短期集中連載  An die Musik初のピアニスト特集

アルフレッド・ブレンデル 第9回
ベートーヴェン「皇帝」を聴く

語り部:松本武巳

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ベートーヴェン作曲
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」

CDジャケット

ズービン・メータ指揮
ウィーン交響楽団
録音:1961年
VOX(国内盤 VICC-60157〜9)

CDジャケット

ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1976年1月
PHILIPS(輸入盤 420 347-2)

CDジャケット

ジェイムズ・レヴァイン指揮
シカゴ交響楽団
録音:1983年6月
PHILIPS(国内盤 30CD-386〜8)

CDジャケット

サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1998年2月
PHILIPS(輸入盤 462 781-2)

参考

デニス・ラッセル・デイヴィス指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1983年9月ベルリンでの全曲演奏会
FM放送より著者個人が作成した私的CD-R

 

■ ブレンデルが4回も完成した協奏曲全集

 

 ブレンデルが、ベートーヴェンの録音を定期的な間隔で、ソナタ全集(3回)と協奏曲全集(4回)を完成させていることは著名な事実と言えるでしょう。ところが、これらの全集ですが、ソナタの方も協奏曲の方も、最新盤が最良とは言い切れないところに問題があると思います。極端な言い方をしますと、例えばソナタの第16番は最新盤がもっとも推進力に優れ名演だと思いますが、初期のソナタである第5番は、最も優れているのがVOXへの最初の全集の録音で、最も劣るのがフィリップスへの90年代最新盤ですので、全集の購入をためらってしまうのは当たり前かも知れませんね。私の個人的な、全く独善的な意見では、ソナタ全集の3種類の音源に無理やりブレンデル・ランキングをつけてみますと(1番良い、真ん中、1番悪いに分類します。迷った場合は無理やり今日の時点での範疇分けをしました。強引な面があることは承知の上ですので、抗議等はご勘弁をお願い申し上げます)、VOXの全集が(8、10、14)、フィリップスへの70年代の全集が(6、20、6)、フィリップスへの90年代の全集が(18、2、12)となります。この評価の理由その他は、次回「ハンマークラヴィーア」の際に詳しく書かせて頂きたいと思いますが、協奏曲の場合はもう少し違った問題がありまして、ブレンデルの演奏が最良の全集は、指揮者かオーケストラに問題があり、指揮者が優れた伴奏をしている物は、今度はブレンデルが今一歩の演奏に終わり、オーケストラが素晴らしいときは、指揮者が凡庸であったり、逆に過激すぎてブレンデルと息が合っていなかったりと、どうもチグハグなのですね。上記の参考盤は、1983年にレヴァインとシカゴでライヴ録音を完成させました直後に、ベルリンで行った全曲演奏会なのですが、当時大きく売り出し中でしたレヴァインとシカゴとの共演の方がディスクとして発売になってしまいまして、このベルリンでの全曲演奏会の方が、実際にはあらゆる点で優れていたと思いますし、第一フィリップスも一応録音は実施したはずなのですが、発売されないままにお蔵入りしております。日本でも何度か放送されまして、お聴きになられた方もいらっしゃると思いますし、放送自体は正規にされた物ではありますが、私が私的に感想を記す範囲でしか皆様にはお示しできないという、悲しむべき事実がありますことをお伝えしておきたいと思います。

 

■ 指揮者とオーケストラに左右される協奏曲録音

 

 協奏曲の場合、もとより指揮者やオーケストラとの相性が存在することは争いがないと思います。最近経験しました極端な実例ですが、2004年3月イギリス系の指揮者とオーケストラが来日公演を行いましたが、イギリス在住で日本人離れした著名なピアニストと、日本人としては類稀なる若手美人ヴァイオリニスト(ほとんどまだ美少女と言えるあのコです!)の両方と共演しました大ベテランの「卿」の称号を持っていますイギリス系指揮者は、ピアニストに対しましては敬意をもった素晴らしい伴奏を行いましたが、若手ヴァイオリニストに対しましては、ほとんどイジメに近い指揮を行いまして、もとより経験の浅い彼女は無惨な演奏に終わってしまいました。ウィーンフィルのこういった行状は有名ですが、実は多かれ少なかれ、プロの音楽家の世界でもこうしたことは良くあることなのですね。

 

■ ブレンデルの場合

 

 まず、VOXレーベルのメータとの共演は、ブレンデルが当時無名であったためでしょうか、メータがナメた指揮をしておりまして、私は不快なディスクの筆頭にあげたいといつも思っています。初めて聴いてから30数年が経ちますがまだアタマにきます。論評を避けたいと思いますが、その後の世間が正当な評価を下してくれていることが私に取りまして大きな慰めになっております。

 次に、ハイティンクとのディスクですが、ブレンデルの人選違いだと思います。ハイティンクを選んだことも、ロンドンフィルを選んだこともそんなに悪いことではありませんが、ブレンデルとハイティンクの楽曲に対する理解の本質は近いように感じるのですが、ブレンデルがロンドンフィルに対します気遣いと、ハイティンクのロンドンフィルへの気遣いというフィルターが掛け違えたとでも言いましょうか、ピアニストと指揮者がともに優れた演奏を行っていますにもかかわらず、間に割って入ったオケのせいで「水と油」の結果となってしまいました。この点で実に不思議なディスクです。ブレンデルとハイティンクの掛け合いを聴いておりますと実にこなれたしっくりとした感覚ですし、ハイティンクの指揮はロンドンフィルの機能性を見極めた妥当な物ですし、ブレンデルとロンドンフィルも手馴れた感覚ですが、三者が合わさると、チグハグになってしまう、まことに不思議なディスクです。

 レヴァインとの物は、レヴァインの指揮はさして悪いとは思いませんが、ブレンデルが出版した書物の中で告白しておりますが、このライヴ録音は、複数のライヴ音源の継ぎ接ぎでして、ライヴの良さを残しつつ、スタジオ録音のように編集すると素晴らしい名演名録音名盤が誕生すると言う、当時のポリグラム系列(現ユニヴァーサル・ミュージック)の主張が如何に陳腐であるかの実例として長く生き続けるであろうと、皮肉を言うしかないのです。いっそ一発ライヴの方が、当時のレヴァインとシカゴの関係が良好かつ勢いがあったことと考え合わせますと、どんなに良かったことかと、今なお悔やまれてなりません。

 さて、ラトルとの最新盤はこれがきっかけで、ラトルのベートーヴェン交響曲全集まで発展しましたが、私にはラトルのやりたいことを、あのウィーンフィルに対してやりとげた事実自体には大いなる感動を覚えますが、ラトルのベートーヴェン解釈は、私の理解能力の範囲をあまりにも大きく逸脱しており、本来私は、「○○の演奏はかくあるべきである」などと主張することはほとんど無いタイプの人間なのですが、残念ながら最も好意的に聴きましても、100年以上後に理解される演奏であるのだとは信じますが、私には今の時点ではぶっ飛んでる解釈に思いますので、タイムマシンで23世紀ごろに移住してから聴きたいとでも言っておきますね。これは私の解釈力が狭くかつ古いと言われてもやむを得ませんが、全くついて行けません。

 

■ 参考盤についてひとこと

 

 これは、私が正規に私的音源として所有しておりますので、非合法ディスクになっているかどうかは関与しませんし、仮になっていたとしましてもそのディスクを紹介するのでは絶対にありませんことを前提に、少しだけ書かせて下さい。指揮者は一流半の人物ですが、ブレンデルの意図する音楽性を正しく捉える能力を持っており、またベルリンフィルは共演者が誰であれ、手抜きをしない点では最も優れたプロ集団として有名です。これらが最も上手く調和した演奏が5曲の協奏曲全体に亘って支配的に持続しており、素晴らしい全曲演奏会であったことが聴き取れます。また、FMで何回か再放送をされていることも合わせますと、録音と放送自体に許可が出されていることが明白ですし、必ずや近いうちに、正式にディスクとして発売されることを期待して結びとしたいと思います。

 

(2004年10月6日、An die MusikクラシックCD試聴記)