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99年6月前半

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6月15日:組織についての表現

少し前のことです。日経ビジネス5月31日号に、組織に関する記事がありました。「ハイテク時代の人脈」という話の中でです。ジャズ型組織とクラシック型組織が提示されていました。そこで、「ジャズはメンバーそれぞれが触発し合い、一方クラシックは指揮者とメンバーが1対1でしか対応しない」とコメントとされていました。

私は「書く方も書く方だが、デスクも分かってなかったのだな」と笑い飛ばしました。この程度のことであまり目くじらをたてても仕方がありません。しかし、最新号を見ると、この記事にかみついた読者がいました。予想通りではありましたが。

大騒ぎしても何の益もないし、ちょっと難しい問題です。どうでもいいと言えばそうなのですが、どうもクラシック音楽というと、演奏者が決まりきった楽譜を見ながら、指揮者のリズムに合わせて音を出しているだけだと思われてしまうようです。もし、そうであるならば、演奏するのが別に人間である必要はありません。それこそコンピューターが完璧な技術で対応してくれます。

日経ビジネスが理解できなかったことは、クラシック音楽が、楽譜を土台にしているといっても、あくまでも人間が介在するものであるから、即興性もあるし、演奏者相互の影響も無視できないほど大きいということでしょう。即興性や演奏家の間での触発作用があるからこそ面白い演奏ができるのであり、何度も何度も同じ曲目を聴いても飽きることがないのです(余談ですが、実はジャズの方は現在クラシックよりも杓子定規かもしれません。演奏家にもよりますが、ジャズを聴きに行っても「楽譜をなぞっているのではないか?」と疑いたくなるときもあります)。

ジャズにせよ、クラシックにせよ、一部の例だけで全体を語ることは厳に慎みたいと私は考えていますが、記者が「これはいける!うまい表現だ!」と思いついても、単に誤解を与えるもとになりかねません。昔、「オーケストラ型組織」という言葉をよく耳にしたのですが、どうやら「フラット型組織」のことを指してそう呼んでいるようでした。「オーケストラ型組織」といえば、いかにも関心を集めそうですが、「フラット型組織」という適切な言葉がある以上、いい加減な表現はかえって迷惑でもあります。組織論は誰もが興味を持つ分野でありますから、いろいろな呼称が現れますが、共通の言語を持ちたいと考える私にとっては訳が分からない世界でもあります。


6月14日:CD試聴記に性懲りもなく「ブルックナーの交響曲第9番」を追加しました。ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルの演奏です。


6月13日:ヴァントのブルックナー

ヴァント&ベルリンフィルによるブルックナーの交響曲第9番。The MOSTLY CLASSIC 6月号を見ると、宇野功芳氏がそのCDを褒めちぎっています。曰く、「おそらく作曲者にとっても、これ以上の演奏は考えられないだろう」。宇野氏は極端な人ですし、いったん自分で評価を決めた音楽家の演奏は徹底的に褒める傾向がありますから、「またか」と思っていました。すると、今度は、朝日新聞「クラシック試聴室」(11日金曜日)で金子建志氏が賛辞を贈っているようです。「いるようです」と中途半端な言葉を使ったのは金子建志氏が直接的な言葉で絶賛しているわけではないからです。「クラシック試聴室」に金子建志氏が書いた記事を引用いたしますと、以下のとおりです。

1912年生まれの巨匠は筋金入りの硬派。その完全主義が究極的には自然な造型をめざすものであることを名門オケが献身的に証明。深くも熱き夕映えの響き。

「深くも熱き夕映えの響き」とは言い得て妙です。さすが金子建志氏ですね。宇野功芳氏のような直接的な言葉ではないにせよ、ヴァントが作った美しい音楽がわずか11字で見事に表現されていると思います。

皆様もご存知のとおり、CD試聴記で私はこのCDを取り上げ、第1楽章が楽しめないという理由で非推薦盤にしてしまいました。第2、3楽章がすばらしい出来であったにもかかわらずです。あの試聴記を書く前には何度もCDを聴き直していますから、今も書き直す必要を私は認めていません。しかし、私も少し不安になってきました。あのブルックナーは万人が認めるところの大名演だったのでしょうか?私一人が外れた聴き方をしてしまったのかもしれません。人に合わせることはないと思ってはいますが、自分一人が分かっていなかったとなると、情けないことであります。うむむ.....。


6月11日:クレンペラーのページに「アメリカ時代のベートーヴェン交響曲第5番<運命>、ほか」を追加しました。


6月10日:CGI

CGI。Common Gateway Interfaceの略であります。技術評論社刊、パソコン用語事典によれば、「WWWブラウザからファイルプログラムを呼び出し、起動させ、その実行結果をWWWブラウザ上で表示する仕組み」のことです。いまひとつピンと来ませんか? わかりやすく言いますと、ホームページによくある「掲示板」を作る技術などがこれに当たります。

ここしばらく、私のホームページのサーバーが不調で、アクセスができないことがありました。あまりひどいので、プロバイダーのBiglobeに問い合わせたところ、こんな答えが返ってきました。

●タイトル:一時サービスご利用不可のお知らせ(不明〜)
●掲載日 :99/05/21
●障害状況:↓↓↓【対応中】
現在、2uサーバにホームページを開設のお客様のCGIにより、2uサーバに大変負荷が掛かっております。その為、2uサーバをご利用のお客様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、負荷を掛けているお客様と調整しておりますので、復旧まで今しばらくお待ち下さい。

【発生日時】不明
【復旧日時】−
【対  象】以下のサーバをご利用のお客様
        www2u.biglobe.ne.jp
【現  象】一時参照不可

尚、お客様にはご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございません。
上記www2uサーバの負荷原因となっております一部のお客様に、改善等をお願いし順次、サーバの負荷は軽減しておりますが、現在の所、十分な状態までには至っておりません。

どういうことかというと、Biglobeのある利用者がCGIを組み入れたホームページを持っていて、それがやたらとサーバーに負担をかけるような出来の悪い代物になっているのでしょう。おそらくは凝りすぎたページを作ったのではないでしょうか。その人のために同じサーバーを使っているホームページオーナーがみんな迷惑しているわけです。

実はCGIを下手に使うとプロバイダーのサーバーをダウンさせてしまうこともあるため、一部プロバイダーではCGIは使用不可になっています。私は少なくとも「ゲストブック」は欲しいと思っていたので、CGIが使えるBiglobeを選んだのですが、よもやこんな事態が起きるとは夢にも思いませんでした。しかも、この内容だと、5月21日からこんな状態のようです。呆れました。Biglobeとしてはその悪質なお客さんに「何とかしてよ!」とか何とか言っているのだとは思うのですが、プログラムがどうにもならない状態までぐちゃぐちゃになっているのでしょう。

私のページにあるゲストブックは掲示板方式の中でも最も簡単なCGIを使っていますので、まずよそさまに迷惑をかけることはないでしょうが、インターネットもまだまだ不安定であることがよく分かる事件であります。

ところで、「サーバ」とか、「プロバイダ」とかの「コンピュータ」関係用語はどうも好きになれません。これらは日本語なのでしょうか?日本語の表記は「サーバー」「プロバイダー」「コンピューター」だと思うのですが...。やはり私は古い人間なのでしょうか。うーん。


6月9日:クレンペラーのページに「モーツァルトの交響曲第25番、ほか」を追加しました。オケはベルリンRIAS響です。

今回は結構短い文章になりました。最初書いた文章を削っていったらこんな感じになったのです。モーツァルトを語るには私もまだまだ修行が足りません。


6月8日:時間

読者の中には私のページを読みながら、「よくこんなにたくさんCDを聴けるものだ」と驚いていらっしゃる方も多いかもしれません。もっともです。多分、私が普通の生活をしていれば、無理でしょう。何でCDをたくさん聴けるかというと、テレビを見る時間が極端に少ないからです。NHKのニュースでも見ていれば他のテレビ番組はほとんど見る必要を感じていません。たまにドラマなどを見る時がありますが、いわゆるトレンディドラマなるものもよくよく見たことがありません。テレビを見ると、他のことが何一つできなくなります。映像の持つ力は大変大きく、何でもないコマーシャルであっても、テレビの前に釘付けにされてしまうのです。

ただ、あまりテレビを見ないのも、人との会話をする上で非常に問題があります。この間、ジャニーズの滝沢君を知らないことが衆人のもとで発覚し、大恥をかいてしまいました。実はそれからしばらくたった今でも滝沢君の顔が分かりません(^^ゞ。

やりたいことはたくさんあります。しかし、時間は有限です。時間を有効に使うためには何かを端折らなければなりません。私は何を隠そう、別名「ふとんまん」で、ふとんの中でごろごろして寝ているのが人生最大の幸福と考えておりますので、睡眠時間を削るという芸当ができません。世の偉人といわれる人々は、ほぼ例外なく睡眠時間を削って切磋琢磨したらしいのですが、こればかりは最初からあきらめてしまいました。というわけで、もともとテレビには懐疑的であったことも手伝って、テレビを削ったわけであります。

それでも、仕事を終えて帰宅してから聴けるCDの量は高が知れています。かけても女房さんが怒らないような曲を選ぶ必要もあります。そうしながら、CD試聴記などに取り上げるCDをピックアップしていき、週末に原稿書きをしています。おおよその文章は日曜日には完成していますが、さすがにその日のうちに一度に出す気にはなれません。私の文章はどういうわけか「ねじれる」癖があるし、言葉が足りなくて話がつながらないところだらけなのです。やむなく、少しずつ推敲しながら記事をアップしているわけです。そうしているうちに1週間が終わります(なお、私は別にホームページを作るためにCDを聴いているのではありません。あくまでもCDを聴いて面白かったり、強い印象を受けたものを自分で記憶しておくために書いているだけです)。

いずれにせよ、時間はいくらあっても足りません。CDを聴く以外にも、読書の時間も取りたいし、仕事の勉強もしなくてはなりません。テニスやスキーなどの修行にももっともっと真剣に取り組みたいと思います。こうなると、時間管理こそが最も重要な課題になってきますね。いい加減「ふとんまん」をやめて、ちゃんとした人の生活をしなければならないかも知れません。


6月7日:CD試聴記に「ブルックナーの交響曲第9番」を追加しました。ギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィルの録音です。

ところで、昨晩の全仏オープンではアガシが優勝しました。最初の2セットは強力なサーブを武器にしたメドベデフに大差で奪われながら、残り3セットで逆転。すごい男がいたものです。グラフといい、アガシといい、感動の毎日であります。うううううう。


6月6日:全仏オープン

テニスの話で恐縮です。昨日の全仏オープン女子決勝。ヒンギス(18歳)とグラフ(29歳)の対決は大変見応えのあるものでした。なぜか全仏オープンでは優勝できないものの天才の中の天才ヒンギスと、体中故障だらけのかつての女王グラフの新旧対決は非常に興味を引くものでした。結果はグラフがヒンギスを撃破。試合終了後、さしものグラフも感極まったようでした。

グラフもかつては女王として女子テニス界に君臨しておりましたが、このところはさっぱりでした。女子テニス界はいつの間にか10代の天才選手達の活躍の場となり、20代ではもはやロートル(この言葉はご存知かな?)扱い。そんな中で、ずっと引退をささやかれてきたグラフはさぞかし辛い日々を送っていたことでしょう。自分でも限界を感じたりすることもあったかもしれません。しかし、グラフはテニスを投げ出さず、執念の勝利をつかみました。すばらしいです。ヒンギスも今回ばかりはグラフに精神的にも追いつめられる試合でした。何事も、投げ出さずに続けることの大事さを感じさせられた感動の試合であります。

実は、この全仏オープン、もうひとつの目玉があります。それは本日夜の男子決勝であります。いつの間にかアンドレ・アガシが決勝に進出しているのです。一時は世界ランキング100位以下に転落、グラフより悲惨な境遇に陥ったアガシ。全仏オープンで奇跡の復活を遂げるかどうか。興奮の一夜であります。


6月5日:昨日はサーバーの不調か、更新ができませんでした。夕方以降、自分のホームページを開けることもできませんでした。おそらく読者の方々も当ページにアクセスできなかったのではないでしょうか。せっかくご訪問していただいたのに申し訳ありませんでした<m(__)m>

それにしても、Biglobeのサーバーの不調は今回が初めてではなく、サービスの質はまったくひどいものです。ホームページ開設に当たって、わざわざプロバイダーを変えたのに、かえって問題が増えてしまったような気がします。


6月4日:お待ちかね?「ときめきウィークエンド」を更新しました。今回はムフフCDです。「ティナ・ルイスの歌声」に痺れて下さいね。


6月3日:丸山眞男

先日、昔の上司と一杯やっていたら、「この本を知っているか?」と一冊の本を見せられました。ちょっと前に出た「丸山眞男 音楽の対話」でした(文春新書、著者は丸山の弟子であった中野雄)。もちろん私も読んでおります。書店でも売れ行きはよいようです。もしかすると、この本は中高年の間で密かなベストセラーになっているのかもしれません。

というのも、中高年の人には「丸山眞男」という名前が印象深く記憶されているからではないでしょうか。丸山眞男は政治思想研究の第1人者として長年オピニオン・リーダーを努めてきました。著書は「日本政治思想研究史」「現代政治の思想と行動」「戦中と戦後の間」「後衛の位置から」など多数あります。「戦中と戦後の間」は買ってきて読もうと思ったら、大学寮の先輩に強奪され、1週間帰って来なかったというひどい想い出もあります(返却された時には先輩の手垢にまみれ、あちこちに線が引かれ、書き込みまでされていました。ううう、ひどい、ひどすぎる(T_T))。それほど人気があった丸山眞男ですが、今では「政治思想」なるものがまるではやらない時代となりましたので、私はてっきり人気は完全に凋落していると思っていました。浅はかでありました。数年前に亡くなった時には、まさか音楽の分野で丸山の本が出て、世の中高年が思わずその名前につられて本を買ってしまうようになっているとは夢にも思いませんでした。やはり丸山眞男の名前は私くらいの年代の頭の中に深く刷り込まれているのかもしれません。死してなお、強烈な影響を与え続ける研究家。恐るべし。

ところで、この本、書名のとおり政治思想関係の本ではありません。クラシック音楽の本であります。この本を手にするまで私は知らなかったのですが、丸山眞男は大のクラシック音楽ファンだったそうです。それも私みたいに「CDを聴いて楽しめればよい」といったレベルではなく、本格的な鑑賞をしていたそうです。本業でも多忙であったはずなのに、クラシック有名曲の楽譜を取りそろえ、枕元において常に検討していたそうな。ワーグナーの「指輪」の楽譜にはこと細かい書き込みが見られると書いてあり、その写真までついています。オケの指揮者並みですね(?)。

丸山眞男は、音楽研究を自分の第2の本職と考えていたそうです。余技だとは考えていなかったわけです。よほど真剣に研究していたのでしょうね。一般人とは違い、LPがなくても楽譜を読んで音楽が頭の中に浮かんでくる人だったのでしょうから、羨ましい限りです。私なぞとても及ぶところではありません。しかし、そこまですごい研究をしていたのでしたら、自分の中だけで終わらせてはいけません。研究の成果は一人であの世に持って行ってしまったのです。政治思想研究で大きな足跡を残した丸山眞男、音楽の著書をちゃんと残してくれればきっと今頃みんなが楽しめたことでしょう。まことに残念であります。


6月2日:クレンペラーのページに「Otto Klemperer conducts THE LOS ANGELS PHILHARMONIC ORCHESTRA」」を追加しました。人間投げてはいけないというお話です。


6月1日:ポスト・マーラー

一頃、「ポスト・マーラー」という言葉がはやりました。マーラーブームがずっと続いたので、次のブームが聴き手からも、音楽業界からも期待されたのでしょう。しかし、どういうわけかマーラーブームは依然として続いておりまして、ポストマーラーという言葉も次第に意味をなさなくなってきました。一時は本命かと思われたショスタコーヴィッチのブームも長くは続かなかったようです。結局はマーラーほど聴衆を夢中にさせる作曲家はいないのでしょうか。

私は「いる」と考えています。バルトークです。1945年にバルトークは不遇のまま死にますが、名声は燦然と輝いています。ただし、名声とは裏腹に、聴衆が好んで聴いているかというと、かつては必ずしもそうではなかったと思います。傑作揃いといわれる弦楽四重奏曲など、いまだに聴衆が楽しんでいるかどうか疑問であります。昔、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の全集が出た時は直後から中古CDが大量に出回る始末でした。今も同全集は中古CD屋さんの常駐(?)アイテムです。

ですが、20世紀も終わりになってきて、バルトークは古典の仲間入りをしてきたように私は思えます。バルトークの音楽はマーラーのような耽美的な旋律には不足するものの、音響的には非常に斬新であります。リズムもイカシテます。バルトークは作曲に際して、民族的な素材だけでなく、数列を使ったりしているところも興味を引きます。音楽に数列ですよ。信じられますか?頭脳プレーではクラシック界でも有数の人でしょう。かといって、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン楽派の音楽とは違い、聴き手が少しは口ずさめるような音楽を書いてますから、聴衆の受けもまあまあでしょう(そうかな?)。

ポスト・マーラーの作曲家は何も交響曲作家でなくとも良いでしょう。バルトークは交響曲こそ書かなかったわけですが、ゾクゾクするような多数の管弦楽曲、2つのヴァイオリン協奏曲、ビオラ協奏曲、3つのピアノ協奏曲、一つのオペラ、「ミクロコスモス」を代表とするピアノ曲、などマーラーにはないジャンルの曲をたくさん聴かせてくれます。きっと21世紀にはバルトークの大ブームが来るのではないかと私は考えています。皆さんはどうお考えでしょうか。


(An die MusikクラシックCD試聴記)