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2014年

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CD2014年11月23日(日):ディアベリ変奏曲

 ゆきのじょうさんによる「わが生活と音楽より」に「クリスティナ・ビイェルケによるベートーヴェン/ディアベリ変奏曲を聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

 ある演奏を聴いたことで、それまではよく分からなかったり、全く評価していなかった作品を突然理解できるようになるということは私もたまに経験しています。クラシック音楽を長いこと聴き続けていますが、新たに目を開かれることがあると本当に嬉しいものです。なんだか一挙に世界が広くなり、楽しさが倍増したような気になるからです。「このCDであの曲に開眼した」というような企画があれば、多くの読者から面白い経験談を聞けそうな気がしますね。

 

CD2014年11月2日(日):シュタインにカラヤン

 青木さんによる「音の招待席」に「シュタインのウェーバー・アルバム」を追加しました。

 また、松本さんによる「音を学び楽しむ、わが生涯より 」に「カラヤンのザルツブルクライヴ(1987年、1988年)を聴く」を追加しました。

 青木さんの原稿は何と半年も前にいただいたものでした。こんなに掲載が遅れてしまい、誠に申しわけありませんでした。心からお詫び申しあげます。


 毎度のことながら、私が使っていたDreamweaver CS4は相変わらず調子が悪く、もはや使用に耐えないと判断しました。一文字を入力したり、一文字を削除するのに10秒から30秒かかることが常態化し、さらに画面が固まってしまうことが頻繁にありました。考えられる原因についてはほとんど対応してみましたが、結局何も変わりませんでした。唯一考えられるのは、私のPCとの相性です。本人の私すら忘れていたことですが、このPCのOSはWindows Vistaでした。購入直後にWindows7が発売されたので自力でそれをインストールしたのです。もし問題があるとすれば、OSをつぎはぎにしたというこの点にしかありません。マシンを買い換えれば、Dreamweaverがさくさくと動く可能性があると私は考えています。

 しかし、実際には新しいマシンを買うというのは非現実的であります。だから、もうソフトウェアを変えるしかありません。本当は使い慣れたDreamweaverの最新版CCを使いたいところですが、高価すぎます。しかも、CS4でひどい目に遭っているのに、また同じソフトを使っていいものかと考えさせられます。

 そこで、やむなくHomepage Builderの体験版をインストールして使ってみました。ホームページを作成するのに、このソフトだけは絶対使いたくないと思ってきたのですが、数あるホームページ作成ソフトが続々と討ち死にしてしまった今、生き残ったのはこのソフトだったようです。

 使ってみると、お節介な機能が山ほどあって閉口させられます。ワードで作ってある原稿からテキストを貼り付けると、妙なタグがたっぷりついてきたりします。Homepage Builderで作ったテーブルの行がDreamweaverでは消えて見えるという珍事があることも発見しました。慣れれば何ともないのでしょうが、うんざりです。結局どうしたかというと、HTMLのソースを見てせっせと手でタグを修正・削除したのです。こんなことなら、ソフトに頼らず、タグを手打ちした方がよほど速かったのではないかと思います。これから使っているうちに慣れてくることを期待するばかりです。

 ともあれ、何とか青木さんと松本さんの原稿はアップできました。次回からはもっと効率化を図りたいと思います。青木さん、松本さん、何卒ご容赦ください。

 

CD10月12日(日):ミスマッチではなかった

 先日、5ヶ月ぶりにオーディオルームに入ってCDを聴きました。久しぶりに聴いたCDはシャイー指揮ゲヴァントハウス管のガーシュウィンでした(長い間アンプのスイッチを入れていなかったので、スピーカーからまともな音が出るのか大変心配でした)。

CDジャケット

ガーシュウィン

  • ラプソディ・イン・ブルー(ジャズバンド・ヴァージョン)
  • 交響組曲「キャットフィッシュ・ロウ」
  • ピアノ協奏曲へ調
  • リアルト・リップルス

リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ピアノ:ステファノ・ボラーニ
録音:2010年1月28日、29日、ライプツィヒ、ゲヴァントハウスにおけるライブ
DECCA(輸入盤 B0015311-02)

 このCDは買って以来ずっと私のCDラックに眠り続けていました。先日パソコンの横に置いてあるポータブルCDで聴いてみたらめっぽう面白い。これはどうしてもオーディオルームで聴いてみたいと思ったのが5ヶ月の空白を埋めるきっかけになったのでした。

 ガーシュウィンとゲヴァントハウス管弦楽団という組み合わせは、どうみてもミスマッチです。名演を期待しようがありません。ところがどっこい、このガーシュインには痺れました。「ラプソディー・イン・ブルー」から聴き惚れます。ピアノを弾いているボラーニはのはジャズが本業らしいですが、達者な腕前で、しかも即興はしていないのに、ジャズっぽい臭いがプンプン伝わってきます。華やかな部分ではなく、ソロでポツリポツリと弾いているところが聴き所です。全体で16分を超える演奏時間となっていますが、これは至福の時間でした。

 CDの後半、協奏曲も大満足でした。オーケストラの生きが良くて、ピアノがここでも雄弁でかっこいいです。私のCDラックにはこの曲のCDがいくつも並んでいたので聴き比べてみましたが、この演奏の後で聴くと、色あせた写真を見ているような気持ちになりました。それ以前に、同じ曲だと思えませんでした。

 最後の「リアルト・リップルス」ではコンサートがお開きになるという演出をしています。演奏者たちが挨拶をして消えていきます。このCDは一夜のコンサートを再現しているようになっているので、その演出も粋に感じられます。

 多分、このCDの成功の鍵は、ジャズ・ピアニストのボラーニが握っているのだと思います。それは間違いありません。しかし、良い演奏はソロ奏者一人によって生まれるものではないでしょう。シャイーやゲヴァントハウス管弦楽団員の総力があってこその演奏です。最初ミスマッチと私が思ったのは、ライプツィヒはジャズの本場アメリカとはかけ離れているというただそれだけの理由からでした。それはただの偏見だった、と聴き終えてから私は自覚したのでした。

 このCDはライブ録音というわりに音質がいいのも嬉しいです。「リアルト・リップルス」以外は、事実上セッション録音だったのではないかと想像されます。それでもこれだけ清新なガーシュウィンが聴けるのだから立派なものです。DECCAはいいCDを作りましたね。

 

CD2014年5月16日(金):禿山の四夜

 青木さんによる「音の招待席」に「禿山の四夜」を追加しました。青木さん、原稿ありがとうございました。たまらなく面白い紹介文です。これを読めば、皆様も掲載されているCDを聴き比べしたくなるはずです。私はライナー盤を久々に聴きました。すんごい演奏です。わずか10分の曲なのに完全な満足感を得ました。聴き終わるとしばらく放心状態であります。CD棚には財宝が眠っていたのであります。

 

CD2014年4月3日(木):管弦楽名曲集の世界 

 青木さんによる「音の招待席」に「管弦楽名曲集の世界」を追加しました。青木さん、原稿ありがとうございました。

 青木さんの文章を読んでいると、掲載されているCDやLPをすべて聴いてみたくなりますね。実は、冒頭に掲載されているカラヤンのCDを私は聴いたことがないのです。カラヤンの「スケーターズ・ワルツ」とくれば是非とも聴いてみたいところですけどね。いまだに未聴の録音があるというのは、まだまだ楽しみが残されていると解釈し、焦らずに集めることにしましょうか。

 

CD2014年4月2日(水):「Let it go」

 クラシック音楽とは全く関係のない話をひとつ。

 先頃封切られたディズニー映画「アナと雪の女王」を私は3回も観に行ってしまいました。次女が熱狂的に気に入ってしまったためです。日本語吹き替え版で2回、字幕版で1回。週末毎に映画館に出かけてはその度に熱中度が強烈に上がった次女と一緒に帰宅します。次女は3回も観たのにもかかわらず、それだけでは飽き足らず、私のPCを占拠してYouTubeの動画を見ながら主題曲「Let it go」を一日何時間も熱唱しています。その時間と集中力にお父さんはとてもついて行けません。一緒にいるだけでへとへとであります。

 そうは言いつつも次女につきあっている私もすっかりこの「Let it go」という曲を気に入ってしまいました。映画の日本語吹き替え版では松たか子が歌っています。松たか子っていつの間にこんなに歌がうまくなったんでしょうね。かなり音域が広くて、パワーも要求される曲なのに、見事に歌い切っています。この曲は世界的に大ヒット中らしくて、YouTubeには25カ国語バージョンも登場していますね。最初のサビのところは、松たか子の歌が使われています。立派なものです。

 この映画はアンデルセンの「雪の女王」を原作にしています。実際には、原作を大きく変更してあるので、もしアンデルセンの名前がクレジットされていなければ、アンデルセンが原作だと気がつく人はまれでしょう。それでも「真実の愛」が人の心の中にある冷たい氷を解かすという点はディズニーも重視したようで、それが映画の中心テーマのひとつになっています。

 この映画にはもうひとつのテーマがあります。それは自己肯定です。周囲を凍てつかせる魔力を持っているために自分を隠して生きてきたエルサが、自分の女王としての戴冠式の日にその魔力を公衆の面前で露見させてしまいます。エルサは化け物扱いされて山に逃げ込みますが、そこでエルサはついに吹っ切れるのです。魔力を隠す必要がなくなったエルサはようやく自分を肯定できるようになります。その過程で歌うのが「Let it go」です。それは日本語で「ありのままに」と訳されていますが、エルサは歌の中で自己を肯定し、自分を解放します。日本語の歌では英語の原曲にはない「自分を好きになって」というフレーズがあるように、自己肯定度が原曲よりさらに高まっているように私は感じています。こういう映画や曲ができるというのですから、自己肯定は現代人の課題になっているのかもしれません。

 私にとって「Let it go」は自分を肯定し、自分を取り戻すためにがんばっている人を応援する曲であります。いやいや、がんばらなくていいんだ、そのままの自分を肯定していいんだと、この歌を聴きながら思う私でした。

 

CD2014年4月1日(火):フランソワの<粋>を聴く 

ピアニスト フランソワの<粋>を聴く An die Musik上で数多くの音楽評論を行ってこられた松本武巳さんが、この度アルファベータ社から「舩倉武一」名で『ピアニスト フランソワの<粋>を聴く』を出版されました。書店にはもう並んでいるはずです。amazonでも大好評発売中です。

 松本さんは2008年から2009年にかけてAn die Musikで「サンソン・フランソワのドビュッシーを聴く」を連載していました。私がこのサイトの更新がままならなくなったために、そのコーナーは中断したままとなりました。それが一挙にスケールアップして、今度はドビュッシーという枠を超えてフランソワ自体の本となって多くの音楽ファンの目に触れるようになったわけです。これは大変喜ばしいことです。本の内容からいっても規模からいってもAn die Musikはきっかけを作ったに過ぎませんので、An die Musikから生まれた著作物というには語弊があり、僭越でしょう。しかし、長くAn die Musikで健筆を振るって来られた松本さんの本が世に出たのを私は心から嬉しく思うのであります。

 冒頭に「この本に関する短い能書き」が置かれています。この部分を読むと、松本さんがどのような立場でどのようにフランソワを描いたのかが明確に分かります。松本さんらしい非常に小気味よい文章なので、私はそこから引き込まれてしまいました。松本さんはフランソワをこよなく愛しているからといってひいきの引き倒しをしているわけでもなく、かといって辛辣に欠点をあげつらっているわけでもありません。フランソワをその長所も欠点も全て受け入れた上で、音楽はこのようにして楽しむものだと教えてくれています。亡くなって久しいピアニストに関する本ですから関心の薄い方もおられるかもしれませんが、少しでもクラシック音楽に興味があれば、この本を多いに楽しめるでしょう。抱腹絶倒の文章と音楽に対する深い造詣に裏打ちされた文章が同居しています。この本は、「あくまでも音楽娯楽書の位置づけ」で、「ピアノを弾いたことがない方を想定した書物である」一方、「専門的な視点から執筆している場合」があり、非常に懐が深くなっています。

 ところで、皆さんはこの本のタイトルをどのように読みますか? 「ふらんそわのいきをきく」ですか? それとも「ふらんそわのすいをきく」ですか? 本のどこかにローマ字か何かで読み方が書いてあるに違いないと思っていましたが、目立つところに表記はありません。さあ、どちらなのか、それはこの本を読み進めれば分かります。皆様、ぜひ購入してご一読ください。

 

CD2014年3月2日(日):ガーディナーの「ドイツ・レクイエム」ほか 

 「CD試聴記」に「ガーディナー指揮による合唱曲を聴く SDGの「ドイツ・レクイエム」ほか 」を追加しました。

 

CD2014年2月24日(月):シャイーの新ブラームス交響曲全集 

 青木さんによる「音の招待席」に「シャイーの新ブラームス交響曲全集」を追加しました。青木さん、原稿ありがとうございました。

 

CD2014年2月22日(土):CDは処分するべからず ガーディナーのモーツァルト

 「CD試聴記」に「CDは処分するべからず ガーディナーのモーツァルト」を追加しました。

 

CD2014年2月17日(月):シンフォニック・ジャズ 

 青木さんによる「音の招待席」に「シンフォニック・ジャズ」を追加しました。青木さんらしい大作です。青木さん、原稿ありがとうございました。

 

CD2014年2月12日(水):「ローマ人の物語 第15巻 ローマ世界の終焉」 

ローマ人の物語 第15巻 ローマ世界の終焉 塩野七生の「ローマ人の物語 第15巻 ローマ世界の終焉」(新潮社)を読みました。大変勉強になったと書きたいところですが、それを通り越して、非常にショッキングな内容でした。いくら歴史だとはいえ、ローマ帝国の末期には、これが現実の出来事なのかと目を覆いたくなるほどむごたらしい事件が次々に起きているからです。

 ローマ帝国は、蛮族が領内に侵攻してきても、それを撃退できませんでした。ヴァンダル族、ゴート族、フン族などの外敵の侵入を防げなくなると、暴力が支配する時代になります。そのため、ローマ帝国末期のローマ人は、文字通りの地獄を味わっています。にもかかわらず、ローマ皇帝は無為無策で、蛮族が攻めてきても宮殿に閉じこもり震え上がっている有様です。その皇帝も帝国の消滅直前には短期間にコロコロ入れ替わっています。「ああ、こうなると国家は成り立たなくなるのだな」と嫌でも分かります。塩野七生はこの本の中で、究極のインフラは平和であると述べていますが、全く同感です。平和を維持できなくなると、人はただ生きるということさえも容易には全うできなくなります。西ローマ帝国が消滅したのは476年のことですから、随分遠い歴史のはずなのですが、その歴史的事実のあまりのリアルさに思わず身震いするほどでした。

 塩野七生の「ローマ人の物語」はその名の通り物語の形を取っています。作者の感想、思いが含まれた読み物であるわけですが、塩野七生は感傷的・感情的文章を書きません。基本は事実を淡々と積み上げていきます。その事実によって読者が物事を理解できるように記述していきます。こういう文章を読んでいると目の前に恐ろしい現実を突きつけられたような気がしてたまりません。私は若い頃から小説、映画、漫画などで多数のフィクションに接してきましたが、歴史的事実が記載されている「ローマ人の物語 ローマ世界の終焉」こそが最も現実離れした(現実だとは認めたくない)ものでした。

 

CD2014年2月3日(月):「フィガロの結婚」におけるアルマヴィーア伯爵 

 「CD試聴記」に「「フィガロの結婚」におけるアルマヴィーア伯爵」を追加しました。内容はCD試聴記とは言えませんが、何卒ご容赦ください。

 

CD2014年1月28日(火):クーベリック指揮マーラー 交響曲第3番

 松本武巳さんによる「クーベリックのページ」に「マーラーを聴く 第6回 交響曲第3番」を掲載しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

 

CD2014年1月25日(土):「私の履歴書」小澤征爾

 日経新聞の「私の履歴書」欄に小澤征爾が登場していますね。今日は第24回目で、その見出しには「斎藤先生逝く」とあります。今回は今までの中で最も印象的であり、感動的でした。小澤征爾が恩師である斎藤秀雄を本当に敬愛していることが分かります。そして斎藤秀雄が指揮したモーツァルトの「ディヴェルティメント K136」の演奏を小澤が聞いて涙を流す箇所は、読んでいる私も思わずこみ上げてくるものがありました。小澤にとっては師匠から受けた教えは非常に大きかったに違いありません。以下のような記述があります。

 先生が指揮法を体系化したことや、演奏技術について細かく言ったことで「斎藤秀雄の教え方は機械的だ」と批判する人が時々いる。でもそれは全然違う。
先生が僕らに教え込んだのは音楽をやる気持ちそのものだ。作曲家の意図を一音一音の中からつかみ出し、現実の音にする。そのために命だって賭ける。音楽家にとって最後、一番大事なことを生涯かけて教えたのだ。

 小澤征爾の文章によると、モーツァルトの「K136」は「本来は明るく軽快な曲なのに、ゆっくりとしたテンポで静かに進んでいる。涙が止まらなくなった」とあります。その時、小澤征爾にはどれだけのものが去来したのでしょうか。

 こういう思い出を作ってしまうと、指揮者にとって「K136」は特別な作品になるに決まっています。事実、小澤は「『K136』は僕にとって、折に触れ、大事な時に振る曲だ」と書いています。そういえば、「サイトウ・キネン・オーケストラ」で演奏していますね。

 今日の「私の履歴書」のおかげで、私にとっても「K136」は特別なイメージを持つ曲になってしまいました。私はあまりセンチメンタルな活字情報の影響を受けたくないのですが、しばらくの間は如何ともしがたいような気がします。

 

CD2014年1月22日(水):ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」と「タラス・ブーリバ」

 「クーベリックのページ」に松本武巳さんによる「クーベリック指揮のヤナーチェク「シンフォニエッタ」全音源試聴記」と「クーベリック指揮のヤナーチェク「タラス・ブーリバ」全音源試聴記」を一挙に掲載しました。松本さん、原稿ありがとうございました。こうした試聴記を読むと、全部聴いてみたくなりますよね。 

 

CD2014年1月20日(月):カラヤンのマーラー 余録 その2

 昨日掲載した「交響曲第9番でマーラーに目覚める」に「余録 その2」を追加しました。3日かかってやっとひとまとめの文章を書き上げました。体力がなくなっているのがこういうことで分かるんですね。情けないです。

 

CD2014年1月19日(日):カラヤンのマーラー 余録 

 昨日掲載した「交響曲第9番でマーラーに目覚める」に「余録 その1」を追加しました。「その1」などという中途半端なことをしないで一挙に書き上げたかったのですが、ここまで書いて力尽きてしまいました。「その2」は後日掲載することにします。

 

CD2014年1月18日(土):カラヤンのマーラー 

 「CD試聴記」に「交響曲第9番でマーラーに目覚める」を追加しました。今回も舌足らずな文章で内容もありませんが、何卒ご容赦ください。

 

CD2014年1月11日(土):どんなふうにして音楽を聴くか〜CDの未来 

 「CD試聴記」に「どんなふうにして音楽を聴くか〜CDの未来」を追加しました。 「WHAT'S NEW ?」に載せる短い文章を書くつもりだったのに、ちょっと長くなったので試聴記として独立させました。CD試聴記としての内容はほとんどありませんが、ご容赦ください。

 

CD2014年1月4日(土):クーベリックのSACD

 「CD試聴記」に「クーベリックのモーツァルト交響曲 SACD盤を聴く」を追加しました。

 

CD2014年1月1日(水):謹賀新年

 明けましておめでとうございます。今年は我が家で新年を迎えました。皆様、今年もよろしくお願い申しあげます。

 年が改まったからといって、毎日の生活様式が大きく変わるわけではありません。しかし、今日の延長が明日にそのまま続くわけではないことを、私は先の東日本大震災で学びました。その理屈で言えば、昨年の延長がそのまま今年につながるのではありません。ありがたいことに昨年が今年に無事つながったことを、その結果としてある今を大切にしたいものです。

 というわけで、このありがたい新年には、新年らしく神妙に音楽を聴きました。オーディオルームを暖め、アンプも十分に暖め、それからエアコンのスイッチを切ってCDを聴き始めました。取り出したCDはモーツァルトの『フィガロの結婚』です。

フィガロの結婚

歌劇「フィガロの結婚」全曲
エーリッヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他
録音:1955年6月、ウィーン
DECCA(国内盤 POCL-6016/8)

 昨年とりあげたケンペのR.シュトラウス同様、この『フィガロの結婚』も、録音が特別な行為であった時代における特別な録音です。序曲が始まると、クライバーとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の圧倒的な演奏にすぐに引き込まれてしまいます。まさに目くるめく序曲です。それに続く第1幕以降はチェーザレ・シエピ(フィガロ)、ヒルデ・ギューデン(スザンナ)、フェルナンド・コレナ(バルトロ)、ヒルデ・レッスル=マイダン(マルチェリーナ)、スザンヌ・ダンコ(ケルビーノ)、アルフレート・ペル(アルマヴィーア伯爵)、リーザ・デラ・カーザ(アルマヴィーア伯爵夫人)といった往年の名歌手たちが次から次へと登場し、この録音を何度も聴いてきた私をその歌声で今更ながらに驚かせてくれます。

 この録音で、最新録音に匹敵する音が聴けるとは思いません。残念ながら私の家の装置ではそこまでの音を引き出せません。しかし、この録音は必要十分以上の音で往年の名演奏家たちの芸術を堪能させてくれるだけでなく、何とも言えない時代性を感じさせてくれるのです。これを聴けば、演奏家たちが録音という特別な行為に参加しているという雰囲気が伝わってくるのであります。その特別な雰囲気こそが、こうした録音に大きな価値をもたらしているのであり、それに浸ることはCDなどの録音を聴く楽しみに他ならないのです。

 ともあれ、至福の時間でした。これからまた1年がんばるぞ、という気になりました。


 

(An die MusikクラシックCD試聴記)