ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?
2000年9月

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CD9月29日:CD試聴記に「ノイマンのマーラー交響曲第5番を聴く」を追加しました。有名なチェコフィルとの録音ではなく、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管との演奏です。そのわけは....。


CD9月28日:寝る前に聴く音楽

オペラに行って以来、突如コンサートに関心を持った女房さんが先週買ってきた「音楽の友」。私がこの本を手にするのは10数年ぶりだったのですが、いつの間にか充実した紙面になっていますね。かつてはコンサート情報が載っているだけの本だったような気がするのですが、それでは幅広い読者を獲得できないのか、興味深い読み物が満載されています。女房さん、これからは毎月買ってくると言っていますから、楽しみであります。

ところで、内容に関してですが、コンサート関係の話題以外では、ギュンター・ヴァントに関する一文が私を捉えました。岸浩さんによるギュンター・ヴァントの評伝”So und nicht anderes”の紹介文です。そこに大変短いのですが、うーむと唸らせられる内容が書いてあるのです。「ヴァントは就寝前にしばしば夫人とシューベルトの交響曲第2番から第2楽章を聴くという。」とあります(p.154)。

さて、皆さん、シューベルトの交響曲第2番を無視しておられたりしませんか? 私も最近まで高く評価していなかったので、偉そうに言えないのですが、名曲ですね。残念なのは、全集を作る指揮者でもなければあまり録音しないことでしょうか。この曲は1815年、シューベルト18歳の時に作曲されました。第1交響曲と同様、若書きといえば若書きで、モーツァルトやハイドンの影響が強い作風です。ですが、第1番も第2番も、シューベルトらしい旋律美に溢れている上、交響曲らしいダイナミックさも併せ持っている名曲です。シューベルトの初期交響曲の中にベートーヴェンのような新しさなどを探すのは難しいかもしれませんが、聴いて楽しい、美しく感じるという意味では二重丸の作品でしょう。特に第2番の第2楽章は変奏曲形式が取られた名曲だと思います。ブルックナーの圧倒的な演奏で知られるヴァントが、就寝前、しかも夫人と一緒に聴く音楽がシューベルトのこの曲だというのは、何とも微笑ましいことだなと私は思います。

ヴァントが聴いているのは、おそらく自分が演奏した録音だと思います。「これはぜひ聴いてみたい」と思った私は自分のCD棚を見ましたが、残念ながら、ヴァントの録音による第2交響曲はありませんでした(T_T)。出てきたのは、交響曲第3番の録音です。これはヴァントが北ドイツ放送響を指揮したもので、カップリングはシューマンの交響曲第3番「ライン」であります(1992年録音、BMG 09026 61876 2)。私は「別の曲だが、これを聴いて想像するしかないな」と諦めて聴き始めました。ところが、買ってきた時には「やや枯れた演奏だな」などと思ったのですが、今聴いてみると、シューベルトの歌がにじみ出てくるようなすばらしい演奏ではありませんか! オケの音色もきれいに収録されていてとても楽しめました。こんな良い演奏をしているとなると、件の第2番も十分期待できるというものです。ぜひ探し出して聴いてみたいものですね。

ところで、ヴァントの演奏に対して私はひとつだけ不満を持っていました。それは、あまりにも遊びがなさすぎる、ということでした。何でも、ヴァントは、楽員が勝手に音楽を解釈して、それぞれの色を付けることを極端に嫌うそうです。楽譜が全てであって、それ以外のことは一切してくれるな、というわけですね。それが高じますと、遊びも何もない、実にお堅い演奏ができあがるわけで、私は時々窮屈に感じていました。しかし、窮屈なはずのヴァントのシューベルトを聴いて、「これはすごい!」と改めて感じるのですから、どういうことなのでしょうか? もしかしたら、ヴァントの最も重要な音楽作りを私は聴き逃していたのかもしれません。何だか恥ずかしいお話であります。

なお、今回何種か聴き比べしましたが、私の手許にある第2交響曲のCDで、最もお薦めなのはやはりこちらでした。


CD9月27日:「200CD ウィーン・フィルの響き」

立風書房から「200CD ウィーン・フィルの響き」(岩下眞好・佐々木直哉編)が発行されました。本の帯に付いている売り文句を転記いたしますと、こんな内容です。

超オーケストラ=ウィーン・フィル 至上のアンサンブル 音楽を聴く喜び!

特別付録「お宝ディスク・ガイド」

うーん、面白そうですねえ。すぐに読みたくなるでしょう? この本、ネット界では既に大評判になっております。なぜかといいますと、編集者にウィーンフィルを専門に扱う超有名サイト「フォルカーの部屋」の佐々木直哉氏の名前がクレジットされているからであります。

佐々木氏は、今や「フォルカー」というハンドルネームが日本中で通用するほどのウィーンフィル・マニアです。そのホームページ「フォルカーの部屋」は、ウィーンフィルに取り憑かれた男による、ウィーンフィルに対する愛情に満ちあふれています。情報のはやさと分析の面白さ、深さはよく知られており、毎日このページをチェックする読者もかなりの数に上るようです。

同級生の彼は、子供の時からホルンを吹いていました。今でも複数(実態不明。5〜6か?)のオケに在籍し、演奏を楽しむオケマンであります。「フォルカーの部屋」が面白いのは、彼の文章には常に演奏家としての視点があるからで、私のように楽器をまるで扱えない人間の書いたものとは深みが歴然と違っています。私はいつも感心しながら彼のページを読んでいるのですが、ふと考えてみますと、彼は音楽を職業にしてはいないのであります。ご存知の方も多いでしょうが、彼は、とあるIT関連企業に勤める普通のサラリーマンなのです。すごいですねえ。「200CD ウィーン・フィルの響き」も、執筆陣はほとんどが音楽関係の仕事に携わっておられる方です。その中に混じって、というより編者になって本を出すというのは普通では考えられないことです。サラリーマンをしながら、ここまでの快挙を成し遂げてしまった佐々木氏には驚くばかりです。

以前彼と話をしていた時のこと。彼がこんなことを漏らしたことがありました。曰く、「最近、音楽に対する思い入れが足りない....」。私は自分の耳を疑いました。毎日ウィーンフィルの情報を集めてホームページ上で公開し、さらに、少ないとは決して言えない数のオケの練習をこなす佐々木氏は、私からみれば音楽漬けといってよく、その彼が「音楽に対する思い入れが足りない」などというのは、どういうことなのかと思ったものです。しかし、そこまで音楽に対して真摯に向かい合っているからこそ、あのすばらしいページがあるのであり、「200CD ウィーン・フィルの響き」ができたのだと思います。今回の出版は彼の努力の賜なのです。

本の内容は、佐々木氏が担当したところは相変わらずのフォルカー節で、ウィーンフィルの良さを分かりやすく記述してあります。全体的に、取り扱っているCDはメジャーなステレオ録音が多く、「これを聴いてみたい」と思ってCDショップに行けばすぐ手に入るものが多いようです。巻末には演奏家別、作曲家別の索引も付いています。丁寧な本の作り方なので感心しました。とてもお薦めの本です。定価は1,900円。読んで面白く、ためになること間違いなし。小さな書店ではあまり見かけないので(^^ゞ、大手CDショップに走るべし。

そうそう、この本を読んで、私も負けずに、趣味を徹底的に追求することに決めました! どうしても彼は私を悪の道に引きずり込まねば気がすまないのでしょうか?


CD9月26日:趣味とは何か?

CDジャケットシューマン
ゲーテの「ファウスト」からの情景
アバド指揮ベルリンフィル
テルツ少年合唱団、スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団
ブリン・ターフェル、バーバラ・ボニー、ほか
録音:1994年6月5-7日、ベルリン・フィルハーモニー
SONY CLASSICAL(輸入盤 S2K 66 308)

私は少なからぬ時間をホームページ更新に費やしているので、女房さんからは苦情を言われ続けています(T_T)。「ホームページなんか作って一体何になるの?」というのが女房さんの言い分です。そんな疑問・不満が出るのも、ごもっともです。なぜなら、ホームページを作ったところで、実際、何にもならないのであります! このページは私がクラシック音楽を聴いた記録であり、私のクラシック音楽学習経過記録でもあるのですが、それによって家族が恩恵を受けることは全くありません。私が得をしたということもありません。私は営利目的でクラシックを聴く気などもさらさらありませんから、時々舞い込んでくるバナー広告の案内も全部ゴミ箱に捨てています。趣味でやっているのですから、当然です。

私は趣味というのは「無駄使いをすること」だと考えています。何を無駄使いするかと言えば、時間、お金、労力などです。開き直ってしまいますと( ̄^ ̄)、それらを無駄にするから楽しいのであって、趣味によって余暇が増えるとか、お金が儲かるとか、ましてやリラックスできるなどと言うことはあり得ません(私だけかな?)。何らかを犠牲にしてなお、個人的には最高の歓喜を得られるからこそ趣味を継続できるわけです。

クラシック音楽には長大なものが多く、そのため多くの時間をかけねば楽しめないものもあります。また昔話ですが、私が高校生の頃、シューマン作曲による<ゲーテの「ファウスト」からの情景>がサヴァリッシュ指揮N響で日本初演されたことがあります。調べてみると、この曲は演奏に2時間もかかるそうな。既に大曲マニアであった私は、サヴァリッシュの演奏がNHK-FMで放送されることを知ると、必死にエア・チェックを行い、2時間にもわたる<「ファウスト」からの情景>を繰り返し聴き始めました。もちろん、このようなことを毎回繰り返していては、学業になど身が入るはずもありません。学業よりクラシック音楽鑑賞を優先してしまった私は、ついに大学入試に失敗し、浪人となってしまいました(^^ゞ。

しかし、そこまでクラシック音楽が身体にしみ込んでしまいますと、もはやクラシック音楽を聴かずには生きていけません(^o^)。クラシック音楽を聴くと、たまに涙が出るほど感動するときがあり、それだからこそまた聴きたくなるのです。その「たまに」ある瞬間を模索するのが趣味の過程でして、それは壮大な無駄使い以外の何ものでもありません。ですから、私は何にもならないことに時間、お金、労力をつぎ込むことに全く疑問を感じないのであります。

ところで、話は大きく変わります。かつて私が聴き続けた<「ファウスト」からの情景>ですが、今やデジタル録音による優れた演奏が出回っていますね。大曲ですが、演奏効果が上がらず、とても地味な存在だったこの曲ですが、読書及び文学に異常な関心を寄せるアバドや声楽作品に絶妙の冴えを見せるヘレヴェッヘのCDが店頭に並んでします。ネットで検索すれば、もっとたくさんのCDが出てくるかもしれません。

シューマンは<「ファウスト」からの情景>作曲に10年を費やしたと言われています。第3部には「ファウストの浄化」が描かれています。ここは、あのマーラーが交響曲第8番第2部で扱ったのと同じ場所です。シューマンはある時はオラトリオ風に、ある時はリート風に、ある時は受難曲風に各場面を書き分けていますが、この曲で最も特徴的なのは「神秘の合唱」のまさに終結部分であります。マーラー、その他の作曲家が壮大なフィナーレを作ったのに対し、シューマンの音楽では消えゆくように描かれています。これでは2時間に及ぶ苦節を忍んだ聴衆はカタルシスをほとんど感じられないと私は思うのですが、ゲーテの「ファウスト」を読んでいくと、ここはファウストが昇天していく様を表していて、どんちゃん騒ぎをする場所では決してないと思います。子供の時にもシューマンの「情景」がかなりゲーテの原作を忠実に反映しているのではないかと私は感じていたのですが、最近聴いたアバド盤でその時と同じようにシューマンの慧眼に感心しました。ご興味のある方は、長い曲ではありますが、一度お試し下さい。私はこのアバド盤を3度も聴いてしまいました。もちろん、これも時間の無駄遣いでありますね(^o^)。また女房さんに怒られそうです。


CD9月25日:CD試聴記<「英雄の生涯」を聴きまくる>シリーズに【ウィーンフィルに聴く「英雄の生涯」】を追加しました。

え?まだこんな企画があったのかって? あったんですよ(^^ゞ。実はこのシリーズは、ウィーンフィルの録音を聴き比べしたところから思いついたものでした。そのため、ウィーンフィルなしで終わることはできないんです。ということで今回はクレメンス・クラウスの登場です。


CD9月24日:「みずなの成長日記」を久しぶりに更新しました。作者の女房さんが多忙だったため、3ヶ月間の空白がありました。その間にみずなも大きく成長しました。典型的な親バカページですが、見てあげて下さいね。

ところで、先週オペラに行って興奮した女房さん、ついにコンサート情報誌「音楽の友」を買ってきました。私も「音楽の友」を手にしたのは久しぶりです。「めぼしいコンサートに印を付けてくれ」というので、大量に○をつけておきました\(^o^)/。オペラに巨額の投資をした甲斐があって、女房さん、すっかりクラシック音楽に目覚めてきたようです。よかったー。これで家庭内闘争は一挙に解決か?


CD9月22日:CD試聴記、昨日の更新内容に「付録」を追加しました。今日のはマゼールのゴージャスな演奏です。うーむ、私は本当にしつこいですねえ。

ところで、正常モードによる更新を再開してから2週間。扱った内容といえばハイティンクの演奏と、マーラーの交響曲第8番でした。前者はあまりぱっとしない音楽家のためか、読者からの反響もまるでなく(^^ゞ、作者としてはちょっと寂しい思いをしたのですが、私自身はますますこの謎の指揮者を研究したくなってきました。読者はしつこくてうんざりしたかもしれませんが、私はもっと長期のシリーズにすれば良かったとまで思っています。例えば、ハイティンク若かりし頃の録音をいくつか取り挙げるべきでした。

実際、ハイティンク30歳前後の録音を聴くと、「えっ!?」と驚かされる時があります。例のDutch Mastersシリーズで発売されたドヴォルザークのCD(交響曲第7,8番を含む。PHILIPS、462 077-2)は、「これがあのハイティンクか?」と思わせるに十分なものでした。Dutch Mastersシリーズはどこでも簡単に手に入るCDでもありませんから、これ以上深入りするのは問題があるだろうと勝手に判断して掲載を取りやめましたが、お薦め盤です。大手のCDショップに行く機会のある方は、是非お試し下さい。

マーラーの交響曲第8番についても、もっと徹底的にやりたいところなのですが、何しろ、大曲中の大曲なので、そうそう家の中で聴くことができません(T_T)。「ホーレンシュタインの演奏もお忘れなく!」というメールも頂きましたが、ホーレンシュタインまで扱えなかったのは、家庭内の事情だとお察し下さい。個人リスナーの限界ですね(^^ゞ。そのうちにまたトライできるでしょう。


CD9月21日:CD試聴記に「小澤征爾が与える感動」を追加しました。

曲はマーラーの交響曲第8番です。またマーラーの8番かって? 私はしつこい性格なので何卒ご容赦下さい<(_ _)>。なお、一部宇野功芳的表現もあります。ちょっと気恥ずかしいです。


CD9月20日:本日は2部構成です。

その1:疑問解決

クラシックのCDを蒐集しておりますと、いろいろな疑問に突き当たります。私の疑問盤には、カラヤンがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した「ニュールンベルクのマイスタージンガー」全曲録音(EMI、1970年録音)がありました。何が疑問かといいますと、「なぜカラヤンがカペレで?」ということでした。カラヤンがカペレを指揮したスタジオ録音盤はこれ以外ないからであります。

:指揮する機会はありました。例えば、カラヤンはカペレとザルツブルク音楽祭でシューマンの交響曲第4番及びバルトークのピアノ協奏曲第3番(ピアノ:ゲザ・アンダ)を演奏しています。それはDGからCD化されてもいます(1972年8月13日録音、DG 447666-2)。

スタジオ録音、しかもオペラ全曲盤ともなれば、普通はカペレと何らかのつながりのある指揮者が録音を行うのですが、上記ザルツブルク音楽祭で指揮した以外ではカラヤンがカペレを指揮したという話を私は聞いたことがありません。ガイドブックなどでは「カラヤンがカペレを選んだ」というように書いてありますが、私はどうも腑に落ちませんでした。そんなことを考えていましたら、レコ芸10月号に完全な回答が載っているではありませんか! これにはびっくり。「因縁の1枚」と称する山崎浩太郎さんの文章を引用いたしますと、こうなっております。

 いったい、この録音はどうして生まれたのか。

 謎の答えは、いつものことながら、意外なところにあった。今月の「海外盤試聴記」を書くためにバルビローリの伝記(ケネディ著)を読んでいたら、こんな文章が出てきたのである。

「六八年のこと。バルビローリは、クーベリックが音楽家たちにあてた嘆願書に賛同した。それは『プラハの春』事件でチェコを蹂躙したソ連を支持する東側諸国では、演奏しないでくれというものだった。賛意を潔くあらわすためにバルビローリは、EMIが東ドイツのレーベルと共同で計画していた、ドレスデンでの【マイスタージンガー】全曲録音のチャンスを、自ら放棄することになった。」

レコード芸術2000年10月号、p.316

なるほど。カラヤンはバルビローリの代打として録音セッションに臨んだというわけでした。うーん。私は、失礼ながら「レコ芸は今やカタログとしての価値しかないな」などと思っていたのですが、こんな情報があるのなら、やはり貴重であります。カラヤンの「マイスタージンガー」は同曲のベスト盤として名高いですが、これがカラヤン手兵によるものではなく、ほとんど縁のなかったカペレとの共同作業であったことは何とも皮肉であります。カラヤンはその後に「マイスタージンガー」全曲を録音していませんから、帝王もこの録音には満足していたのでしょう。

ところで、当初はバルビローリが指揮台に立つはずだったとありますが、それが実現したら、それはそれで貴重な録音になったであろうことは間違いありません。バルビローリのオペラ全曲録音は数えるほどしかないばかりか、カペレとの録音は一切ないからであります。バルビローリの所属していたEMIが、カペレとその後にも録音計画を持っていたのかもしれませんが、そちらも聴いてみたかったですね。

その2:女房、オペラに行く

昨日、女房さんが会社の音楽同好会、その名も「ムジークフェライン」の仲間と連れだってミラノ・スカラ座来日公演に出かけました。出し物はムーティ指揮のヴェルディ「運命の力」。女房さんは、妊娠してから娯楽らしい娯楽とは無縁だったので、今回は私がみずなと留守番し、女房さんに行ってもらったのであります。女房さんはオペラを聴くのは8年ぶりとあって、興奮していたようでした。私のCD棚からシノーポリ指揮フィルハーモニア管のCD(85年録音、DG)を取り出し、台本とつき合わせるという予習をしてから出かけました。当日は「運命の力」を略して「ウンリキ」と呼ぶ有様です。すごいですねえ(◎-◎)。

さて、上野の東京文化会館から帰ってきた女房さんに公演内容を聞いたところ、「舞台がすごかった」、「テノールがずんぐりしていた」、「ムーティを見た」、「小泉純一郎がきていたらしい」とかおよそ音楽とは関係のない内容ばかりを話します(^^ゞ。多分そんなことだろうと予想はしていたのですが....。やむを得ませんねえ。女房さんにはちょっと渋いオペラだったかな? もっとも、オペラは視覚に訴える部分が極めて大きいですから、演出などを鑑賞することも楽しみのひとつであります。

ただ、今回のオペラ鑑賞会は思わぬ効果がありました。コンサートの雰囲気を思いだした女房さん、すっかりコンサート好きになったらしいのであります。それも私のように交響曲や管弦楽曲を聴きたいというのではなく、オペラやソプラノによるオペラ・アリア・リサイタルなどに行きたいと言い出しました。今日はコンサート情報を一所懸命に調べています。むふふふ....( ̄ー ̄) ニヤリ。

これは大助かりです。女房さんがクラシック音楽に少しでも興味を示してくれれば、今までの激烈な家庭内闘争も終結するかもしれません。願わくば、もう一度「ムジークフェライン」の方にオペラ公演に連れていってもらいたいものです。「ムジークフェライン」の方、万が一このページを読んでおられたらよろしくお願いしますね<(_ _)>。家庭内闘争の行方は「ムジークフェライン」にかかっているようです。


CD9月19日:CD試聴記に「ハイティンクの深淵 余録」を追加しました。

昨日でハイティンクシリーズはいったん止めておこうかと思ったのですが、やはりハイティンクのベートーヴェン全集について一言書いておきます。なお、本日の文章で、本当に書きたかったことは....。


CD9月18日:CD試聴記に「ハイティンクの深淵 後編」を追加しました。

題のわりには大したことない内容になってしまいました(T_T)。もう少し長い連載でやったほうが良かったでしょうか? うううう。


CD9月17日:「私のカペレ」に第5回「グールドさん」と第6回「ゆきのじょうさん」からの投稿を追加しました。皆様からの投稿をお待ちしております。

なお、ゆきのじょうさん紹介のCDは、時々店頭で廉価で販売されています(780円とか!)。録音も上質で、リハーサルながら演奏も極上。見つけたら、必ず買って下さい。ケンペ&カペレの最高傑作というファンもいます。


CD9月15日:CD試聴記に「ハイティンクの深淵 中編」を追加しました。

今回のCDは盛り沢山すぎて内容を語り尽くせません(T_T)。これなら、さらに内容を分割したほうが良かったかもしれませんね。しかもハイティンクについてはもっと書きたいことがありますので、次回「ハイティンクの深淵 後編」でも完結しそうにありません。そのうちに大特集を組みましょう。え?ハイティンクなんぞに興味がない? ...うーむ。意外に面白いと思うんですが...。

なお、みずなはやっと平熱に戻りました。皆様、ご心配をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。


CD9月14日:お詫び

本日はみずな急病のため、更新できませんm(__)m。一昨日から高熱を発し、夫婦で看病しておりますが、まだ熱が下がらず、大泣きします。CD試聴記の更新は明日までお待ち下さい。何卒よろしくお願い申しあげます。


CD9月13日:千人の交響曲 その2

昨日の続きです。マーラーの交響曲第8番は「千人の交響曲」などというニックネームをつけられたがために、巨大さばかりが取り沙汰される曲になっています。しかも、実際にマーラー自身が「宇宙が鳴り響きはじめるのを想像して下さい」などと友人への手紙にも書いたものですから、誰もが物量投入・阿鼻叫喚スタイルを当然のものとしてしまいます。でも、反論を承知であえて書いてしまいますと、作曲家が常に正しく自分の音楽を評価しているわけではないのです。芸術はひとたび作者の手許を離れたら自分のものではなくなる場合もあるのです。解釈はそれを鑑賞する人に委ねられるものだと私は考えます。ですから、私は全体の大部分をなす第2部を「室内楽的」と評して憚らないのであります。

交響曲第8番は、初演時の所要人数から「千人の交響曲」という名前が付けられましたが、別の名前であったら、鑑賞する方も随分聴き方が変わったのではないでしょうか。例えば、こんなのはどうでしょう。

交響曲第8番「賛歌及びゲーテの<ファウスト>から終幕の場」

これは内容そのままですが(^^ゞ、かなり印象が違いますね。この表記であれば、「阿鼻叫喚でなければ」などという先入観なしの、まっとうな鑑賞が可能なのではないでしょうか。さらに一歩進めますと、ニックネームあるいは副題は不要です。「交響曲第8番変ホ長調」だけの方が意味深そうで好感が持てます。商業ベースのニックネームは鑑賞上、百害あって一利なしです。妙なニックネームさえなければ、過剰な期待を持たないで音楽が聴けるはずです。一度頭を白紙にするべきでしょう。

さて、私が最初に聴いたマーラーの交響曲はこの第8番でした。高校1年の時です。まだベートーヴェンの交響曲は第5,6,7,9番しか聴いたことはなく、ブルックナーもR.シュトラウスもほとんど聴いたことがありませんでした。もっと白状してしまえば、モーツァルトの交響曲は1曲も聴いたことがありませんでした(◎-◎)。そんな子供が「千人の交響曲」というニックネームにつられてこの曲のLPを買い込んだことは事実であります(クーベリック盤でした。文字どおりすり切れるほど聴きました)。しかし、子供の私はその後しばらくの間、「千人」のイメージが強すぎて、どの録音を聴いても物足りないと感じるようになってしまったのであります(T_T)。ですから、この曲を聴いて「馬鹿馬鹿しい」とか「感動したことなど録音、生を含めて一度もない」と公言する人が現れてもその気持ちをよく理解できます。

そんな不感症は、私が30代になり、テンシュテット指揮ロンドンフィルによる超名演(EMI、86年録音)を耳にするまでずっと続きました。テンシュテット盤は大きなスケールをもった演奏でありますが、巨大趣味には陥っていません。逆に、第2部では考え得る最高の音楽を信じがたいほどの静寂の中で創り出しています。この録音を聴いて私の「第8番観」は一変しました。本当に精緻な室内楽を聴いているようで、すばらしいですよ。さらにファウストが昇天するまで音楽が大きく成長し、うねっていきます。それまでの偏見や先入観はあっという間に取り除かれるでしょう。皆様もお試しあれ。


CD9月12日:本日は2部構成であります。

その1:千人の交響曲

昨日取りあげたマーラーの交響曲第8番は、「千人の交響曲」と呼ばれていますね。初演の際、文字どおり千人で演奏したからですが、期待に反して?、最初から最後まで千人が演奏に加わり、阿鼻叫喚の修羅場的サウンドを創り出しているわけではありません。そりゃ、そうすれば歴史に残る珍曲として語り継がれたでしょう。が、マーラーが合唱からオケまで物量を惜しみなく投入したのは第1部のわずか20分程度です。そこだけは「千人の交響曲」のニックネームにふさわしい騒々しさですね。ところが、ご存知の通り、第1部の後には長大な第2部があります。ここは阿鼻叫喚どころか、しばらくの間は静寂の音楽です。合唱や独唱が入ってきてからも、騒々しい音楽にはならず、ゆっくりと時間をかけて神秘の合唱まで登り詰めていきます。この第2部はあまりに長大なので、ちょっと分かりにくいかもしれません。「千人の交響曲」は何が何だかよく分からない、と言う人に何人か出会ったことがあります。昇天の音楽ですから、さすがのマーラーも10分や20分程度の長さでは書ききれなかったのでしょう。

ところで、この第2部は、ひとたび聴き馴染んでくると、その美しさに痺れてきます。最もごった煮的イメージであるはずの「千人の交響曲」ですが、第2部はむしろ室内楽的な音楽です。そう思いませんか?私は商業ベースのニックネームが少なくとも第2部にはまるで合致しないことにいつも違和感を感じています。室内楽的音楽であるのに、「千人の交響曲」と名前がついていれば、要らざる先入観をもって聴いてしまうこともあるでしょう。ニックネームがあればその曲を特定するのに便利だったりしますが、下手な先入観を与えるという意味ではあまり良いことではないのではないでしょうか。

なお、昨日紹介いたしましたハイティンクの「千人」ですが、あえて大音量で聴かなくても楽しめるはずです。「<千人の交響曲」なんだから、部屋を揺るがす大音響で聴かなければつまらない>という向きもあるかと思いますが、そんなことは決してないのです。室内楽を部屋を揺るがすような大音響で聴く人がいないのと同じでしょう(いたりして?)。PHILIPSの録音スタッフもその点をよく理解していたのか、小音量で聴いても不満を感じさせない立派な録音に仕立ててあります。

その2:家庭内闘争再燃か

先日、こんなものを買ってしまいました。

DVDジャケットLive Concert from the Semper Opera Dresden
ヴィヴァルディ:バイオリン協奏曲RV.577
ウェーバー:祝典序曲
ワーグナー:歌劇「リエンツイ」序曲
R.シュトラウス:アルプス交響曲
シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1998年9月22日
ARTHAUS MUSIK(輸入盤 DVD 100029)

実はこれ、カペレ450周年記念コンサートの模様を収録したDVDなんです(2,800円)。え?何が問題かって?...ううう、大きな声では言えないのですが、私はDVDプレーヤーを持っていないんです(T_T)。プレーヤーも持っていないのに、DVDのソフトを買ってもしょうがないのですが、カペレのDVDがメジャーになるとは到底考えられません。すぐに廃盤になりそうな気がしたので「今見なくてもいいや」と思い、慌てて買ったのであります。とはいえ、ひとたび手にしてみると、やっぱりすぐに見たくなりますね!

そうなりますと、DVDプレーヤーがどうしてもほしくなります。しかし、先日女房さんにやっと新しいPCを買ってもらったばかりです。これでDVDプレーヤがほしいなどと言い始めたら、鬼のように怒って八戸の田舎に帰ってしまうのではないかと思われます。DVDのオペラ・ソフトもまださほど安くなってきているとは言い難いようですし、説得は困難を極めるでしょう。さあ、困った!皆さん、家庭内闘争を勝ち抜くための良い方策はないものでしょうか?


CD9月11日:通常更新モードを再開しました。1ヶ月続けた夏バテモードは、当初の予定を上回る手の入れ方をしましたので、実は夏バテ解消にはあまりなりませんでした(^^ゞ。が、少し涼しくなってきましたので、これからがクラシック音楽鑑賞の本番。今後はもっと気合いが入るのであります。乞うご期待です。

というわけで、今日はCD試聴記に「ハイティンクの深淵 前編」を追加しました。


CD9月10日:小話3つ

その1:新しいPC

やっと新しいパソコンが昨日届きました。夫婦とも土日しか家にいないため、注文してから手にするまで丸2週間かかりました。昨晩は古いPCから新しいPCにデータの移し替えを行い、設定をし直し、動作確認をしたところで12時。ヘトヘトになって寝てしまいました。PCを買うのはこれが4台目で、何度も設定を行っているのですが、相変わらず面倒なものです。ソフトのインストールの順番もあるようで、スキャナーをなかなか認識してくれないというトラブルにも遭遇しました。

さて、今度のPCは、CPUが700MHz、ハードディスクの容量が20.5GBという途方もないスペックです。昨日まで使っていたPCのCPUがわずか167MHzであったことを考えますと、雲泥の差ですね。ソフトウェアの起ち上がりが瞬時ですし、さすが最新式のPCは気持ちがいいです。でも、年末には1,000MHzのCPUを持つPCが7万円程度で買えるようになるかもしれません。PCの世界における陳腐化のスピードには呆れるばかりです。このPCも、何とか3年は持たせたいと思うのですが、大丈夫かな?

その2:アウトドアーな人々

我が家のみずなは今日で1才と1ヶ月。家の中をドタドタバタバタ走り回っています。しかし、住まいはマンションの片隅ですので、とても狭い上、階下の住人に迷惑がかかりますから、みずなを好き放題に遊ばせておくわけにはいきません。さはさりながら、子供は暴れたがっています。というわけで、今朝は親子3人、車で15分ほどのところにある河畔の大公園に繰り出しました。公園の広い敷地には芝生が植えられており、子供が駆け回るのに最適です。靴を履いて歩けるようになったみずなは大喜びで公園を歩き回りました。

ところが、10時を過ぎますと、家族連れがぞろぞろ。しかも、みんな持ち物がすごいんです。巨大なテント、立派なバーベキューセット、大人数が一緒に座れる大きなテーブルなどを持ち込み、盛大なパーティの準備にかかります。私ども親子は一畳分程度しかない小さなレジャーシートにちょこなんと座り、麦茶なんぞを飲んでおりましたので、呆気にとられるばかりです。11時頃には私ども家族以外は大バーベキュー大会に入り、牛肉が焼ける臭いが四方八方からしてきました。ついに居たたまれなくなった私どもはショボショボしながら帰ってきたのであります。それにしても、みんな装備がすごいですねえ。一体あんな大道具をどこにしまっているんでしょうか。狭いマンション暮らしをする私には不思議でなりませんでした。

その3:ファースト・チョイスはどのオペラ?

クラシック音楽に「オペラ」というジャンルがありますが、オペラを聴くのはクラシックファンの何割くらいの人でしょうか? もしかしたら、かなりクラシック音楽を好きな人でも、オペラは例外としている可能性があります。もったいないですね。でも、私だって10代の頃はそうでしたし、20代の前半も特に好きではありませんでした。劇場に行ってオペラを見ることができなかったからであります。視覚を伴わないオペラ鑑賞はちょっと物足りない場合もあるでしょう。そうはいいましても、音楽雑誌を読んでおりますと、優れたオペラの録音が次から次へと発売されているようでした。「せっかくだからオペラも聴いてみよう」と思った私が最初に購入したドイツオペラの録音は、バーンスタイン指揮バイエルン放送響によるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でした(81年録音、PHILIPS)。レコ芸などで絶賛されていたので、「これなら失敗はないだろう」と思って買ったのであります。

しかし、ドイツオペラは初めてです。ましてやワーグナーも初めてです。そういう超初心者がいきなり「トリスタン」のCD、それも、よりによって最も濃厚かつドロドロ演奏のバーンスタイン盤を選んでしまったのですから、結果は惨憺たるものでした。私はそれ以来、しばらくドイツオペラに興味を持てなくなってしまったのです。「トリスタン」を楽しめるようになったのはその後ベーム指揮バイロイト祝祭管の演奏を聴いてからで、私は30代に入っていました。ワーグナーのオペラをある程度理解できるようになったのは最近のことです(今ではバーンスタインの「トリスタン」の価値も分かります。念のため)。

なぜこんなことを書くかと申しますと、「人に聴かせるべき最初のオペラは何がよいか」と考えているからです。私の友人Aは、れっきとしたクラシック音楽ファンです。さらにオケマンで、交響曲や管弦楽曲の演奏歴も長いようです。しかし、「オペラはまだまだ、でも聴いてみたい」という感じです。こんな人に、私と同じように「トリスタン」を聴かせたいとはとても思えません。どうせならば、オペラファンになっていただきたいと私は心から思っています。では、彼が最初に聴くオペラは一体何がよいのでしょうか?

さんざん考えてみました。まず、ドイツもの。例えば、R.シュトラウスの傑作「ばらの騎士」を聴いて最初から陶酔できる人もいるでしょうが、普通はぐうぐう寝るでしょう(私がそうでした)。いくらすごいオペラだといっても、「パルジファル」も...。どうも具合が良くないかもしれません。モーツァルトではレチタティーヴォに困惑するかもしれません(意外なことに、掛け値なしに楽しめそうなのは「魔笛」みたいな作品でしょうか?)。

そう思うと、オペラはイタリアものの方が取っつき易そうです。となると、「アイーダ」なんてどうでしょうか。豪華ですねえ。結構いいかも。「椿姫」「トロヴァトーレ」「リゴレット」。どれも痺れますね。ここまで考えて私はひとつ名案が浮かびました! プッチーニの「トゥーランドット」なんてどうでしょうか? オケと声が最高の融合を果たし、絢爛豪華。異国情緒にも溢れ、感動的な音楽。これなら視覚効果なしでもオペラに熱狂するに違いないと思うのですが...。

さて、そこで皆様に質問です。「オペラを聴きたい」と思っている友人Aにはどのオペラがいいでしょうか? 私が考えた「トゥーランドット」以外の作品があれば、教えていただけませんか?


CD9月8日:恥ずかしい想い出

昨日、ドヴォルザークの「アメリカ」が登場しましたが、私はこの曲を聴くと、必ず赤面します。学生の頃、スメタナ弦楽四重奏団が来日した際、私は喜び勇んで新宿に聴きに出かけました。当時スメタナ弦楽四重奏団の人気は最盛期ほどではなかったにせよ、知名度も抜群で、プログラムにお国ものの「アメリカ」がありましたから、私はせっせとCDを聴いて予習をした上で出かけたのであります。

会場では聞こえよがしにスメタナ四重奏団のことを酷評する人がいたりしましたが、多くの聴衆はほのぼのとした雰囲気の中で音楽を楽しんでいました。そして、プログラムは進み、メインの「アメリカ」が始まりました。第1楽章、第2,3楽章、と来て軽快な第4楽章が開始しました。大変な熱演です。みんなモリモリ弾いています。真冬でしたが、聴いている私もどんどん熱くなってきました。そこで事件が起きたのです。奏者は気合いが入りすぎたのか、とうとう第1バイオリンの弦が切れてしまったのであります。

そこで、そのタイミングで、です。私は何を思ったのか、盛大に拍手をしてしまったのです。一体何を考えていたんでしょうねえ。実はそのタイミングで拍手をしたのは私だけでなく、会場の少なからぬ割合の人がつられて拍手をしてしまったのですが、私の周囲ではそんな粗相をしでかした粗忽者は誰ひとりおりませんでした。その時の恥ずかしさといったら、もう穴に入りたいほどでありました。

第1バイオリン奏者はさっさと楽器を代えて演奏を再開し、またまた大熱演をして会場を湧かせたのでしたが、私も恥ずかしさで湯気がぽぉーっと立ちそうでした。後にも先にもコンサートに出かけてあんな情けない思いをしたことはありません。それ以後、拍手をするタイミングには神経質なほど気を遣うようになったことはいうまでもありません。あの時周囲におられ、しかも、今このページを読んで下さっている方はまずいないと思いますが、ここで伏してお詫び申しあげます。あの時の粗忽者は私であります。

え?そんなレベルの人間がクラシックのホームページを作るのは許せない?すみませんm(__)m。私はただのリスナーでございまして、音楽を専門に研究しているわけでもなし、職業にしているわけでもないのです。その程度のやつだと思っておつき合いいただければ幸いです。


CD9月7日:アフラートゥス・クインテット

CDジャケットSings Czech
ライヒャ(1770-1836)
木管五重奏曲(第9番)ニ長調 作品91の3
フェルステル(1859-1951)
木管五重奏曲 作品95
ドボルザーク/D.ワルター編
木管五重奏曲 ヘ長調「アメリカ」(弦楽四重奏曲 作品96「アメリカ」)
アフラートゥス・クインテット
録音:2000年4月19,20日、プラハ「芸術の家」
EXTON(国内盤 OVCL-00011)

アフラートゥス・クインテット。何だか聞き慣れない名前ですね。メンバーは1968年から76年の間に生まれたチェコの若手奏者ばかり。結成は1995年で、96年に音楽界にデビュー、97年にはミュンヘン国際音楽コンクールを制覇しています。若いグループですが、昇竜の勢いであります。今年5月から6月にかけて日本にも来ています。読者の中にも行かれた方がおられるようですが、さぞかしすばらしいコンサートだったことでしょう(行きたかった...(T_T))。

このCDを聴くと、若い演奏家が確かな技術をもって音楽を育んでいるのが聴き取れて感激します。3人の作曲家の作品が取りあげられていますが、いずれもプラハにゆかりがあります。前2作は私にとっては初めて聴く音楽だったのですが、楽器間の旋律の受け渡し、主旋律を支える他声部の動きなど、とてもすばらしく楽しめました。彼らはここで故郷の音楽をのびやかに歌い上げているんですね。3曲目に収録されているのはドヴォルザークの弦楽四重奏曲の編曲です。通常、こうした編曲ものは原曲を知っている耳には堪えがたい代物になるのですが、彼らの演奏で聴きますと、ほとんど違和感を感じません。それどころか、この曲に対して新たな感動を呼び起こしさえします。歌心に溢れた演奏だからでしょう(弦楽四重奏曲との違いは弦楽器によるあの切々とした哀感、ノスタルジックな雰囲気が管楽器では出し切れないことくらいでしょうか?)。

アフラートゥス・クインテットは、ホルンにバボラクという天才奏者がいることでも有名であります。メンバー中、1976年生まれの最年少(CDジャケット左から2番目)。かのデニス・ブレインの再来か、それ以上とまで噂される逸材であります。プラハ音楽院在籍中からチェコフィルの首席奏者を努めていました。その後、ミュンヘンフィルに移籍しています。私はバボラクのホルンがどんなものか知りたくてこのCDを買ったのですが、演奏全体のすばらしさに、バボラクの腕前は二の次になってしまいました。爽やかさをこれほど感じさせる室内楽を聴けば、きっと誰もがそう思うでしょう。皆さんも室内楽の楽しさを満喫しましょう。これからの秋の夜長にはこのCDがお薦めです。録音もいいし、気持ちよく音楽を楽しめますよ。彼女がいる人なら、プレゼントにも最適!国内盤で2,800円と少し高価ですが、必ず「買って良かった!」と満足されるでしょう

なお、このCDはそアフラートゥス・クインテットのデビュー盤に当たるそうですが、彼らのホームページを見ますと、スプラフォンからフランス音楽を収録したデビュー盤が別に出ていますね。一度にいくつか録音したのかもしれません。その一枚もぜひ聴いてみたいものです。


CD9月6日:現代音楽(大顰蹙か?)

昨日、「私はウェーベルンの音楽を好んでは聴かない」と書きましたが、皆様はいかがですか? お好きですか? 新ウィーン楽派の音楽はカラヤンやブーレーズなど著名な音楽家による録音もありますから、クラシックの世界ではメジャーであります。しかし、私はどうしてもバリバリの12音技法による音楽は楽しめません。その他の作曲家による先鋭な現代音楽も好んでは聴きません。聴かず嫌いだというわけでは決してないのです。一応は耳にします。では「積極的に聴きたいか?」と尋ねられれば、「NO」です。また、「家族と一緒に聴くか?」という問いがあれば、「そりゃとんでもない!女房に怒られます!」と答えざるを得ません。好んで聴かないのは新ウィーン楽派だけではないので、例にするのはやや気が引けるのですが、私は彼らに対する疑問があります。すなわち、「彼らには、聴き手を楽しませたいという意識があったのか?」ということです。おしかりを受けるかもしれませんが、実は少し懐疑的です。彼らはその気になりさえすれば、とてもロマンチックで、聴衆を虜にする音楽を書けたはずなのに、時代がそれを許さなかったのか、機械的に冷たい響きの中に埋没していきます。シェーンベルクが12音技法を確立したと言われる1921年以降は、私にとっては息苦しい世界であります。

昨日取りあげたウェーベルンの「夏風の中で」は、R.シュトラウス風の交響詩であります。さすがにウェーベルンらしく、すっきりとした曲ですが、やはり濃厚なロマンを感じます。「夏風の中で」が作曲されたのは1905年。私はあんな素敵な交響詩がいくつも聴ければ、その方が幸せだと考えていますが、ウェーベルンはその後、師シェーンベルクの指導のもと、前人未踏の領域に足を踏み入れたのですね(こともあろうに、「夏風の中で」は、作曲家自身により、作品リストから排除される有様です)。一方、師匠のシェーンベルクですが、まだ19世紀であった1899年に作曲された「浄夜」を耳にしますと、あまりのロマンチシズムに窒息しそうになります。また、大作「グレの歌」は1911年に作曲されました。これまた超濃厚な音楽であります。本当に美しい音楽を彼はいくらでも書けたのです。が、彼はもっともっと別の世界を目指していました。現代音楽には、現代音楽の良さがあるはずです。ウェーベルンでいえば、音が少ない故に聴衆の注意を喚起してやまないことでしょう(え?新ウィーン楽派はもう現代音楽ではない?それはそうですねえ...)。

私が12音技法や、その他の激しい現代音楽にのめり込めない理由はただ一つです。それは「歌えない」からであります。私にとって音楽とは歌であります。どんなに激しく大音響で鳴り響く音塊であっても、歌を感じることができれば、それは私にとってすばらしい音楽です。最初から溢れんばかりの歌に満ちたシューベルトなど、最高の音楽であります。モーツァルトもハイドンも、ベートーヴェンも。そして、バルトークも。20世紀の音楽は、歌えないものが多すぎます。歌えない音楽にどうして陶酔することができるのでしょうか? 私は保守的な人間ですから、こんなことを理由に現代音楽を忌避するのですが、皆様はいかがでしょうか? 「でも、こんなにすばらしいんだ!」というご意見があれば、ぜひお寄せ下さい。


CD9月5日:「これが世界一のオーケストラだ!」その2

昨日の続きです。許光俊さんはクラシックプレスの中で<....これを聴けばシュターツカペレのすごさに悶絶するという盤は残念ながら少ない。最近の録音ではウェーベルン「夏風の中で」(テルデック)がこの楽団の繊細さや巧さをよく示していると思った。とても美しい。>と書いています。そのCDは下記のものであります。

CDジャケットウェーベルン
夏風の中で
パッサカリア 作品1
大管弦楽のための6つの小品 作品6
管弦楽のための5つの小品 作品10
交響曲 作品21
協奏曲 作品24
管弦楽のための変奏曲 作品30
シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1996年9,10月、ルカ教会
TELDEC(輸入盤 3984-22902-2)

許光俊さんがこのCDを挙げたのを見て、私は「なるほどね」と思いました。「夏風の中で」に聴くカペレの音はとてもきれいで、みずみずしいんです。私はウェーベルンの音楽を好んで聴くわけではないのですが、この曲に限り時々鑑賞します。ウェーベルン自身はこの曲を作品目録からはずしていますが、とてもロマンティックな曲ですし、いつ聴いても美しいと思います。カペレが新ウィーン楽派の音楽を録音したのはドレスナー銀行がスポンサーになってくれたからでしょうが、カペレが20世紀の音楽にこれほどの手並みを見せてくれたことは望外の喜びでした。

ただし、「夏風の中で」以外は家族とは一緒に聴けません。従いまして、一般的にこのCDをカペレの代表盤としてお薦めするには躊躇してしまいます。それと、この録音はカペレの音を完全に捉えているかといえば、必ずしもそうとは言い切れないのであります。TELDECの録音は繊細な表情まで自然に捉えているように思えるのですが、カペレ独特の楽器のブレンド感が味わえません(ウェーベルンの曲だからかもしれませんが)。カペレの柔らかな響き...、木管楽器、金管楽器、弦楽器、そして打楽器までもが渾然一体となり、まろやかにブレンドされる様を聴かせてくれるのはデジタル録音ではむしろシノーポリが指揮したマーラーの「大地の歌」だと思います。DGの4D方式による録音は、音の分離を目指しすぎ、音楽がばらばらに聞こえる場合さえあります。シノーポリの指揮したブルックナー交響曲第9番などは最悪の例でしょう。が、「大地の歌」は成功例なのではないかと思っています。弦楽器の中に金管楽器の音が沈み込むように響いては消えて行くのが手に取るようにわかります。

さらに、許光俊さんのいうようにオペラを聴きたければ、こんなものもあります。録音は古く、3枚組です。現役盤かどうかもわからないのですが...。

CDジャケットワーグナー
歌劇「リエンツィ」全曲
ホルライザー指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1974年8,9月、1976年2,4月、ルカ教会
EMI(輸入盤 CMS 7 63980 2)

え?ホルライザーなんて指揮者は知らない? 名前は地味でも実力のある人ですよ。でも、ご存知なくても結構です。許光俊さんも言っています。「シュターツカペレは天才指揮者を必要とはしない」んです。カペレに君臨するのがスター指揮者である必要もありません。論より証拠、このCDを聴けば、あなたも興奮の坩堝に陥るはず。序曲から、カペレの燃える演奏、歌手と合唱の熱唱に心奪われ、虜になること請け合います。全曲で3時間40分。とても長いですが、ただ長く感じることはまずないでしょう。「ワーグナーの意欲作が今ここに甦る!」といったすばらしい録音です。至福の時間をあなたにもたらすことでしょう。


CD9月4日:「これが世界一のオーケストラだ!」

クラシックプレス 2000年秋号(音楽出版社)をやっと入手しました。「これが世界一のオーケストラだ!」というタイトルで、あの毒舌で有名な許光俊さんがカペレをテーマに4ページほどの文章を書いています。ゲストブックで「許光俊さんがカペレを話題にしていますよ!」とお知らせをいただいてから2日。ゲストブックにはグールドさんの丁寧な紹介文がありますので、屋上屋を重ねることもないと思いますが、筆者の許光俊さん、本当に褒めちぎっていますね。毒舌家で有名なあの人が徹底的に褒めるのはギュンター・ヴァントとチェリビダッケくらいだと思っていたのですが、そればかりではなかったんですね。安心しました。内容については、An die Musik読者には当たり前のことばかりなのですが(^^ゞ、許光俊さんの影響力を考えますと、認識を大きく改める人が出てくるかもしれません。許さんは今年5月、10年ぶりにドレスデンを訪問し、ゼンパーオパーにおけるカペレ演奏を聴いてカペレを「世界一」と感じたようですが、私もカペレの真のすばらしさに接したのはゼンパーオパーにおいてでした。しかも、彼らの本領が発揮できるオペラを聴いたのであります。同じ経験を許光俊さんがされたのを読んで、私は思わず( ̄ー ̄) ニヤリとしてしまいました。

ところで、許さんの文章はこう結ばれています。「ネオナチは減った。飲食店は増えた。キッチンまで付いて4000円という新しいホテルも見つけた。天気がよければ、エルベ川の河畔に建つ城を眺めながら、特上のビールも楽しめる。至る所にキャッシングマシーンや公衆電話が鎮座し、要するにすっかり過ごしやすくなったドレスデンを、どうして訪れないでいられようか」と。

うむむ。これでは難なくドレスデン詣でができるように思われるでしょうね。私もドレスデン訪問計画を立てているのでありますが、実は断念しかかっています。ゼンパーオパーに9月23日から9月27日までの切符を依頼したところ、一枚も取れなかったのであります(T_T)。1枚もですよ。私がかつてドレスデンに1週間滞在した1991年当時は、2週間前に楽々切符が取れたのです。しかも、宿泊したホテルにも余った券が出回っており、ホテルのコンシェルジュに、「おい、お兄ちゃん、こんなにチケットあるんだけど、行かないかい?」などと薦められたものでした。ドレスデンに足繁く通う読者の話でも、最近はチケットの確保がとても困難であるとか。

でもやっぱり行きたいなあ。ゼンパーオパーでカペレを思う存分に聴きたいです。何とかチケットを入手する方法はないものでしょうか? 許光俊さんの文章で極東からの訪問者が激増し、一層チケット入手難になるのではないかと危惧する私でありました。


CD9月1日:あなたはこの人が好きか?

阿部牧郎さんの小説「地球交響曲」(文藝春秋)を読みました。これはレコード芸術誌に97年4月から2000年3月まで連載された小説の単行本です。副題は「小説 ベートーヴェン」。「今さらベートーヴェンの話なんて...」という向きもあるかと思いますが、やはり音楽史上の巨人ベートーヴェンの劇的な生涯は一読に値します。ベートーヴェンの生涯については多くが語られていますが、改めて小説化されてみると、波瀾万丈で面白いだけでなく、感動的であります。完全なフィクションよりもさらにドラマチックな彼の生涯は、小説や映画の題材に最適でしょう。

耳がよく聞こえないのに作曲を続ける。醜男である。気むずかしい。人の悪口をさんざん言う。悪態をつく。なりは汚い。貴族に保護されなければ生活できないのに、共和主義者である。やたら貴族の女に惚れる。しかし、ふられ続ける。平民の女には興味がない。音楽だけは光り輝き、すばらしい。彼の音楽は人を感動させる。自分はその音楽によって貴族であると信じ込んでいる。

現実は小説よりも奇なりといいますが、そのとおりです。このような破天荒な偉人がハリウッドの映画の中にではなく、この世に実在したのであります。多分身近にこのような男がいたら、まともな神経の人はつき合いきれないでしょう。私はベートーヴェンの音楽は大好きですが、もし彼が側にいれば、ベートーヴェンを嫌いになっていたかもしれません。難聴であるがゆえではありますが、ひがみっぽく、悪態をつく男など、よほどの根気がなければつきあえないでしょう。

それでもこの小説を読むと、とても感動します。言葉だけで書かれている小説なのに、読み進んでいるうちにベートーヴェンの音楽が頭に鳴り響くのであります。ベートーヴェンがピアノの前に座って即興演奏をし始めると、その情景が鮮やかに浮かんできます。また、「エロイカ」や「熱情」、「大公」そして交響曲第9番が小説の中から飛び出してきて頭の中で鳴り響き始めます。活字だけで音楽をこれほど想起させる筆力は並大抵のものではありません。電車の中で読んでいて興奮した私は、読書を続けられなくなり、しばし頭の中の音楽に浸ったのであります。さらに、帰宅すると、すぐベートーヴェンの音楽を聴きたくなります。特に交響曲第9番の第4楽章。行進曲のテーマが終わって大きく盛り上がった後、器楽のみによる激しいフーガがあります(432-516小節)が、私はあの部分が大好きです。まるでベートーヴェンが自分の人生を相手にもがき苦しみながら、遮二無二疾走する姿を現しているような気がします。あの部分を聴くと、私は思わず胸が熱くなるのです。

音楽家の小説はこれに限らないと思いますが、阿部牧郎さんの小説はベートーヴェンとその音楽を彷彿させる名文だと私は思います。ロマン・ロランのように自己陶酔もしていませんし、難しい音楽用語も出てきません。音楽に関する知識がなくても読めるはずです。「今さらベートーヴェンなんて」と馬鹿にしないで一読をお勧めします。きっと興奮して、ウルウルしてきますよ。


(An die MusikクラシックCD試聴記)