ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?
2000年6月

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CD6月30日:音楽との相性

クラシック音楽に無関心な我が家の女房さんにも、好きな曲がいくつかあります。その代表がドボルザークの交響曲第8番、通称「ドボッ8」であります。いくらCDを買い込んできても、この曲のCDを1枚混じり込ませておけば、ご機嫌になります\(^o^)/。そのため、我が家には次第に「ドボッ8」のCDが増えてきてしまいました。

女房さんがこの曲を気に入っているのは、何となく分かるような気がします。交響曲という名前が付いてはいても、いかめしいところがありませんし、すぐ覚えられそうな名旋律が次から次へと登場してきます。クラシック音楽はお堅い趣味だと思われがちですが、この曲はお堅い感じは全くしませんね。聴いている方も、そして(多分)演奏する方も、ただひたすら音楽そのものを楽しむことができるはずです。

他に女房さんが好きな曲は何かといえば、スメタナの連作交響詩「わが祖国」だとか。といいながら、女房さんは「モルダウ」が第何曲目に当たるかも知らないのですが...。それはともかく、「わが祖国」もきれいな旋律があふれ出てくる曲ですね。なるほど。

逆に嫌いな曲は何か。それはブルックナーの全ての曲らしいです(T_T)。亭主は熱狂的なブルックナーファンです。おそらくブルックナー信者という言葉は、自分のためにあるとまで考えていますが、こともあろうに女房さんはブルックナーに対する拒絶反応を強く示しています。同じ後期ロマン派でもマーラーやR.シュトラウスに対する苦情はいまだかつてなかったのですが、ブルックナーだけは我慢ならないそうです。その理由はまず、やたら聴かされて辟易したことにあるようです。これは私にも責任がありますね。ブルックナーのコンサートにもさんざん連れていきましたし、狭いマンションの中でボリュームを上げてガンガン聴きまくりましたから。普通はそこまでしていれば、途中で曲の隅々まで覚えてしまい、ついには好きになってしまうものですが、逆だったのです。珍しいことです。

ブルックナーが嫌いな第2の理由としては、「眠くなる」というものでした。どうしてブルックナーを聴いて眠くなるのか、信者の私には到底理解できないのですが、確かに女房さん、一緒に聴いていると時々ぐうぐう寝ていますね。でも、ひとつ言わせてもらえば、聴いて眠くなる音楽というのは、体にいいのでは? 眠くなるのは波長が合っている証拠ですから、ブルックナーは実は女房さんにぴったりの音楽家もしれないのです。そうだ! あと少しで女房さんも信者になるのかもしれません。今日もガンガン聴かせてやらねば!ブルックナーの神髄、9番なんかはどうかな? 早速シューリヒト盤を取り出して聴いてみましょう。


CD6月29日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテットのドヴォルザーク交響曲第8番」を追加しました。本文にも書きましたが、これは大変優れた演奏です。見かけたら、騙されたと思って是非聴いてみて下さい。


CD6月28日:お待ちかね?苗場&福島屋旅館のページに「山菜取り体験記−2000年」を追加しました。

昨日から開始した「英雄の生涯」聴きまくりシリーズ。私はR.シュトラウスの一部の交響詩は冗談抜きに苦手としています。ここだけの話ですが(^^ゞ、「ドン・ファン」は、うるさくて、最後まで聴けません。「ティル」も少々苦手です。ですが、「英雄の生涯」だけはクラシック聴き始めの頃から愛好しています。派手派手しい音楽と思いきや、けっこう陰影に富んでいて好きです。聴き所が全編に散らばっているし、聴き比べをしてこれほど楽しい曲はありません。自分でもこの偏向は奇妙だとは思っているのですが...。皆さんもこんな偏向はありませんか? え? そんなのは私だけだ? そうかもしれませんね。恥ずかしいです。


CD6月27日:CD試聴記に新企画「<英雄の生涯>を聴きまくる」を追加しました。第1回は泣く子も黙るフリッツ・ライナー指揮シカゴ響による演奏です。

なお、この企画は約2ヶ月くらいかけてのんびりやります。回数も内容・順番もまだはっきりとは決めていません。途中で脱線しながら、オケと指揮者による演奏の違いを楽しみたいと思います。また私はこの曲の録音を全部集めているわけでは決してないので、私の手持ちCDだけで進めてみます。さて、脱線盤を含めて、今後どんなCDが出てくるか、お楽しみに。


CD6月26日:贅沢なコンサート

昨日(6/25、日曜日)は友人夫妻と国立(くにたち)に遠征してきました。目的は何か。驚くなかれ、ベルリンフィルの首席オーボエ奏者シェレンベルガーさんとウィーンフィルの首席フルート奏者シュルツさん、さらに我が国が誇る美人ハーピスト吉野直子さんのコンサートを聴くためです。え?「国立にそんな超一流の方々がコンサートを開けるようなホールがあるのか」って? 大変いい質問です。一応はあるんです。我が母校、一橋大学構内に、兼松講堂という建物がありまして、今回はそこで夢の共演が行われたのです。

兼松講堂外観ボタン兼松講堂外観。見た目は重厚。なお、写真左は私。写真右は中学、高校、大学が同じ腐れ縁の悪友。しかも徒歩10分の至近距離に在住

 

  

兼松講堂は1927年に建てられています。建設された当時としては最高に重厚な建築だったことでしょう。でも、今となっては老朽化が進み、音楽ホールとしてはあまり褒められたものではありません。響きは乾いていますし、他の音楽専用ホールと比べたら月とすっぽんです。しかも、旧式の建物ですから、空調がないんです! 昨日は午前中雨が降っていましたから湿気も多く、講堂内はそれこそムシムシ。ステージ上は照明があるため、相当な暑さだったと思われます。そんなところにですよ、シェレンベルガーさん、シュルツさんという世界最高峰オケの「顔」をお招きしてコンサートを開いてしまったんですから、唖然ですね。  

プログラムは2つだけで、前半はモーツァルトのオーボエ協奏曲ハ長調KV.314、後半はモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調KV.299でした。オケは一橋大学125周年記念オーケストラ。一橋大学の現役及びOB・OG楽員が参加したようです。オーボエ協奏曲では、シェレンベルガーさんが弾き振りをしました。とてもすばらしいオーボエ!。あんなデッドなホールでも、シェレンベルガーさんほどの名手になると、いくらでも自分の音を響かせられるんでしょうか。第2楽章のアンダンテなど、筆舌に尽くしがたい美音攻撃でした。シェレンベルガーさんのオーボエは、最弱音でも大変緊張感があり、ぴーんと張りつめた力を感じました。それで美音な訳ですからたまりません。満場の聴衆も恐いくらい静まり返って聴き入っていました。ただ、シェレンベルガーさん、暑さにはまいっていたようです。何度もハンカチで汗を拭っていました。

フルートとハープのためのコンサートではシュルツさんと吉野直子さんが魅惑のソロを聴かせてくれました。シェレンベルガーさんは降り番だとばかり思っていたら、何と指揮者として登場。私はそれだけでたまげました! 国立くんだりの兼松講堂で、こんな贅沢なことをしてもいいのでしょうか? 私は第1楽章が始まる前から感極まってしまいましたo(^o^)o。さて、演奏です。シュルツさんのフルートは柔らかな、いかにもウィーン風の音色で、しかも量感がありました。こちらもホールの音響をものともせずに聴衆を釘付けです。講堂内は大勢の聴衆と照明ですっかり気温が上がり、おそらく誰もが汗だくだったと思いますが、夢の共演をみんなが楽しんでいたようです。いやあ、いいコンサートでした。

こんな贅沢なコンサートが可能だったのは、主催した梶本音楽事務所の副社長が一橋大学出身だったからだとか。企画しただけでなく、開演まで漕ぎ着けるには言い知れぬ苦労があったと思います。これは大先輩に感謝しなければいけませんね。チケットも格安でした。たった3,000円で本当にいいのでしょうか? こんな贅沢なコンサートは、これからそう何度も期待することはできないでしょうが、また楽しい企画をお願いしたいところです。

なお、コンサート終了後、大学構内の別所でレセプションが行われました。シェレンベルガーさんは、とてもきれいな英語でオケと兼松講堂を褒め称えて下さいました。リップサービスと分かってはいても、嬉しくなりました。何だかほのぼのとした気分で帰宅でした私です。

3人のソリスト。ボタンレセプション会場に現れた3人のソリスト。左からシュルツさん、吉野直子さん、シェレンベルガーさん。ややピンぼけの写真で恐縮ですが、とてもにこやかな3人でした。特に吉野さんはとてもかわいい人です。私はすっかりファンになってしまいました(ステージでは天女みたいに見えます!)。



CD6月25日:オフ会顛末記

6/24(土)に10万件記念オフ会を開きました。参加者は5名です(名前は伏せておきますが...)。JR上野駅の公園口で待ち合わせをし、池之端近辺まで繰り出しました。時間的には、6:50頃から飲み始め、12時近くまで飲んでおりました。私は調子に乗って何杯もビールを飲んでしまい、ろれつが回らなくなってしまいました(^^ゞ。12時過ぎますと、終電に間に合うかちょっと心配でしたが、無事帰宅できました。全員ちゃんと帰れたか心配です。

趣味の話をしておりますと、時間が経つのはあっという間ですね。今回参加された読者のうち3名はカペレの「エキスパート」。本当に皆さんいろんなことをご存知でした。どうしてあんなに詳しいのか不思議であります。強者揃いでしたから、主催者である私などとても及びもつかない音楽談義になってしまいました(◎-◎)。

次回のオフ会は全く未定であります。が、きちんとした形でもう一度やりたいです。今回は予告を出してから1週間しか時間がありませんでしたから、時間の調整がつけられなかった方が目立ちました。もう少し前もって計画を立て、幅広い趣味の方が参加できるオフ会を目指したいと思います。できれば、ゆっくりお話がしたいですから、お昼頃から始め、音楽の話をしながら延々飲み続けるというスタイルもいいかもしれません(^^ゞ。そうなったらいっそのこと、どこかの座敷でも借り切らなければいけませんね。良いアイデアをお持ちの方、ぜひメールでも下さい。え?飲むことばかり考えるな?えへへ、好きなものですから。どうか許して下さいね。


CD6月23日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテットのブル7」を追加しました。ブル7、すなわちブルックナーの交響曲第7番ですね。


CD6月22日:アクセス10万件!

本日、ついにアクセス件数が10万件に達しました。ゲストブックへの書き込みによれば、お昼過ぎにヒットした模様です。1988年11月1日に開設以来599日。平均すると1日あたり167件のアクセスがあったことになります。最近では1日のアクセスが300件を超えるようになりましたが、開設当時は平日でも80件程度でした。その後ホームページ運営上のトラブルがあったり、いろいろなことがありましたが、何とか599日間持ちこたえることができました。開設当時、Web界の藻屑になることだけは避けたいと思っていましたが、まさか自分の拙いページがこの大台に乗るようなアクセスを獲得できるとは夢にも思いませんでした。これもひとえに私を激励し続けて下さった読者のお陰です。ゲストブックでの激励はもちろん、ダイレクト・メールにて一所懸命応援して下さる読者も少なからずいらっしゃいます。この場を借りまして心からお礼を申しあげます。ありがとうございました<m(__)m>。

何度も繰り返しますが、私は音楽の専門家ではないし、楽譜さえまともに読めないド素人であります。そのかわり音楽を聴いてどのように楽しかったか、すばらしかったかをできる限り分かりやすく述べる努力は欠かさずに行ってきました。いい加減な聴き方はしたくないので、CDも注意深く聴きました。「CD試聴記」や「クレンペラーのページ」、「クーベリックのページ」、「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」などに単体で登場するCDはアップする前には少なくとも3回は試聴しています(私はより深く音楽を理解したいと思っていますので、1度聴くだけでCDを放り投げることはしたくありません)。何度も繰り返して聴き、現時点での考えをまとめたうえで、その感想を書き留めるようにしています。音楽の専門用語もなるべく使わないようにしてきました。一時は「アッチェランド」(次第にテンポを速めること)という言葉も女房さんの検閲に引っかかり、書き直しを命じられたこともあります。

そんな私のページが読者を獲得できた理由としては、おそらく毎日更新していることも挙げられるでしょう(^^ゞ。ホームページを立ち上げる際、「毎日どこか1カ所でも変更を加えなさい」という友人フォルカー氏の指導に従って、毎日更新してきました。クラシックのホームページの中でもこうしたやり方をしているのは数えるほどしかないはずです。我ながらよく続くものだと感心します(^^ゞ。ただし、おおよその準備は日曜日にしてあります。が、日曜日には荒削りな原稿ができるだけです。そのままでは公開できない場合が少なくないため、アップする直前に再度手を加えています。それと、よく、「毎日更新は大変でしょう?」と尋ねられますが、実はそうでもありません(^^ゞ。走り続けているから更新できるのであって、一度休んだら何を書いていいのか途方に暮れるに違いありません(本当)。

更新が楽でなかった時期もあります。599日の中で最も苦しかったのは昨年の12月頃でした。みずなが生まれて4ヶ月目前後です。みずなは、それはもう泣くわ泣くは...。とてもCDなど聴いていられません。今では毎日私を見てニコニコしていますが、12月頃はすごい泣きっぷりに「一体いつまで泣き続けるのだろうか?」と真剣に悩みました。そういう時期にあっても女房さんは私の道楽につきあってくれ、私にホームページ作成を許してくれたのですから、とても頭が上がりません。持つべきものはよい女房であります。女房さんにも深くお詫びするとともに、感謝したいと思っています。

さて、「An die Musik」の初期の構想には、「クレンペラーのページ」も「クーベリックのページ」も含まれていませんでした。メインは「CD試聴記」で、クラシックCDをジャンルを問わず広く聴いてそのレビューをアップするという構想でした。余力があれば「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」を作りたいとは考えていました。が、それはメインに扱うつもりはありませんでした。今後もメインにはしないつもりです。私のページは本来的には特定の音楽家やオケに焦点を当てるマニアックなものではなく、広く浅くが身上であります。私も鑑賞する範囲・ジャンルを限定せずに、いろいろな音楽を楽しみたいですし、様々な音楽ファンと意見交換もしたいと思っています。「An die Musik」が、そういう音楽愛好家の交流の場になれば、作者として最高の喜びであります。私は、これからもたくさん音楽を聴き、その楽しさを語り合えるページを作っていく所存です。今後とも何卒「An die Musik」をよろしくお願い申しあげますm(__)m


CD6月21日:マーラーの10番

昨日の「What's New?」ではラトル不感症などという文章を書いてしまいましたので、どなたからかカミソリでも送られるかと思いましたが、今のところ身辺はいつも通り平静を保っています(^^ゞ。安心しました。

さて、今日はマーラーの交響曲第10番についてです。この曲はマーラーが完成したものではありませんが、傑作中の傑作だと私は信じています。第10番ほど聴き手の深層心理に入り込む曲は珍しいと思います。この曲に対する私の入れ込みを決定的にしたのは、繰り返しますが、他ならぬテンシュテット盤でした。全曲と第1楽章アダージョだけの演奏を単純に比較することはおかしいと嘲笑されそうですが、私はテンシュテット盤は、恐くて第2楽章以降があっても聴き通せないのではないでしょうか。テンシュテットがライブでこの曲の演奏を行ったことがあるかどうか調べたことはありませんが、もし、彼が指揮した第10番を聴いたら、真夏でも会場に冷房が要らなくなるほど空気が冷却化するのではないかと思われます。

これまたあざけりの対象になりそうですが、第10番ではシノーポリの演奏も気に入っています。

CDジャケットマーラー
交響曲第6番イ短調「悲劇的」、第10番からアダージョ
シノーポリ指揮フィルハーモニア管
録音:1986年9月(第6番)、1987年4月(第10番)、ロンドン
DG(国内盤 F66G 20171/2)

シノーポリはテンシュテットが28分で演奏した第1楽章を32分もかけて演奏しています。シノーポリらしく、ドロドロぐちゃぐちゃ、「人間の懊悩ここに極まれり」といった演奏です。シノーポリは向き・不向きがはっきりした指揮者ですが、ことマーラーにかけてはすばらしい演奏を聴かせてくれる指揮者だと思います。もっとも、テンシュテットに比べれば、悪趣味な演奏なのかもしれませんが。どうも私は悪趣味が好きなようです。ラトルの端正な演奏に感激できないのも、こうした悪趣味嗜好が反映しているのかもしれません。

シノーポリは1985年から90年にかけてフィルハーモニア管とマーラー全集を作りましたが、第10番は第1楽章アダージョだけです。クック版による全曲をカペレと録音してくれないものかと考えているのはきっと私だけではないでしょう。


CD6月20日:ラトル不感症に悩む

非推薦盤マーラー
交響曲第10番(クック版)
ラトル指揮ベルリンフィル
録音:1999年9月24,25日、ベルリン
EMI(輸入盤 7243 5 56972 2 6)

先頃発売されたラトルによるマーラー交響曲第10番。話題の指揮者の話題盤ですから、聴かないで済ますわけにはいきません。私も発売直後早速入手しました。4月下旬に発売以来、気になるCDでしたので、何度も何度も聴き返してみました。

このCDで聴くベルリンフィルの技術はすごいですね。これ以上望むべくもない高いレベルでしょう。EMIのデジタル録音も一頃よりは聴きやすくなってきていて、ピアニッシモからフォルテッシモまで大きく振れるダイナミクスの中で、繊細な音色をそのまま伝えることが可能になっています。しかも、ラトルは、クックによる完成版のスコアにおいて、その演奏に対する貢献が述べられているほどこの曲に深い愛着を示し、演奏を行ってきた指揮者です。であれば、環境的には理想的な組み合わせによる録音です。

にもかかわらず、私はとうとうこのCDを楽しめませんでした(T_T)。特に私の好きな第1楽章が退屈で仕方ありませんでした。第2楽章以降はベルリンフィルの精緻な合奏能力を聴くだけでも面白いですし、オーディオ的にも楽しめました。が、胸を締め付けられるような切ない音楽であると私が考えている第1楽章は、まるで能面のようで、マーラーを感じることができません。ラトルの演奏はライブとは思えないほど醒め切っています。ドロドロし、悪趣味なマーラーが好きな私には物足りなく感じます。私はテンシュテットの指揮した第10番(ただしアダージョのみ)を宝物のように思っていますが、ラトル盤では、テンシュテットを聴いたときに感じた恐ろしさも絶望も現世への憧れ、執着も聴き取ることができませんでした。

私はここでこのCDを批判するためにこの文章を書いているのではありません。ラトルという指揮者を私はもっとよく知りたいと思います。皆さんはどう聴かれましたか?よろしければ、後学のためにご意見をお聞かせ下さいもしかしたら、私のラトル観には、何か基本的な理解が欠如しているのではないかとさえ思っています。念のため、私のラトル観をクレンペラーとの比較によって要約しておきます。

私の好きな指揮者であるクレンペラーは、どんなに長い曲であっても、全体を鷲掴みにし、完全に咀嚼したうえで再構築するスタイルを取ります。ですから、細部に拘るというより、全体の大きな流れを最優先にしていると思われます。一方、ラトルは徹底的に細部に拘るといいます。だからといって、全体の大きな流れを等閑にしているとは思えませんが、スタイル的には逆の方向を向いているのではないかと思います。多分、私がラトルを理解できないのは、そうしたラトルの音楽作りが私の求めるものと大きく食い違っているからだと思います。


CD6月19日:本日も2部構成です。

その1:CD試聴記に「父クライバーの<新世界から>」を追加しました。NAXOSの廉価盤です。

その2:急告!オフ会のお知らせ

突然ですが、今週末にオフ会を開こうと思います。24日土曜日、上野あたりで一杯ひっかける予定であります。現在の参加予定人数は、私を含め、堂々3名です( ̄^ ̄)。時間は6時半頃からにしたいと思いますが、まだ決めていません。このページの読者で参加できそうな方は是非お立ち寄り下さい(別に真面目な読者でなくても結構です)。集合場所・店などはこれから決めます。ご興味のある方はゲストブックに書き込むか、あるいは、直接私宛にE-mailを下さい。

え?何で急にそんな話になったのかって?エヘヘ、それはAn die Musikトップページを見ていればおわかりになるはず。


CD6月18日:本日は2部構成です。

その1:リンクのページに「飯守 邦也の館」を追加しました。

作者のハンドルネームは「いいもりくにや」さんと読むのではなく、「ハンス・クニャ」と読むそうな。とくればクナッパーツブッシュのファンということだ(それだけで恐れ多い気がする...)。デパートの案内をイメージした作りの面白いページ構成の中には、「私の愛聴盤クナッパーツブッシュ編」もある。今年6月2日にできたばかりのページだが、今後が楽しみ。スポーツや映画・テレビに関するコメントもあり、作者の興味の幅広さが窺える。

その2:「みずなの成長日記」に「9ヶ月のみずな」を追加しました。

え?こんなページはいい加減にやめろ?すみません。女房さんが恐いので止められないのです(>_<)。何とかおつき合い下さい。


CD6月16日:女房さん、オペラに行く

女房さんがミラノ・スカラ座来日公演に行くことになりました。9/19のヴェルディ「運命の力」だそうです。ここしばらく、女房さんは育児と仕事に専念し、自分の楽しみは追求できなかったので、たまにはいいでしょう。何より、クラシックには興味を示さなかった女房さんが行きたいというのですから、家庭内闘争の緩和のためにも行ってもらうのが一番と私は判断しました。当日は私が会社を早退し、子供を保育園から引き取って面倒を見ることにします。そして女房さんは会社の音楽仲間とオペラ公演及び批評会(飲み会)まで参加して楽しんでもらうことにしてあります。

女房さんの会社にある音楽鑑賞同好会「ムジークフェライン」ではその日のスカラ座のチケットを8枚確保したそうです。女房さんも電話をかけまくったのですが、完全に敗退。ところが、難なく予約できた人もいて、鑑賞会が成立したようです。「ムジークフェライン」の鑑賞会には、何と会社から補助金が出るらしく、格安の値段でオペラが鑑賞できるとか。うーん、羨ましいですねえ。

ところで、肝心の女房さん、ヴェルディはもちろん、「運命の力」というオペラを知りません。「かわいいオペラか?」と尋ねるので、私は「うんにゃ、暗い情念が渦巻くシリアスな悲劇だ」と答えました。女房さんはオペラといえばモーツァルトの「魔笛」あるいはJ.シュトラウスの「こうもり」のイメージばかり持っていますから、シリアスなオペラというものを想像できないのです。ご存知の通り、「魔笛」はオペラというよりジングシュピール(歌芝居)ですし、「こうもり」はオペレッタであります。オペラのメインストリームには、女房さんの希望的観測に反して、暗く悲劇的な色調のドラマが目白押しであります。ショックを受けて帰ってこなければいいなあ、と今から心配する私でした。

そういえば、最近オペラを聴いていませんね。今晩はイタリア・オペラを楽しむことにしましょう。


CD6月15日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」、「ブロムシュテットの<英雄の生涯>」に「後編:比較試聴」を追加しました。

1枚のCDで3回分というのはAn die Musikの中では記録でしょうか? でも、この話はとても書き足りません! 私がホームページ作成を本職としていれば、ブロムシュテットの「英雄の生涯」について徹底的に書きたいところです。もっと続けたいところですが、特定のページの更新が続くのも何なので、後は次週に回しましょう。ちょっと辛い終わり方であります。


CD6月14日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」、「ブロムシュテットの<英雄の生涯>」に「中編」を追加しました。重要な部分です。ご意見をお寄せいただければとても嬉しいです。


CD6月13日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテットの<英雄の生涯>」を追加しました。一度には書ききれない内容ですので、3回に分けてアップします。きっと興味深い内容だと作者は思っておりますので(^^ゞ、お見逃しなきようお願い申しあげますm(__)m。


CD6月12日:バッハ

クラシックファンにとって、バッハほど重要な存在はありません。バロック音楽の大家であるのみならず、クラシック音楽史上、最も高い精神性をもつ音楽家であると思われているはずです。その音楽は極めて抽象的です。バッハには血湧き肉踊る華々しい音楽は、あっても珍しく、何となく人間の感情面から遠いところにいる感じがします。バロック音楽自体がそうした特徴を少なからず持っていると私は考えていますが、バッハの場合は特にその傾向が強いと思います。手に汗握ってバッハを聴くという体験は、バッハ演奏の奥義に接した方でなければ、めったにないはずです(私だけかな?)。しかも、バッハの「音楽の捧げもの」や「フーガの技法」においては、楽器の指定すらないと言います。普通なら、それぞれのパートの奏者や楽器を意識して書かれているはずの音楽でさえ、バッハにおいては無意味なようです。あるのは抽象的な旋律なのです。だからこそ学究的演奏も多いように思います。

ところが、逆説的に、抽象的なバッハの音楽は演奏家の意欲をかきたてるらしく、たいそうロマンチックなバッハにもお目にかかります。抽象的な音楽であるからこそ、めいめいが勝手な思いを込めて演奏することができるのかもしれません。例えば、無伴奏チェロ組曲。この曲はバッハの代表作のひとつに数えられていますが、蘇演者は20世紀のカザルスです。それまでは存在すら忘れ去られていた音楽です。埋もれていた音楽だからこそこそロマンチックな解釈が成り立つのか、大変抒情的ロマンティックな演奏があるような気がします。

実は、私自身、そうしたバッハ演奏のスタイルが嫌いではありません。むしろ歓迎しています。私は「音楽は聴いて楽しければよい」といういかにも素人くさい信条を持っていますので、「この演奏が正しい」という堅苦しいスタイルはちょっと苦手です。全てのジャンルで、どちらかといえば、コブシが入るような演奏にのめり込みます。ですから、私の趣味は「悪趣味」といえます。でも、ウィスペルウェイの弾く無伴奏にはとても気持がよくなりました。悪趣味指向の私もこんな明るいネアカな演奏を聴くと嬉しくなります。

CDジャケットバッハ
無伴奏チェロ組曲全曲
チェロ演奏:ウィスペルウェイ
録音:1988年1月
CHANNEL CLASSIC(国内盤 CCS 12298)

ウィスペルウェイはここ数年売り出し中の若手チェリストですね。この人の特徴は古楽器とモダン楽器の両方を使って演奏することです。それがプラスの評価になるのか、マイナスの評価になるのか、難しいところではありますが...。今日取り上げたCDでは18世紀初頭に作成された古楽器を使って演奏していますが、それを売りにしているわけではなさそうです。ウィスペルウェイのすばらしさは、バッハにまつわる学究肌の精神性やロマンチシズムから距離を置いているように見えることです。ウィスペルウェイは、「バッハの音楽を聴くのに、精神性とか難しい言葉はいらないでしょう? むやみにロマンティックになるのもおかしいです。ありのままを楽しめばいいのではないですか?」と語りかけています。全くそのとおりで、組曲第1番の冒頭から、ことさらな名浪漫主義指向を排除し、さらっと弾いているように聞こえます。ウィスペルウェイの音楽性は大変しなやかです。バッハがいとも軽やかに爽やかに響いてきます。

私は楽器の演奏ができませんので、ウィスペルウェイのボウイングがどのようなものなのかよく分からないのですが、技術も音楽性が卓越しているのは分かります。なにしろ、この組曲をどこから聴いても、生き生きとしています。学者臭いバッハとは一線を画していて、舞曲としてのこの組曲を存分に楽しめると言ったら言い過ぎでしょうか。とにかく、バッハという巨大な名前に押しつぶされずに、独自のスタイルでバッハを演奏しているわけですから、並大抵のことではありません。私はこの演奏に聴き惚れてしまいました。めったにやらないことですが、こうした爽やかなバッハならば、全曲を通して聴くのも悪くはないかもしれません。

なお、これは音質的にも大変優れたCDです。2枚組のCDで、国内盤で2,600円ほど。輸入盤で1,900円程度です。これはお買い得です。バッハを楽しく聴いてみたい方にお薦めです。ウィスペルウェイは他にもたくさんの録音をしていますね。俄然興味が湧いてきました。困ったことに、彼の録音を悉く聴いてみたくなりました。恐ろしい演奏家であります。


CD6月11日:週末

今週末は友人の家族と一緒に新潟県の苗場に行ってきました。「こんな季節にどうして苗場?」。ごもっともな質問です。むろんスキーではなく、山菜採りであります。今年の苗場近辺は雪が多く、3月に入ってからも大量の雪が降ったといいます。そのため、6月に入ってもまだ山菜が出そろっていないという状況でした。それでも土曜日は雨に降られずにすんだため、山菜採りを満喫できました。山の緑に囲まれて、気分は最高です。詳しくは、そのうちに女房さんが「苗場&福島屋旅館のページ」に今年度の山菜採りの模様をアップすると思いますので、ご覧下さいますようお願い申しあげます。

ところで、山菜採りという趣味はちょっと泥臭くて、ほとんどの方に理解していただけないかもしれません。今年はホームページ上で参加者を募って行こうかとまで思ったのですが、クラシック愛好家で山菜採りをして下さりそうな方を想像できなかったので、公募は取りやめにしてしまいました。でも、いいですよお。今晩はうどとたらの芽の天ぷら、ふきの煮物をいただくのでありますo(^o^)o。うーん、いい香り!うどは酢味噌でも食べられるのだっ。これがまたうまいのなんのって。しかも、飲むお酒は八海山!どうです、皆さんも行きたくなったでしょう?


CD6月9日:過去の不明を恥じる

今週はホーレンシュタインのブルックナーに対する意外な反響に驚きました。CD試聴記を書いた私自身、最近BBC LEGENDSシリーズにブルックナーの交響曲第6番、第9番、マーラーの交響曲第8番を指揮したホーレンシュタインのCDが登場するまで、ほとんど無関心でいたのですから、あのような試聴記をアップするのはとても恥ずかしいことです。ホーレンシュタインが変化していないのであれば、10年も20年も前に聴いたLPやCDを私は全く理解できていなかったということになります。

このような例は数限りなくあります。だからこそ、気に入らなかったCDでも売り払う気になれないのです。ひょんなことから聴き直してみて、突然視界が開けたように理解度が高まることがあるのです。妙な先入観を持ってしまうことは、みすみす自分の理解を妨げることになり、悪影響しか及ぼしません。あまり感心しない音楽家、あまり好きになれない作曲家のCDであっても、インターバルを置いて聴き直してみる価値は十分にあります。

私の場合、あまり感心しない音楽家には、信じがたいことかもしれませんが、セルとベームがいました(過去形です)。セルの場合、「ドヴォルザークの交響曲第8番(EMI)の演奏はすばらしいものの、その他の演奏は整い過ぎていて、やや生彩に欠ける」とまで思っていました(^^ゞ。もちろん、現在は改心し、セルのCDを密かに聴き直しては驚愕しています。また、ベームの場合、高校生の頃の熱狂が醒めてみると、「ただの重厚長大おじさんなのではないか」と思い込んだ時期がありました。そうした誤解は、一度持ってしまいますと、容易に解消されません。セルの場合もベームの場合も、気まぐれに聴き直したCDや、90年代になって発掘されたライブ録音を聴いてその真価を認識したと言っても過言ではありません。

ところが、実は、今現在もよく理解できない音楽家はいるのです。代表例はラトルです。アバドの後任としてベルリンフィルに君臨することが決定している大スターです。が、私はラトルを生で聴いても、CDで聴いても感激したことは一度もありません。ラトルの音楽は、私のようながさつな人間には理解できないものを持っているのかもしれません。それならそうと諦めて、しばらく放っておいてもいいのですが、ラトルに対する評価は日増しに高まるばかり。理解できない方が圧倒的少数派になっています。そのため自分に少し自信がなくなってきました(^^ゞ。ラトルのCDを聴いていれば、いつかは開眼するのでしょうが、それは一体いつの日なのか、ちょっと不安です。

皆さんも、そんな困った経験はありませんか?


CD6月8日:クレンペラーのページに「モーツァルトのピアノ協奏曲第22番」を追加しました。ピアノ演奏はアニー・フィッシャーです。少し寂しい文章になってしまいました。何卒ご容赦をm(__)m。


CD6月7日:ノー・クラシック・デーに聴く音楽

昨日は女房さんの強い要望により「ノー・クラシック・デー」となりました。過激な音楽を聴かされずにすんだ女房さんは、それだけでもご満悦でした。たまにはこのような譲歩もいいかもしれません。何しろ、追加のコストは一切発生しませんから(^^ゞ。家人の顰蹙を買い続ける日本中のお父さんはぜひ一度試してみるべきでしょう。

では「音楽は聴かなかったのか?」といいますと、聴きました。もちろん、女房さんの誕生日ですから、選曲は原則的に女房さんに一任です。女房さんのリクエストは、まず「チャーリー・ブラウン40周年記念CD」(輸入盤)。

CDジャケットHAPPY ANNIVERSARY,CHARLIE BROWN!
Featuring:Patti Austin,David Benoit,Dave Brubeck,Chick Corea,Kenny G,Dave Grusin,B.B.King,Gerry Mulligun,Amani A.W.-Murray,Lee Ritenour,Joe Williams
録音:1995年?
GRP(輸入盤 GRD-9596)

少し古いCDですが、録音当時アメリカジャズ界における有名どころがぞろぞろ顔を揃えた豪華なCDであります。チャーリー・ブラウンやスヌーピーにちなんだ全12曲が、それぞれのミュージシャンによって演奏されます。楽しく可愛らしい曲ばかりですから、子供も一緒に聴けますね。私がこんなCDを持っていたことをよく女房さんは覚えていたものです。現在も手に入るかCDなのかどうか分かりませんが、時たまテレビを見ていますと、その一部がBGMとして使われているようですので、何らかの形で生き残っているかもしれません。もっとも、これはジャズ界の有名人が集まって制作したCDですが、音楽はジャズではなく、軽音楽です(問題発言かな?)。ジャズと楽器編成を同じくしていても、即興演奏がなければ、ジャズとはいいません。でも、楽しめればそんな議論は不要ですね。

もうひとつ女房さんがリクエストしたのは、エロール・ガーナーの「Concert by the sea」(CBS)。エロール・ガーナーはバリバリのジャズピアニストです。このCDは、記憶によれば、どこかの体育館におけるライブ録音で、コンサートの熱狂をそのまま伝える猛烈なジャズを楽しめます。私もかつてよく聴きました。ジャズ界では今も売れ続ける名盤中の名盤だそうです。ただし、このCDにはひとつだけ問題があります。それはエロール・ガーナーの下品な唸り声がかなり大きな音量で収録されてしまったことです。それも鼻歌どころの話ではなく、どこかの酔っぱらいが駅で壁にもたれかかり、「うぇええ...」 とやっているような感じです(失礼)。演奏は最高に楽しいのに、どうしてあんな下品な声が入ってしまったのでしょう。あれさえなければ、完璧なのですが...。なお、このCD、リクエストされたにもかかわらず、私は取り出すことができませんでした(T_T)。しまった場所はおおよそ分かるのですが、抽出作業を始めますと30分はゆうにかかってしまいそうなので、ついに断念したのです。女房の不満は言うまでもありません(>_<)。

仕方なし私が選んでかけたCDはオスカー・ピーターソン・トリオの「We get requests」とビル・エヴァンスの「Waltz for Debby」でした。いいですねえ。すっかり聴き惚れました。久々にジャズを聴いて感激したのは、女房さんではなく、実は私でした! 先頃買ったLUXのアンプがジャズも気持ちよく鳴らしてくれることを確認できたのも大きな収穫です。え?「これでは楽しんだのはお前だけで奥さんが可哀想だ?」。ごもっともです。最後のあたりになると、完全に私の趣味ですからね。でも。大丈夫です。ちゃんとおいしいケーキを買って帰りました。女房さん、シフォンケーキを食べて子供のように喜んでいました(^з^)゛。全くたあいもないものです。


CD6月6日:CD試聴記に「ホーレンシュタインの豪腕」を追加しました。曲は、ブルックナーの交響曲第5番です。An die Musikといえばブルックナー、「またか」と思った方もうんざりせずにお読み下さい。


CD6月5日:CD試聴記に「バルビローリのマーラー交響曲第7番、ほか」を追加しました。


CD6月4日:絶句

明後日6月6日は女房さんの3×回目の誕生日に当たります。私は女房熱愛亭主ですから、毎年何かしらプレゼントをしています(^^ゞ。先週、準備もあるので、女房さんに「今年は何がよいか?」と聞いてみました。そしたら、あろうことか、「誕生日には一切クラシックを聴かないでほしい!」と言われてしまいました(T_T)。

確かにこんな亭主を持っていたら、そう言いたくなるのも無理はありません。我が家ではいつも何かしらおぞましい音楽がかかっているわけですから。テレマンやビバルディならいざ知らず、マーラー、ブルックナー、バルトークときては、ムンクの「叫び」状態になります。しかも、私はなるべくまとまった時間を作って真剣に音楽を聴きますから、共に生活する身にしてみればたまったものではありません。スピーカーに向かってじっとシリアスなクラシック音楽を聴いている私を見るたび、女房さんは「もうこんな生活はいや!」と思うのかもしれません。挙げ句の果てに、0歳の子供に向かって、「ヴォツェックというのは....」などと講釈を始めるのですから、我慢が限界に来ているのでしょう。女房さんは基本的にクラシックが好きなわけではありません。オペラは「とにかく楽しい、ビジュアルに楽しい」と思い込んでいるようですが、その音楽まで楽しんでいるかどうか疑問です。多分私という亭主がいなければ、クラシック音楽には無縁の一生を送ったであろう人なのです。そう思うと、クラシック漬けの女房さんは全く哀れであります。あまりに可哀想になったので、6月6日はクラシックを聴かないことに決定しました(こんな、お金がかからないプレゼントでいいのでしょうか?)。

さて、このページを訪問して下さる読者の方々にはとても熱心なクラシックファンが多いと思います。CDの購入にまつわる家庭内闘争を始め、音楽鑑賞のために家人の冷たい視線を浴びていませんか?


CD6月2日:阿吽(あうん)の呼吸

室内楽のコンサートに行って、その精緻なアンサンブルに驚いたことはありませんか? 最初からびっくりさせられますよね? 殊に、曲の開始部分、アインザッツ(入り)の部分です。例えば、指揮者を置かないことで有名なオルフェウス室内管。ここは事実上立派なオーケストラですが、初めて実演に接する際は「どうやってアインザッツを決めているんだろうか」と興味津々でした。指揮者なしに一糸乱れずあんな高度な演奏をやってのけるのですから、恐れ入るばかりです。ただ、このオケの場合は、指揮者らしき人はいるようです。ステージをつぶさに眺めておりますと、どうもコンサートマスターを全員が注目しており、要所要所で指示らしきものが出ていたと記憶しています。曲のレベルによりけりだとは思いますが、何度オルフェウス室内管の実演に接してもそう思いました。私は「やはり指揮者は必要なんだな」と思ったものです。

私がすごいと思っているのは、実はもっと小さな編成の場合です。逆説的ですが、編成が小さくなればなるほどすごさを感じます。まず、10人から5人程度の規模で指揮者なしの精緻なアンサンブル。私が経験した室内楽の中で傑出した演奏を聴かせてくれたのは、有田正広さんによるバロック音楽の一夜でした。これはオトテールを中心としたプログラムでしたが、楽器奏者全員が目の前で、大活躍してるのを見ますと、音楽を聴く喜びというか、音楽が創造される場に参加しているという気になり、ワクワクしてきます(ただ、古楽器集団ではチェンバロ奏者など誰かが何かしらのサインを出しているようです)。

そして、究極の演奏スタイルである弦楽四重奏団を聴きますと、本当にたまげてしまいます。弦楽四重奏曲になると、どうやってアインザッツを決めているのか、私レベルでは窺い知れません。私は一頃、室内楽に凝り、コンサートにも通いましたが、弦楽四重奏団だけはアインザッツのタイミングが分かりませんでした。注意をしてみていても、「フッ」と入ってきます。それこそ阿吽の呼吸なのでしょうが、4人で完璧に合わせるのは、理屈では分かっていても目の前で現実的に行われているのを何度も目の当たりにするとたまげてしまいます。私は楽器演奏ができないので特に驚きが強くなります。小編成の場合、ステージの奏者と聴衆の距離が小さく、とても身近な存在になるため、驚きは増幅されます。アルバンベルク、ラサール、スメタナなどという名だたる弦楽四重奏団、あるいは、古楽器演奏集団などを生で聴いておりますと、痺れること請け合いです。

しかし、聴き手に心の底から「すごい」と思わせなければ、世界的な名声を勝ちうる団体とはなれません。ただ揃っているだけでも不十分でしょう。プラスアルファがなければ機械による演奏と同列になってしまいますから、人間が演奏しているんだ、という側面もアピールする必要があります。そんなことを考えておりますと、指揮者を持たない室内楽の団体は、毎日毎日空恐ろしいことを実現しているといえるでしょう。室内楽を生で聴いて、そのスリリングな展開、熱気を孕むアンサンブルの妙に唸るのは、演奏家としての長い共同生活の中で阿吽の呼吸が相互に身に付いているからだと思われます。

さて、疑問です。どれだけ練習し、どれだけ生活を共にするとあんなレベルになれるのでしょうか?


CD6月1日:「音楽史」とは?その2

昨日に引き続き、音楽史の話です。といいましても、昨日より少し新しい時代です。今回はテレマンを聴いてみましょう。

CDジャケットテレマン
パリ四重奏曲全集
フルート演奏:バルトルド・クイケン
ヴァイオリン演奏:シギスヴァルト・クイケン
ビオラ・ダ・ガンバ演奏:ヴィーラント・クイケン
チェンバロ演奏:グスタフ・レオンハルト
録音:1997年
SONY(国内盤 SRCR 1998-2000)

テレマン(1681-1767年)はバロック音楽を代表する、多作な作曲家です。生きた時代は、日本でいえば、江戸時代で、元禄の華やかな文化が咲き乱れた頃から、徳川吉宗による緊縮政治が続いた頃に当たります。テレマンは人気作曲家で、ありとあらゆる楽器の協奏曲を作ったといいます。当時の声望は大バッハも及ばなかったそうですね。パリ四重奏曲集はその代表作のひとつです。

このCDで演奏しているのは、有名なクイケン3兄弟と御大レオンハルト。古楽器による演奏です。すばらしいですよ。最新録音だけに音質が良いのも○です。少し音量を上げると、目の前で演奏しているような臨場感があります。何だか王侯貴族になったような気にさせられます。演奏も生き生きとしていて文句のつけようもありません。4つの楽器がそれぞれの響きを聴き合いながら、音楽を作り上げていくのですが、大きなオケの場合とちょっと趣が違います。「そこにいるあなたも一緒に演奏しませんか?楽しいですよ!」と奏者が語りかけてくるようなのです。「このパート、難しそうには思えないでしょ?ここに楽器がありますから、アンサンブルに加わりませんか? さあ、遠慮なさらずにどうぞ!」という感じもします。そんなことをいわれたら、やってみたくなります(実際は名手の演奏をあてにして作曲されましたから、とても難しいようですが...)。しみじみとした曲であっても、「いいでしょう?いい音色でしょう?」と屈託がありません。こんな曲なら、友人同士で演奏すればさぞかし楽しかったでしょう。聴衆は、聴いているだけでなく、「おいらも演奏したい!」という気になったに違いありません。テレマンは聴衆がそのまま演奏に走ることを念頭に置いていたのでしょう。アット・ホームなアンサンブルこそ、テレマンが目指していた世界なのだと私は思います。この時代の音楽は、聴衆と演奏家の距離が極めて近く、双方が表情を確認しながら音楽を楽しめていたはずです。まさに演奏家と聴衆は一体だったはずです。そうした演奏会は今やほとんど姿を消していますね。

クラシック音楽は20世紀に入って、聴衆を失い始めています。20世紀には実験的な音楽が大量に書かれましたが、必ずしも聴衆を喜ばせるために書かれているわけではありません。意外なことですが、「音楽史」のジャンルには、クラシック音楽が失ってしまった演奏家と聴衆の交感が最も色濃く残っているのではないかと思います。

なお、このCDは3枚組ですから買うのには少し躊躇します。1736年作曲の四重奏曲と1740年出版の新四重奏曲集を併せて発売していますが、これは別売りの方が嬉しいですね。別売りでしたら、DENONの有田正広さんのCDがいいでしょう。


(An die MusikクラシックCD試聴記)