チェコフィルのページ

管理人:稲庭さん

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■インデックス

チェコ・フィル

11.

ヴァーレクのスクとヤナーチェク(2010年3月8日掲載)

10. アルブレヒトのフィビフ「交響曲第3番」(2005年6月19日)
9. クーベリック1991年東京での「わが祖国」ライブ(2005年4月15日)
8. ビエロフラーヴェクのマルティヌー(交響曲第3番、第4番)(2004年10月21日)
7. ヤナーチェックの「グラゴル・ミサ」(2004年10月17日)
6. ノイマンのスラヴ舞曲集(2004年8月28日)
5. マッケラス指揮のドヴォルザーク交響曲第6番(2004年7月18日)
4. クーベリックの1991年ライブ(2004年6月24日)
3. ノイマン指揮によるドヴォルザーク交響曲第9番(2004年6月19日)
2. アシュケナージの指揮によるR.シュトラウス「家庭交響曲」(2004年6月11日)
1. ノイマン指揮によるスメタナの交響詩(2004年6月4日)
 

 はじめに

 

 伊東様の御好意に甘えさせていただき、今後チェコ・フィルに関して拙い文章を綴らせていただくことになりました、稲庭と申します。しかし、私、チェコ語もできなければ、何か体系的なものを作る能力もありません。その点については、端から諦めることにいたしました。

 また、この場では、私がチェコ・フィルに「片思いした瞬間」について述べるのが普通かと思いますが、それについてはノイマン指揮のマーラー交響曲第1番のディスクを紹介させていただいた際に簡単に触れているので、あえて再説することもないかと思います。

 そこで、ここでは、現在私がチェコ・フィルについて考えていることを少々述べさせていただいて、今後どのようなことをしたいと、少なくとも今のところは、考えているのかを少し述べさせていただきたいと思います。とはいっても、根がいい加減な私のことですから、本当にどうなるかは、わからないのですが^^)。

 チェコ・フィル。1896年、アントニン・ドヴォルザークの指揮の下で初めての演奏会を行い、それ以後の困難な時代を経るが、1919年にヴァーツラフ・ターリッヒを首席指揮者に迎えると一躍世界的レベルのオーケストラとなり、カレル・アンチェルの下ではレパートリーの拡大などにより黄金時代を迎えた。アンチェルの後を継いだノイマンはその高いレベルを保ち、1990年には後進のビエロフラーヴェクに道を譲り、その後はアルブレヒト、アシュケナージ等の国外からの指揮者を迎え、2004年からは久々にチェコ出身の指揮者ズデニェック・マーツァルが首席指揮者となった。といったようなことが、「正史」には記されています(チェコ・フィルのHP参照)。

 すると、これを読んだ人はこう思うかもしれません。「なるほど、チェコ・フィルとは過去の楽団だ。おそらく、今や二流に成り下がったのかもしれない。なぜなら、黄金時代がすでに40年近くも前に終わっているのだから」と。実は、このような感想に対して、はっきりと「そうではない。今でも一流のオーケストラである!」と強弁できれば、一チェコ・フィル・ファンとしては心強いのですが、そうとばかりは言えないところに、私の悩みもあるのでして。

 録音の面から見た場合、「正史」の言うことが分からないわけではない、という面もあります。例えば、1950年代から活発になった録音ですが、私の見るところ、1970年代、つまりアンチェル時代の終焉とともに、一旦その数が落ち込みます。その後1980年代以降は回復するのですが、それにしても、録音そのものが激増していくCD以降の時代と1960年代とを比べて60年代が遜色ないというのは、やはり60年代がすごかったといわざるを得ません。また、アンチェル時代の録音は、それ以降の録音と比べた場合、一貫して安定したレベルを保っている(録音技術は別ですが)、ということも認められなければならないと思います。

 しかし、上記の「正史」を一概に肯定できないところもあります。

まず、オーケストラの技術的な最上点だけを見れば、明らかに、60年代のチェコ・フィルより現在のチェコ・フィルの方が上だと思います。これは、亡くなる直前のノイマンがあるインタヴューで言っていた通りだと思います。

 次に、現在のチェコ・フィルもすごい演奏をすることがあります。「ことがあります」というところが、実は、現在のこのオーケストラの最大の弱点なのではないかと思うのですが…。つまり、「そうでないこともある」ということです。もちろん、どのオーケストラでも出来不出来はありますから、チェコ・フィルもその例外ではないのですが。それにしても、不出来の回数が多すぎる。しかし、素晴らしいときは、素晴らしすぎる!!!

 さらに、チェコ・フィルといえば、ターリッヒ、アンチェルという名前と結びついていますが、実は、チェコ・フィルの首席指揮者を最も長期に渡って勤めたのはノイマンです(1968年から1990年まで)。そして、ノイマンについては、近頃、わずかではありますが再評価の機運が見られます。例えば、英誌Gramophoneの2004年3月号ではノイマンについて2ページを割いています。そこで述べられている、ノイマンには「柔軟性」があり、そのことが彼とチェコ・フィルとの演奏にも反映されており、その時期は新たな発展の時期として位置づけられる、という意見に私は同意します。

 この問題をもう少し考えるために、日本でのチェコ・フィルの評価のされ方について少し考えてみましょう。1999年の来日時のパンフレットに「特有のやわらかく歌うような音色、深々とした肉厚な響き、ほの暗いいぶし銀のような音楽」とあります。私は、チェコ・フィルの響きが、例えばシュターツカペレ・ドレスデンと比べた場合に「肉厚」だとはあまり思いませんが、「特有のやわらかく歌うような音色」については共感できます。そして、チェコ・フィルといえばその音色の「やわらかさ」とよく「歌う」ということが評価されているように思われます。例えば、シュターツカペレ・ドレスデンの響きがゼンパー・オーパーのような重厚な建築に例えられるとすれば、チェコ・フィルのそれは、なだらかな傾斜を持ってどこまでも続くような、いかにも中欧の畑という風景であるように思います。しかし、このようなイメージは、アンチェル時代の録音よりは、ノイマン時代の録音(とりわけ、晩年のそれ)、およびその後のチェコ・フィルの特徴ではないのか、と思うのです。

 さて、ここまでお読みくださった方は、私が現在のチェコ・フィルについてどのような考えを持っているか、そして、この後にどのようなことをやりたがっているか、何となく理解してくださったことと思います。

 そうです。一言で言えば、私は、ノイマン時代以降の、「やわらかく、よく歌う」チェコ・フィルは今考えられているより高く評価されていいと考えているのです(もちろん、アンチェル時代のチェコ・フィルも好きですよ。念のため)。そして、そのノイマンによって植え付けられたオーケストラの美質は、徐々に姿を変えながらも、今でも続いているように思うのです。

 というわけで、初めから偉そうなことを述べてしまいました。もしよろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。

(2004年5月31日、稲庭さん)

 

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