ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペのベートーヴェンを聴く(その2)

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  ■ 序曲集
 

 ベートーヴェンの序曲集というジャンルは、最近はさほど積極的に録音されるレパートリーではないようで、ちょっと調べた範囲ではハーディング、ジンマンなどが目についた程度です。古くはカラヤンはもちろんのこと、バーンスタイン、テンシュテット、セル、マズア、マルケヴィチ、クリュイタイス、などが並んでいました。しかし、多くは交響曲全集のカップリングから集められたものが多かったように思います。最初から「序曲集」を意図して録音されたものはカラヤンが代表的ではないでしょうか。

 さて、ケンペ指揮のベートーヴェンの序曲の録音は以下のようなものがあります。

CDジャケット

「フィデリオ」序曲作品72b
「レオノーレ」序曲第3番作品72a
「コリオラン」序曲作品62
「プロメテウスの創造物」序曲作品43
「エグモント」序曲作品84

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1957年7月1日、9月5日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
英TESTAMENT(輸入盤 SBT12 1281)


CDジャケット

CDジャケット

「プロメテウスの創造物」序曲作品43
「エグモント」序曲作品84
「レオノーレ」序曲第3番作品72a

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1971年12月20-23日(エグモント、レオノーレ)、1972年6月23-26日(プロメテウス)、ミュンヘン、ビュルガー・ブロイケライ
西独EMI(輸入盤 CDZ25 2114 2、プロメテウス、エグモント、英雄とのカップリング)
西独EMI(輸入盤 CDZ25 2116 2、レオノーレ、田園とのカップリング)
蘭DISKY(輸入盤 DB 707082)


CDジャケット

「エグモント」序曲作品84(リハーサル風景)

シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1970年6月15日、ドレスデン、ルカ教会
独BERLIN CLASSICS(輸入盤 0091952BC)


CDジャケット

「レオノーレ」序曲第3番作品72a

BBC交響楽団

録音:1975年8月27日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール
英BBC legends (輸入盤 BBCL 4056)

 

 こうしてみると分かるように、リハーサルも含めれば「エグモント」「レオノーレ題3」が3種、「プロメテウス」が2種、「フィデリオ」「コリオラン」が1種のみとなります。「プロメテウス」は演奏会でも採り上げた記録がありますので、好んで演奏したのが「エグモント」「レオノーレ第3」「プロメテウス」ではないかと考えることができます。

 以下、ベルリン・フィル盤(以下、BPO盤)の掲載順に書いていきたいと思います。

 まず、ケンペの唯一の録音となった「フィデリオ」は、実にオーケストラがよく鳴っています。金管がわずかにフライングしている箇所もありますが、主部になってからの弦楽器の加速感がたまりません。それを受ける金管の伸びやかで深い音色もすばらしく、実際のオペラの演奏を聴きたくなってしまいます。

 続く「レオノーレ第3」は素人考えではとても難しい曲だと思うのですが、BPO盤でのケンペは冒頭をあまり仰々しくせずに始めて、このまま淡々と進めていくのかと思えば途中でぐっとテンポを遅くしてから主部に移り次第に加速していくという設計にしており、意外にしっかり鳴るトランペットのファンファーレも含めて聴き手を退屈させません。ミュンヘン・フィル盤(以下、MPO盤)もテンポも含めて解釈に大きな違いはありませんが、より柔らかい響きになっていて、序奏部での弦楽器とフルートの掛け合いも類い希なほど美しいと思います。主部になってからファンファーレに至るまでは実に劇的で、トランペットはオペラの時のように舞台裏から遠く聴こえてきます。あの難所と言われるフルートのパッセージもとても軽やかであり、その前後のテンポの置き方もさりげないようで、実に計算されていると思います。ケンペにはもう一つ、BBC交響楽団とのライブ路君が正規CD化されています。この録音での魅力は何と言ってもヴァイオリンが両翼配置になっていることでしょう。強弱の変化を巧みについて立体感をもたらしながらも、柔らかい響きを貫いているのはBPOやMPOと変わりません。一方で録音のバランスによるのかもしれませんが、ティンパニの打ち込みが目立っていますので、より劇的に聴くことができます。ファンファーレは上手舞台横(座席?)とわかる位置から聴こえてくるので、とても拡がりを感じます。ここまではMPO盤より遅く感じるのですが、その後はいきなり加速しだして大きく盛り上がって終わるのは実演ならでは、なのでしょう。おそらくコンサートの最初の曲だったのだと思いますが、拍手はとても大きかったのも頷けました。

 これもBPO盤が唯一の録音である「コリオラン」はただ一気呵成に煽るように演奏できるのに、しっかり踏みとどまっているのはさすがです。そして興味深いことに「英雄」と同じように、冒頭の和音において低弦と高弦が意図的にずらして演奏させているのです。アクセントを弱めようという意志の表れなのでしょうか? 主部になってからも、大きく弧を描くように音楽は加速して熱を帯びていきます。そして冒頭の和音が回帰されるときには、今度はぴたりとアインザッツを合わせてくるのも見事です。最後のチェロは柔らかく演奏させて、文字通り虚空にかき消えていくように演奏させています。

 「プロメテウス」はケンペは十八番にしていたのではないかと思うような堂に入った演奏です。BPO盤ではテンポのギアチェンジの鋭さ、めくるめくニュアンスの変化、ここぞという聴かせどころでの踏み込みの良さは、他の序曲の演奏より明らかに一頭地抜けています。MPO盤になると、曲の流れはさらに洗練されています。全合奏でのアクセントは意識的に外されているのが効果的で、典雅な響きに充ちています。正直それまではこの曲は他の有名な序曲に比べて一段低く捉えていたところがあったのですが、ケンペの演奏を聴いて考え方が変わったくらいです。

 最後の「エグモント」は最初は実に鋭い出だしになっています。その後の弦楽器によるトゥッティもやや粘りが入っており、このあたりの処理はどことなくフルトヴェングラーなどのような大指揮者を回想させるものです。もちろんほとんどインテンポで折り目正しいので、ちょっと聴くだけでは分かりにくいですが。その後もどんどん白熱した演奏が繰り広げられて、ほとんど一気呵成に録音されたのではないかと思うほどです。次にMPO盤を聴いてみると冒頭の和音は鋭さが弱められていて、BPO盤と比較して淡々と演奏されます。強弱のバランスはさらに細かく設定されており、奥行きが深いです。主部になってからの快活さはBPO盤を越えています。それは演奏時間が短くなっていることでも明らかです。弦楽器のボウイングはとても速くほぼ全弓を使っているのではないかと思うところが多いです。終結部の加速感は唖然とするくらいに疾走していて、最後はわずかに緩めて堂々と締めくくります。さて「エグモント」では、カペレとのリハーサルを録音した有名なディスクが存在します。この録音については「私のカペレ第6回」で書かせていただきました。ケンペが話しているドイツ語はまったくヒヤリングができませんがダイナミクス、特に弱音の設定にとても拘っていると感じました。ある程度序奏部の練習が終わると、冒頭に戻って指示しながら演奏していくのですが、見違えるように響きが拡がっているのが分かります。その後は細かい刻みと長い音との関連をコメントして、ほとんど細かく止めることはせずに終わらせていきます。録音としてはMPO盤より前になり、一説にはR.シュトラウス管弦楽全集の録音の合間のリハーサルだったので、マイクはあらかた撤収されていて、指揮者頭上のほとんどピンポイントマイクのように録音されているとのことですが、むしろカペレの魅力が一杯詰まった録音であるとも言えます。

 なお、先頃発売された、MPOとの国内盤のベートーヴェン交響曲全集(EMIクラシックス・ベスト100 24 bit最新リマスタリング)においては序曲は(おそらく)余白がなかったことを理由に割愛されています。音質そのものはとても良く復刻されているのに、この点がとても残念でした。

 ケンペが指揮したベートーヴェンの録音には「ミサ・ソレムニス」も「フィデリオ」も遺されていません。協奏曲ではレオニード・コーガンとのヴァイオリン協奏曲のモノラル録音の存在が知られています。ピアノ協奏曲としては、エリク・テン・ベルクの独奏、カペレを振った第4番のライブ録音があります。ここではケンペの生前に世に出ていた二つの「皇帝」について書いてみたいと思います。

 

■ 皇帝

CDジャケット

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

ヤコブ・ギンペル ピアノ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音: 1957年6月27-28日、1958年4月14日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
米PAST CLASSICS輸入盤 SP774


CDジャケット

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

ルドルフ・フィルクシュニー ピアノ

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

録音: 1964年、ロンドン、キングズウェイ・ホール
スイスMENUET輸入盤 160015

 ギンペルについてはケンペとのブラームス/ピアノ協奏曲第1番で紹介しました。ここでもたっぷりとしたケンペの伴奏に乗って堂々たる「入場」を果たしています。ケンペの指揮は実にしなやかで、テンポは自然に伸縮し響かせるところは大いに響き、弱音部でも豊かさは保ちつつギンペルのソロを支えます。ギンペルはこの曲をかなり得意としていたのではないかと思うくらいに、思いのままに演奏していきます。モノラル録音ですが特に左手の音型がとてもよく聴こえてきて興味深いものがあります。ピアノとオーケストラの掛け合いも実に輝かしく、古い録音ではありますが聴き応え十分な演奏だと思います。

 一方、フィルクシュニーとのステレオ録音は、早めのテンポで颯爽と始まります。最初から白熱した演奏です。第一楽章の最初の管弦楽は途方もなく堅牢で、かつ美しく進んでいきます。BPO・ギンペル盤ではややほの暗いながらも立派な演奏でしたが、RPO・フィルクシュニー盤は録音の差以上に音楽の輝きと推進力が見事です。フィルクシュニーはチェコの名ピアニストですが、少なくとも現役盤において他の「皇帝」のディスクを見つけることができませんでした。ここでのピアノはとても高貴な薫りに充ちています。早めのテンポでも一つ一つの音は磨き上げられており、何と言ってもオーケストラの伴奏に入り込むときの切り込み方がとても鋭いのです。しかし聴き手に無意味にねじ伏せて緊張させるわけではなく、自分が信じる音楽をきちんと演奏しているだけだと感じます。さて、これに競演するケンペの棒がまた鋭い。フィルクシュニーが作る世界をきちんと踏まえて、かつ負けず劣らず、というか丁々発止の趣でオーケストラを煽っていきます。フィルクシュニーはあちらこちらでほんのわずかにテンポを緩めたりするのですが、それに合わせて何事もなかったかのようにケンペは応えて、そのうち元のテンポにいつの間にか戻していく。そこに再びフィルクシュニーが切り込んでいく。ピアノとオーケストラがかくも同じ発想で同じ響きを作りながら、互いが攻めては受けるやりとりを実現している「皇帝」が過去どれだけあったのだろうかと思ってしまう演奏です。第二楽章も早めのテンポで淡々と進んでいくようで、中味はとても濃く、管楽器とピアノとの絡み合いだけを聴いても畢生の名演奏だと感じ入ります。第三楽章はケンペはオーケストラを厳しく整えていきます。弦楽器のアタックも下品ではないが切れ味鋭く、これにフィルクシュニーのピアノが燃えに燃えて打ち返していきます。それでいて第一楽章と同様、両者の音楽はまったく乖離することなく、むしろ一体化し、一体となりつつも互いに主張していくという奇跡のようなやりとりが繰り広げられているのです。終盤になっても互いの手に汗握る駆け引きは見事の一言に尽きます。名人同士のフェンシングの試合を見ているかのようです。これらの物言いは、まったくもって私個人の感想でしかありませんが、ケンペの伴奏指揮者としての実力がどれほどのものであったのかがよく分かる一枚だと思います。

 ところでこの二つの「皇帝」は本稿を書いている2010年10月現在、入手容易な現役盤は存在しません。BPO・ギンペル盤はアメリカの廉価盤であり、RPO・フィルクシュニー盤は20年以上前に発売されたスイス盤です。後者は一時SCRIBENDUMからリリースされるというニュースがありましたが、結局発売されませんでした。あの復刻に熱心なTESTAMENTレーベルからも出る気配がありません。ソリスト側が許可しないのか、その他の権利関係がクリアされないのか、事情はわかりませんが今後ぜひ復刻されてほしいベートーヴェンのディスクたちであると思います。

 

(2010年11月4日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)