽溺した彼は、自分自身からも目を背けて、判らないモノであり続けたいと望み、そうあり続けたのでしょうか。これは厭世とはまったく別のものであると思います。「謎」は解けない迷宮です。そこにいかに美しさが充満してようとも、解けない以上、不可解な、不気味な存在であり続けます。

 ノイシュヴァンシュタイン城は、だから謎の塊なのです。

 

■ 最後に、みたびサヴァリッシュ盤

 

  解説書の記載ではサヴァリッシュが企画した演奏会であるかようですが、この演奏会がどのような目的で行われたのか、なぜ15年以上も後になってCDとしてリリースされたのは、どういった理由であったのか、についての手がかりは見つかりませんでした。奇しくも私にとって謎の塊であるノイシュヴァンシュタイン城で録音されたディスクにも謎が残ったということになります。仮に上記の理由が分かったとしても、私にとってサヴァリッシュ盤は謎であり続けると思います。自分自身の思索の結果として、その謎についての答えらしきものに辿り着いたとき、きっと私はもう一度あの城に行きたいと願うことになると思います。

 

2007年9月7日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記