「わが生活と音楽より」
二人の女流ピアニストで、ベートーヴェンの最後の三つのピアノ・ソナタを聴く

文:ゆきのじょうさん

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■ はじめに 今回の駄文に際しての私の告白

 

 まず、私はピアノがまったく弾けません。したがってヴァイオリンならある程度(本当にわずかに『ある程度』なのですが)想像がつく、奏法についてのコメント(タッチがどうとか、ペダルがどうとか)がまったくできません。あくまでも聴いた印象に留まります。

 次に私は、今回のベートーヴェンの最後の三つのピアノ・ソナタの楽譜は所有しておらず、かつまったく見たこともありません。したがって楽譜を追いながら此処がどう、其処がこう、というような聴き方ができません。あくまでも全体を(いわば)ぼーっと聴いた印象に留まります。

 さらなる告白として、いわゆる“後期ソナタ”を、ハンマークラヴィーア以外で真剣に聴いたのは今回が初めてであり、現時点でも私のCD、LPラックには今回の2枚のディスク以外に所有しておりません。他の演奏家との比較もできませんし、一般的にどのような演奏が多いのかという視点も用意されておりません。

 だから、今回の駄文はいつもに増して「暴挙」に近いわけです。当サイトでは、管理人である伊東さんがグルダやゼルキン、ケンプの演奏で、これらの曲を取りあげていらっしゃいますし、何と言っても松本さんというピアノに関しては大家がいらっしゃいます。アルフレッド・ブレンデル最終回ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く【インデックス】 で予定されております、【第4部「ベートーヴェンのピアノソナタ」覚え書き】が上梓されれば、おそらく今回書いたことが、変わる可能性もあります。にも関わらずに今回、駄文を出すのは当サイトが「An die Musikは、理屈抜きに音楽を楽しみたい音楽ファンのためのホームページ」であるという一点にのみ、その根拠があります。

 

■ 次に:私にとっての、ベートーヴェンの最後の三つのピアノ・ソナタ

 

 松本さんの上記「覚え書き」で、どのような論が展開されるかは分かりませんし、私自身もベートーヴェンのピアノ・ソナタを全部きちんと聴いたわけではないのですけど、少なくても今回取りあげる最後の三つのソナタ(すなわち作品109、110、111)は、何度か聴いてみても「良く分からない」曲達です。

 モーツァルトやハイドンのような急ー緩ー急の形式がはっきりしている曲に比べると、大変に自由度が高く、楽章毎のバランスも歪な印象です。しかし、これは最後の三つのソナタに限ることではなく、有名な月光ソナタだって、かなり自由に作られた感じです。したがって私にとっては、最後の三つのソナタも、中期と呼ばれるソナタたちと明確な線引きをすることが困難で、あたかもプリズムで分離した光のスペクトルのように「違うようだが連続している」ものとして捉えた方がよさそうに思います。

 一方において、前段と矛盾しているようですが、最後の三つのソナタは独特の味わいがあると感じます。どれも最後にフーガの形式を盛り込んでいるそうですが、バッハが「平均律」や「フーガの技法」で扱ったフーガ以上に、晦渋さを感じます。

 最初に聴いたときは芭蕉などの句集にみられる侘び寂びのようなものかと思いましたが、何度か聴くと哀切な印象にもなり、また何かに苦しみ、呻いているようにも思いました。理詰めのようで感情が赴くままであるようでもあり、まるで曼陀羅を眺めているようでもあります。本当に「良く分からない」曲達です。

 この最後の三つのソナタを一纏めにして何と呼んで良いのか分かりませんし、そもそも一纏めにすることが間違っているのかもしれませんが、本稿ではとりあえず、《最後の三つのソナタ》とすることにします。

 

■ ルフェビュールを聴く

CDジャケット

J.S.バッハ:
 パルティータ第6番 ホ短調 BWV830
L.V.ベートーヴェン:
 ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 作品109
 ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
 ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 作品111
イヴォンヌ・ルフェビュール ピアノ
録音:1977年1月29、31日、2月4、5日、ビルレッテ教会、パリ
仏SOLSTICE(輸入盤 FYCD051)

 さて、一枚目の演奏家、イヴォンヌ・ルフェビュールは1898年生まれのフランスの女性ピアニストです。コルトーの弟子で、モノラル時代にフルトヴェングラーと、モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番を演奏したことで知られているのだそうです。パリ音楽院の教授となってリパッティ、フランソワなどの後進の指導を主にしていたため録音は少なく、1970年代になっていくつかスタジオ録音を残して1986年に亡くなっています。このピアニストについては、以前本コーナーにて、みっちさんが書かれた「ルフェビュールの稀少な協奏曲録音を聴く」 でも登場しております。今回取りあげるのは、同じく晩年に録音したものです。

 ルフェビュールの《最後の三つのソナタ》は、極めて明晰です。きりりとした硬い鉛筆できちんと楷書で描くような演奏です。テンポは速く、弛緩するところはありません。良く聴くとちょっとしたミスタッチもあるのですが、全体としては、とても80歳近い人の演奏とは思えません。しかし、ただ譜面を教科書的に追った演奏というわけでもないようです。音楽には勢いがあり、ほとんど一気に録音しているのではないかと思わせます。作品111第二楽章のアリエッタなどは典雅に歌い、突然ふっとかき消すように終わります。

 

■ ゼーデルグレンを聴く

CDジャケット

L.V.ベートーヴェン:
 ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 作品109
 ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110
 ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 作品111
インゲル・ゼーデルグレン ピアノ
録音:1978年、1989年、パリ
仏CALLIOPE(輸入盤 CAL6648)

 インゲル・ゼーデルグレン(セデルグレン、と表記されたりします)はスエーデンのピアニストです。同国で教育を受けた後にフランスに留学、先のルフェビュールのお弟子さんでもあります。また、ルフェビュールと並んで、フランスの音楽教育者として名高いナディア・ブーランジェにも師事しているので、私が以前取りあげた、「フォーレのレクイエム、ナウモフ版を聴く」 や、「サル・プレイエル ライヴを聴く」 で登場したエミール・ナウモフの兄弟弟子であるとも言えます。カリオペ・レーベルにバッハ、ブラームス、シューマンなどを録音していましたが、現在はコントラルト歌手ナタリー・シュトゥッツマンの伴奏をしています。ツアーだけではなく、一緒に生活しているとのことですから、「とても仲がよい関係」であることは確かなようです。

 さて、ゼーデルグレンの弾く《最後の三つのソナタ》の演奏は、極めて美しいものです。テンポは特に緩徐楽章において、ルフェビュールに比べて格段に遅いです。例えば作品109の第三楽章の冒頭は、アンダンテとは思えぬ、ほとんど止まりそうなくらいの遅さです。作品111のアリエッタもゆったりと音が一つ一つ紡ぎ出されてきます。ただ鈍重に演奏しているのではなく、感興にまかせて、程良くテンポが加速していくのも興味深く聴けました。

 音の一つ一つが硬質で輝くようであったルフェビュールに対して、ゼーデルグレンは柔らかく包むように響かせます。《最後の三つのソナタ》に対して、ルフェビュールはバッハのような形式美と、無駄を一切そぎ落としたような響きの中にそこはかとない哀切さを込めようとしたのだとすれば、ゼーデルグレンはベートーヴェンが想像した響きの美しさにひたすら没入して瞑想し、森羅万象を導きだそうとしているように感じます。

 どちらが良いというものでは勿論ありませんし、どちらも素晴らしい演奏だと思います。と、同時にこのように違う解釈でも充分違和感なく音楽となり得る、《最後の三つのソナタ》の深淵というのは、やはり魅力的であると言えるのでしょう。

 

■ おわりに

 

 《最後の三つのソナタ》は、いかなる曲達のなのか? 私は今なお分かりかねています。おそらく「ベートーヴェンの最後のソナタ」という記号に惑わされているのだとも思います。超大作である「ハンマークラヴィーア」の後に、何故最後に、この三曲であったのか?ではなく、この三曲は何の始まりであったのか?という問いかけが意味あるものかもしれません。それが見えてきた時に、私にとって、この三曲がさらに魅力的になると良いと考えています。

 

2007年3月31日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記