隣町のオケを聴く その2
ボンガルツのブルックナーを聴く

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CDジャケット

ブルックナー 
交響曲第6番イ長調
ボンガルツ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
録音:1964年
BERLIN Classics(輸入盤 0091672BC)

 大好評?「隣町のオケを聴く」シリーズ第2弾。

 今回はハインツ・ボンガルツ指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管。ただし、ボンガルツ(1894-1978)はゲヴァントハウス管の首席指揮者であったわけではない。ドイツ各地の歌劇場の指揮者を勤めた後、1946年からはライプツィヒ音楽大学の教授となり、また1947年から63年にドレスデンフィルの首席指揮者となるなど、旧東ドイツでは重鎮であったようだが、ゲヴァントハウス管は客演したにすぎないようだ。

 さて、そのボンガルツ。重鎮であったらしいことだけは分かるのだが、いかんせん録音が少ない。あまり録音が少ないため、正確な判断がしにくい人である。私のページでは以前ボンガルツ指揮によるベートーヴェンの劇音楽「エグモント」をご紹介したことがあるが、正攻法による丁寧な音楽作りに大変好感を持ったものだった。

 ではこのブルックナーではどうか。ここではベートーヴェンとは全く違う音楽作りをしているのに驚かされる。音楽作りの違いが、もしかしたらシュターツカペレ・ベルリンとゲヴァントハウス管というオケの違いによるものなのかもしれないが、あまりにも違う。もしかしたら二つの顔を持った指揮者だったのだろうか?

 ボンガルツは、「エグモント」ではひたすら音楽をして語らせるというスタンスであったのに対し、このブルックナーではかなり自己主張をしている。ボンガルツはオケのトゥッティ(全奏)でここぞとばかりに金管楽器を激しく鳴らす。もともと爆発的なフレーズが面白い曲ではあるが、静かな場所で聴いているとその鋭い、とげとげしい音にドキッとしてしまう。オケの音色はやや潤いに欠け、硬質な感じがする。弦楽器もなめらかというよりは「パワーで乗り切るべし!」というマッチョな雰囲気だ。オケ全体の音が硬い。あるいは録音のせいなのかもしれないが、鋭角的かつ硬質な音楽作りであることは間違いないだろう。この音楽作りは、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。ブルックナー表現のひとつとして私は面白いとは思うが、嫌悪する人もいないわけではないだろう。

 ブルックナーの交響曲では金管楽器、とりわけホルンが活躍する。しかし、金管楽器が響き渡っていればそれでよいかというと、もちろんそうではない。私はブルックナーの音楽では楽器のブレンド感が特に重要なのではないかと考えている。金管楽器が盛大に鳴っても、オケ全体の響きの中にしっくり溶け込んでまとまっているのが良い演奏だと思う。一般的に、ウィーンフィルを使ったブルックナーの録音が名盤とされる場合が多いのは、その点にあると私は考えている。そこへいくと、どうしてもボンガルツのブルックナーは違和感がある。驚くべきことに、ボンガルツは第2楽章アダージョでもとげとげしいスタイルを変えていない。このようなシャープなスタイルで演奏されたブルックナーは類例がないのではないだろうか。

 しかし、ひとつの仮説は立てうる。つまり、「当時、このような演奏が必然的になるほど、このオケは音色のブレンドができなかったのではないか?」ということである。硬く、潤いに欠けるオケの音色を聴くたびに、この演奏スタイルがボンガルツの嗜好ではなく、やむをえず採った窮余の策ではなかったかと邪推されるのである。極論すれば、この演奏で聴くゲヴァントハウス管の音色を聴く限り、前回のコンヴィチュニーによる名演を残した団体と同じ団体とはとても思えない。録音時期の差はわずか4年。また、コンヴィチュニーが死んで2年しか経っていない。オケというものはこれほど変化してしまうものなのだろうか。この録音を愛聴している方も大勢いらっしゃるだろうから、失礼な書き方は慎みたいが、ブルックナー演奏の中心地である南ドイツで、このような演奏が行われたことに私は音楽活動の難しさを感じる。本当のところはどうだったのであろうか。

 なお、ボンガルツは前述したとおり、46年以降ライプツィヒ音楽大学で教鞭を執ったが、そこである指揮者を教育する。次回はその指揮者の録音を聴くことにしよう。

 

1999年12月16日、An die MusikクラシックCD試聴記