「わが生活と音楽より」
ユリ・ケインを聴く

文:ゆきのじょうさん

ホームページ WHAT'S NEW? 「わが生活と音楽より」インデックスに戻る


 
 

 拙稿「Winter & Winter レーベルを聴く」の末尾でも触れた、同レーベルの看板(?)アーティストの一人が、今回取り上げるユリ・ケインです。フィラデルフィア生まれの彼は、ジャンルとしてはおそらくジャズ・ピアニストになると思いますが、クラシック楽曲のいわばパロディ音楽を作っています。各々の作曲家に思い入れのある人でしたら、きっと怒り出すような作り方です。しかし、私はユリ・ケインの音楽に対する姿勢はむしろ大まじめなように思うので、今回取り上げる次第です。

 

■ 初級編

CDジャケット

ワーグナー・エ・ヴェネツィア

トリスタンとイゾルデ イゾルデの愛の死
タンホイザー 序曲
ローエングリン 第3幕への前奏曲
トリスタンとイゾルデ 第1幕への前奏曲
ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲
ワルキューレ ワルキューレの騎行
ローエングリン 第1幕への前奏曲

ユリ・ケイン・アンサンブル
録音:1997年6月6-9日、グランカフェ・クワドリ、サン・マルコ広場、及びメトロポールホテル、ヴェネティア、イタリア
独WINTER&WINTER (輸入盤 910 013-2)

 ワーグナーの楽劇からの有名曲を、2挺のヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノ、アコーディオンでサロン音楽として演奏するという趣向です。場所は「Winter & Winter レーベルを聴く」で採り上げた「ヴェネツィア・イン・フェスタ」と同じところです。チューニングから始まり、やおら「愛と死」が演奏されるのですが、これが甘く連綿としたサロン音楽になってしまっています。ワーグナーの音楽はドロドロした暗黒面を感じるのですが、ここではすっかり抜け落ちています。

 和声などからっきし無学な私が、勝手に考えるのに、元々のワーグナーの音楽は、基本的なハーモニー以外に間で様々な音が不協和音になる一歩手前で蠢いている作り方になっているのではないかと思います。唯一演奏した経験があるのは「ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲」でのセカンド・ヴァイオリンですが、自分のパートだけでは何を弾いているのか分からなかったので、理論は分からなくてもそんな部分があるのだと思いました。

 それにしても、屈託のない悩みも何もないようなワーグナーです。タンホイザーも陽光の下で燦然としているようですし、ローエングリン第3幕への前奏曲は軽快なダンス音楽です。最後に鐘の音とともに結婚行進曲のさわりが入るのもお洒落です。トリスタンとイゾルデ第1幕への前奏曲も甘いムード満点な曲となっています。

 ここでのユリ・ケインは、後のディスクにみられる「毒」が希薄です。だからこそ、一番聴きやすい一枚となっています。その中でもワグネリアンにとって一番、毒があるのが、「ワルキューレ」でしょうか。これでは天馬に乗っているようにはちっとも思えず、ポニーにでも騎乗しているような感じです。

 演奏家の技量は素晴らしいものです。深刻さなど皆無な美しさだけを追求したヴァイオリンの音色はほれぼれいたします。

 

■ 中級編

CDジャケット

原光 

交響曲第5番から 第1楽章「葬送行進曲」
「子供の魔法の角笛」から 少年鼓手
「亡き子をしのぶ歌」から いま太陽は輝き昇る
「亡き子をしのぶ歌」から ふと私は思う,あの子たちはちょっと出かけただけなのだと
交響曲第1番「巨人」から 第3楽章
交響曲第2番「復活」から 第4楽章「原光」
「さすらう若人の歌」から けさ野辺を歩けば?交響曲第2番「復活」第2楽章アンダンテ・モデラート
交響曲第5番から 第4楽章アダージェット」
「大地の歌」から 春に酔える者
「子供の魔法の角笛」から だれがこの歌を作ったのだろう
「大地の歌」から 告別

ユリ・ケイン・アンサンブル
録音:1996年7月3-6日、バウエル・スタジオ、ルートヴィヒスブルク
独WINTER&WINTER (輸入盤 910 004-2)

 前のワーグナーより前に制作されたアルバムです。おそらくこのシリーズの第一弾だと思います。メンバーはドラム、ソプラノ・サキソフォン、ギター、ヴォーカル、クラリネット、ピアノ、トランペット、ヴァイオリン、トロンボーン、DJターンテーブルで、曲によって編成を変えています。

 最初の第5の「葬送行進曲」からしてマーラー好きなら「ふざけているのか」と怒り出すでしょう。マーラーの音楽がまったくの別物になっています。ただの三拍子のサロン音楽のようでもあり、民族音楽のようでもあります。トランペットの汚い音色は誠に挑戦的です。「少年鼓手」や「巨人」「告別」は中東の音楽(ユダヤの民族音楽なのでしょうか?)になっており、原光やアダージェットのように比較的“まともな”編曲もありますが、一方で「ふと私は思う,あの子たちは・・」や、「けさ野辺を歩けば」は“立派な”ジャズ音楽になってしまっています。「いま太陽は輝き昇る」では妙な電子音楽や人の声が入って耳障りなことこの上もありません(笑)。

 何とか聴き通してみると、マーラーの土臭さのようなものが感じられるディスクであると思いました。マーラーの音楽の輪郭の塗り絵に、極彩色で塗りたくったように感じますが、結局、マーラーという音楽家は土臭いのだな、と思わせられるものです。

次は、もっとも毒のあるアルバムです。

 

■ 上級編

CDジャケット

J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲

ユリ・ケイン・アンサンブル
録音:1999-2000年、ケルン、ルードヴィッヒスブルク、ブリオスコ、ニューヨーク他
独WINTER&WINTER (輸入盤 910 054-2)

 総演奏時間2時間34分余の2枚組CDです。最初のアリアは至極正攻法ですが、ピアノとヴィオラ・ダ・ガンバによる第2変奏、ハープシコード、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・トランペット、ヴァイオリンによる第3変奏から妖しくなり、以後はゴールドベルク変奏曲とは「直接」関係のない、うめき声のようなヴォーカルの入る合唱や、ブルース、電子音楽などが続いていきます。やっと出てくる本来の変奏部分も様々な楽器群で行っており、曲順も入れ替えたりしています。「直接」関係のない曲の中には聴き続けることが難しいものもあります。また、ラフマニノフ、ヴィヴァルディ、ヴェルディ、モーツァルト、バッハ、ヘンデル、といった作曲家の名前を冠したパロディものや、ワルツ、ハレルヤ、コラールというタイトルのものもあり、ジャズやゴスペル、タンゴ、ボサノバ、民族音楽等々何でもござれの総計72曲。最後の方になるとどんちゃん騒ぎも聴かれます。「ユリ・ケイン・アンサンブル」となっていますが、ジャケット裏表紙に登場する演奏家(団体)は合わせて41に及びます。

 これを“正統な”クラシック音楽の文脈で捉えることはまず不可能でしょう。おふざけにも程があるという人がいても当然です。アルバムにはユリ・ケインがどういう意図で制作したのかは書いてありませんから、音楽のみで想像する他ないのですが、私はゴールドベルク変奏曲を狂言回しにして「音楽すべてが一つのものからの変奏に過ぎない」と言いたいように感じました。それぞれの曲はまったく一貫性のないようなものに聴こえますが、根底は同じ仕掛けが施されているのではないかと素人ながら邪推してしまうほどの構成力を感じました。

 しかし、これは全くもって人にはお勧めできないディスクです。聴くのでしたらスピーカーから流すのはやめたほうが良いと思います。家族や近所からクレームがつくのは必至ですから。ヘッドホンで一人でひっそり聴いて、時々にんまりしていただきますように。

 

2007年5月8日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記