カルショーの名録音を聴く
1.デッカとカルショーの略歴

文:青木さん

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 最初に基礎知識として、デッカという会社の歴史を知っておくほうがよいかもしれない。オフィシャル版(に近いもの)がユニバーサル社のサイトに出ている。その中では創始者名がエドワード・リュイスとなっているが、本書では「ルイス」と表記。またそこでは、本書でカルショーが何度も暗示している「デッカの最期」については触れられていない。

 本書の訳者あとがきに記されているように、1980年1月にエドワード・ルイスが亡くなった直後にデッカ社はポリグラム社に売却され、その中の単なる一レーベルとなった。日本では長らく「ロンドン」レーベルで1953年以来キングレコード社から発売されていたデッカのレコードが、1981年にロンドン・レコード社からの発売となったのも、これが原因。当初ポリグラムは(日本フォノグラムのように)キングとの合弁会社を設立しようとしたものの、結局はポリグラムの100%出資による「ロンドン・レコード株式会社」が設立されたそうだ。国内販売元は当初ポリドールで、その後ポリグラムに移行したが、ポリグラム自体が1997年にユニバーサル社に買収され、現在に至っている。

 しかしそういったことはカルショーのあずかり知らぬこと。彼はデッカ売却のわずか数ヵ月後、1980年4月に亡くなっている。カルショーもルイスもデッカと運命を共にしたかのようだ…と誰もが感じるに違いない。本書を読めば分かるように、デッカは(おそらくEMIやRCAがそうであったような)しっかりした大組織ではなく、ルイスを中心とした数名による個人経営のような会社だったのだ。

 カルショーは1924年に生まれ、父親の銀行に勤めた後1942年に兵役。1946年5月に除隊して同年11月にデッカに入社した。子供のころから音楽が好きで、ピアノのレッスンを受けていたものの、レコードや演奏会で偉大なピアニストの演奏を聴くうちに自分の演奏がいやになり、演奏家への道は諦めたという。その頃のデッカはHMVやコロンビアとは比較にならない弱小企業だったそうだが、1945年に実用化されたffrrに感心したことが、デッカを希望したきっかけだったとのこと。入社後しばらくは宣伝部に勤務、やがてプロデューサーの仕事を始める。最初に任された録音セッションは1948年10月、マンセル・トーマス指揮ロンドン響によるグレース・ウィリアムズの曲だったという。1953年に当時デッカが配給をしていた米キャピトルに転職するが、1955年にキャピトルがEMIに買収されることになり、カルショーは同年8月にデッカに復帰。新技術のステレオ録音を活用したオペラのレコード制作を中心に、多くの録音を手掛けた。

 本文は1964年あたりで途切れているが、エリック・スミスによるエピローグによると、カルショーは1967年にデッカを退社してBBCテレビの音楽部長となり、1975年にフリーに。音楽業界で多彩な仕事を続けたが、悪性の肝炎に罹ったのが原因で、1980年に亡くなった。今年は没後25年となる。

 

・・・・続く

2.コンセルトヘボウとカルショー」はこちらです。

 

(2005年8月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)