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99年6月後半

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6月30日:CD試聴記に「プーランクを聴く」を追加しました。曲目と演奏家は...。


6月29日:謎のビールおじさん

27日、オトマール・スイットナーが出るというのでN響アワーを見ました。解説者の話では、スイットナーさんは本当に病気だとか。病気という噂だけは私も知っていました。が、私は病気というのはてっきり嘘で、実は壁の崩壊後パージされてしまったのではないかと思っていました。もともと健康そうには見えない風貌ではありましたが、本当に病気だったのですね。早くほとぼりを冷まして復活しないものかと待っていたのですが、残念です。

スイットナーさんは私くらいの年代の音楽ファンには馴染みの指揮者です。N響指揮者として有名なのはもちろん、旧東ドイツではドレスデンとベルリンのシュターツカペレの常任を歴任。数々の名演奏を聴かせています。あの演奏がもう聴けないとなると、またぞろ昔のCDを取り出したくなってきます。古式ゆかしい?モーツァルトやみずみずしいベートーヴェン、怒濤の迫力をもつブルックナーなど、名演がいろいろ。病気は治るのでしょうか?高齢ですから、もし治っても指揮台には上れないかもしれません。本当に残念です。

おいしいビールところで、スイットナーさんには申し訳ないのですが、あのN響アワーで最も注意を喚起したのは番組の導入部分でした。たくさんの大作曲家達がアニメチックに登場してきます。どの作曲家も可愛らしく描かれていますね。その中で一際目立つのが、謎のビールおじさん。ビールをくいっと飲んで幸せそうにニンマリしています。髭もじゃの顔つき、太った体格、ビールの正しい飲みっぷりを考慮すると、ドイツの大作曲家ブラームスであろうと思われます。ただ、画面はあっという間に過ぎ去ってしまいましたので、詳しくは確認できませんでした。本当にブラームスでしょうか?ちょっとドヴォルザークにも似ていました。しかし、ドヴォさんはチェコの作曲家ですよね。そうなると、あのビールの飲み方にはふさわしくないですねえ。いや待てよ、チェコといえば、ピルゼンを始め、おいしいビールの生産地ですね。ドイツ人でさえ、チェコのビールの旨さは認めています。そうなると、ブラームスではなく、ドヴォさんの可能性もあります。うーん。気になって仕方がありません。どなたか本当のところを教えて下さい!


6月28日:クレンペラーのページに「ベートーヴェンの序曲集」を追加しました。


6月27日:夏の読書

先週、女房さんに勧められて、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」(岩波文庫)を読みました。実はこの年になるまで読んだことがありませんでした。宮沢賢治といえば、東北の独特の風土が生んだ天才です。何が天才かといえば、言葉に対する感覚だと思っています。私は宮沢賢治の詩を昔何度も読んでおりましたので、そのすばらしさは良く知っていました。谷川俊太郎を超えると思っています。でも、どういうわけか「銀河鉄道の夜」は読んでいなかったのです。

「銀河鉄道の夜」。これ以上ロマンチックな響きの言葉があるでしょうか?タイトルからして既に幻想的な世界です。読んでいくと、これまた幻想の世界でした。どうしてこんな世界を描くことができたのでしょうか?宮沢賢治はいつも少年の頃の自分を失うことなく、夢見る子供の気持ちを持ち続けていたのかもしれません。主人公のジョバンニやその友人のカムパネルラなど、大人になってしまった人間では書き表せないキャラクターです。

さて、この「童話」ですが、正直に申しあげますと、話としては訳が分かりません。一応ストーリーはあります。が、理屈で考えるには難がありすぎます。宮沢賢治はこの中で何かを表現したかったのだと思いますが、何だったのでしょうか?「ほんとうの幸い(原文ママ)」でしょうか?うーん、よく分かりません。子供が読めば分かるのでしょうか?童話を読んで意味を理解しようとすること自体が邪道なのかもしれませんので、あまり追求するのはよしましょう。

不思議なのは、この童話の意味するところが分からなくても、「銀河鉄道の夜」の詩的な美しさは否定できないということです。意味があろうがなかろうが、読者をロマンチックな気持ちにさせる童話は、やはり一級品というべきでしょう。

なお、アニメも見てみました。BAOBAB制作による「銀河鉄道の夜」です。そこではジョバンニもカムパネルラもザネリもなぜか猫に姿を変えています。どうしてそういう設定にしたのかよく分からないのですが、筋は原作におおよそ忠実でした。

最後に。宮沢賢治関係のホームページはたくさんあるのですね。Yahoo!で検索してみたら、重複はありますが、60件出てきました。やはり人気作家であることが分かります。


6月25日:ベイヌム

ベイヌムなどというマイナーな指揮者を喜んで取り上げているホームページはきっと数少ないと思います。「もういい加減にしてよ!生きてる指揮者とか、もっとメジャーな人にしてよ!」という声も聞こえてきそうです。が、一昨日に引き続き、本日もしつこく取り上げるのであります。

ベイヌムさんが気になるのは指揮者として大変いい業績を残したと思うからです。以前、CD試聴記にベイヌム指揮のシベリウスを紹介いたしましたが、他にもたくさんあるのです。有名どころではDECCAに入れたブラームスの1番。これは私の古いお友達です。例の「Dutch Masters」では意外なことにドビュッシーが聴きものでした。

私のページをずっとご覧になっていた方は「どうしてフランスものが少ないんだ?」という疑問をお持ちだと思います。別に嫌いなわけではなく、「おお、これはいい!」と唸らせる演奏にあまり出会わないからです。ベイヌムのドビュッシーは、もしかすると本場フランスの「フランス的な」演奏ではないかもしれません。が、非常に良く整った演奏で、眠くなることもなく、最後まで楽しませてくれます。恥ずかしいのですが、私はフランスものを聴いていると寝てしまうことが多いのです。

それと、CD試聴記にも書きましたが、ベイヌム在任中のコンセルトヘボウの音が大変気に入っています。モノラル録音が多いにもかかわらず、音色は輝かしく、潤いがあり、まさに天下一品。聴き惚れます。もちろん、メンゲルベルクの頃の音も嫌いではありません。が、メンゲルベルクの不気味な表情付けが時々うるさく感じられなくもありません。戦後のベイヌム時代のCDは輝かしい音を取り戻しながらも、近代オケとしての機能美を堪能させてくれるのです。録音技術が戦後一挙に向上したことも、ベイヌムの幸運だったと思われます。もっとベイヌムのCDが出てこないものか、鶴首する毎日であります(ブルックナーの5番はどこに消えてしまったのでしょうか? 求む!ブル5)。

参考に。ベイヌムのドビュッシーは以下のものです。

CDジャケットドビュッシー
夜想曲

録音:1957年(ステレオ)
管弦楽のための映像
録音:1954年(モノラル)
ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
PHILIPS Dutch Masters Volume 4.(輸入盤 462 069-2)


6月24日:現実は小説よりも奇なり。

大事件です。もうご存知とは思いますが、小澤征爾が2002年にボストン響を去り、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するそうです。これには驚きました。とても驚きました。でも何だか嬉しくありません。日本人にとっても小澤にとっても喜ぶべきことだと思いますが、かなり大きな確率で小澤はその地位を長くは持ちこたえられないのではないかと思うからです。

小澤がウィーンに乗り込むことになったのは強力な”マフィア”「コロンビア・アーティスト」のバックアップがあったからだとは容易に想像できます。が、「コロンビア・アーティスト」がこんなねじ込みをしたことで、小澤の将来が摘まれてしまうのではないかと危惧されてなりません。

まず、ウィーンは音楽家にとっては憧れの地ではあるのでしょうが、謀略の街でもあります。あのカール・ベームも追放の憂き目にあっています。そのような街で、今までヨーロッパを主たる拠点にもしていなかった小澤がやっていくのには想像を絶する苦労が伴うのではないかと思います。

次に、レパートリーの問題があります。小澤が古くからオペラに力を入れてきたことは良く知られています。ですが、イタリア・オペラもドイツ・オペラもこれといって小澤のヒット作はありません。小澤のヒット作としては、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」など、ごくごく限られたものだけです。そうした小澤がいくら才能があるからとはいえ、いきなりウィーン国立歌劇場の音楽監督になるというのは飛躍が過ぎていると思わざるを得ません。一体どういうことなのか理解に苦しみます。ちょっと失礼な書き方ですが、ウィーンの聴衆は小澤のオペラを聴きたいと思っているのでしょうか?そもそも小澤のオペラを知らないのではないかとも考えられます。

小澤としてはこの際オペラの本場で本腰を入れてオペラに取り組み、音楽家としての最後の境地を開くつもりなのでしょう。それは十分に理解できます。もちろん私も最大限の応援をしたいとも思います。

ですが、肉体的にも精神的にも小澤には難しすぎる職務ではないでしょうか。小澤がウィーンでつぶされてしまうのではないかと考えるのは私だけではないでしょう。優れた音楽家であり、今後の行方が期待されていた小澤だけに、この件で音楽家として大きく成長してくれることを切に願わずに入られません。最悪の場合でも、せめて1シーズンは持っていただきたいものです。がんばれ、小澤!


6月23日:CD試聴記に「ベイヌムのモーツァルト、ほか」を追加しました。長い文章ではないのですが、できれば最後までお読み下さい。私の反省文があります。


6月22日:一人称

この前、久しぶりに渡部昇一氏の「続・知的生活の方法」(講談社現代新書)を読み返していたら、こんなことが書いてありました。

...文章や会話の中に一人称単数、つまり「私」を用いるのは、うぬぼれや虚栄心の表われとして、教養ある階級に忌避されていた。一人称を使って書いたり話したりすることはegotismというが、この単語は「スペクテイター」という新聞の1714年7月2日号にアジソンが使ったのが最初とされる。これはegoism(利己主義)と似ているが、意味はまったく違っていて、「俺が、俺が」という人のことである。

耳が痛くなるような話です。「私」が書いた文章を読むと、「私」だらけ。これでは渡部昇一氏に「おまえはうぬぼれと虚栄心の固まりである!」と宣告されてしまいそうです。

確か、昔「ベストセラーの書き方」という本を読んでいたら「一人称では決して書かないこと」と書いてあったような気がします。そういえば、「私」が通った大学の某有名教授の講義では、どういうわけかすべてが受動態の日本語で語られるという不思議な経験をしました。例えば、「前回はIS曲線についての講義がなされた....」という具合です(講義をしたのはその教授本人です)。経済学部の友人とも「何でだろうか?」と話題にしていたのですが、今になってやっと分かりました。その教授は米国での経験が長いということですから、一人称を意図的に使わなかったのかもしれません。

「私」はこの本をずっと前に読んだはずなのに、内容はすっかり忘れていました。自分で文章を書くようになってみると、こんなことでも気になり始めます。せめてあまり自己主張や断定の強い文章は改めることにしましょうか。


6月21日:CD試聴記に「シベリウスの交響曲第2番」を追加しました。バルビローリ指揮ニューヨークフィルの演奏です。


6月20日:小澤征爾

日経ビジネスに珍しくも音楽家、しかも小澤征爾の記事が出ていました。内容は期待したほどではありませんでした。が、最後のところに、小澤の辛コメントが載っています。曰く、「この頃の若手指揮者は早々に外国での勝負を諦めて帰国し、ちょっと姿形が良ければテレビで顔の売れる日本で小さな成功に甘んじている」。はて?一体誰のことを言っているんでしょう?日本の若手指揮者といえば、佐渡 裕(1961年生まれ)や大植 英次(1957年生まれ)のように海外で活躍しているというイメージが強かっただけに意外ともいえる発言です。他にもきっと星の数ほど「指揮者」稼業をしている日本人はいると思いますが、「姿形」が良い若手を思いつきません。私の認識不足でしょうか?うむむ。謎です。

その小澤征爾。今日本で小澤征爾はやはり人気指揮者なんでしょうか?サイトウ・キネン・オーケストラの録音はたくさん出ていますが、どうも今ひとつぱっとしません。私がクラシックを聴き始めた頃、小澤といえば光り輝く存在でした。録音が特にすばらしい小澤&サイトウ・キネンのCDを聴くたび、蒸留水を飲んでいるようで物足りない気がしています。何か小澤の中で煮え切らないものを感じているのは私だけではないと思います。

一説にはサイトウ・キネンを始め、後進の指導で疲れてしまったという話しもあります。また、多忙すぎて音楽性が枯れてしまったという人もいます。本当のところは本人でさえわからないでしょう。小澤は今年64歳になるとのこと。いわゆる大指揮者といわれた人は、このくらいの年にはカリスマ的貫禄を身につけています。小澤がこれからどう変化していくか、日本人として、音楽ファンとして大変興味のあるところです。


6月18日:クレンペラーのページに「アメリカ時代のゲンダイオンガク」を追加しました。先週金曜日に紹介したarchiphonのCDのDISC 2です。


6月17日:ERMITAGE & AURA

私はこのページの中で、山野楽器のことを必ずしも良く書いていないので、あまり利用していないのではないかと思われているかも知れません。しかし、現実的には結構お世話になっています。一部の社員に腹を立てたくなることもありますが、それは一部なのだと思っています。丁寧な対応をしてくれ、クラシック音楽やレーベルに非常に詳しい店員さんに出会えるとやはり嬉しいものです。

私は埼玉県に住んでおりますが、埼玉県は良いCD屋さんがありません。かといって都心まではなかなか時間がなくて行けませんので、勢い、地元埼玉のCD屋さんにお世話になります。その中でも、おそらく浦和の山野楽器はピカ一でしょう。クラシック部門の売場は決して広大とは言えませんが、品揃えに特徴があり、楽しめます。

実は、昨日のバルビローリを含め、私が時々CD試聴記で取り上げているERMITAGEの780円CDなどもそこで大量に買い込んでいます。ERMITAGEのCDはいつも誰もが簡単に入手できるわけではないので、これ以上ERITAGEの廉価盤を取り上げるのは差し控えます。が、面白いCDばかりですし、いつもお世話になっている山野楽器浦和店に対する感謝の気持ちを込めて、もう1枚だけここでCDを紹介いたします。

CDジャケットベートーヴェン
ピアノソナタ第32番ハ短調作品111
輸入盤 AURA 113-2 ADD

 

これはベートーヴェンのピアノソナタ第32番ハ短調作品111の異なる3つの演奏を収録したものです。演奏家は、バックハウス、アラウ、バドゥラ・スコダと異色の組み合わせ。また、使用ピアノもそれぞれ違います。それだけではなく、3人の違いがよく分かるように4ヶ所を部分的にピックアップして聞かせるボーナストラックと、それの分かりやすい説明までついています。解説はPiero Rattalinoという人が書いていますが、オタク趣味に走らず、大変好感が持てます。

ERMITAGE、あるいはその後身?のAURAレーベルのCDはライブ録音ばかり集めているにもかかわらず、音質が極めて良く、その点でも推薦できます。良質なライブ演奏、良質な録音、良質な値段(780円!)とくれば、言うことなしでしょう。ちなみに、上記ベートーヴェンのCDについてのデータを記載しておきます。どうです、これを見ただけで聴いてみたくなったでしょう?

録音データ

   

バックハウス

アラウ

バドゥラ・スコダ

使用ピアノ

ベヒシュタイン

スタンウェイ

ベーゼンドルファー

録音年

1960年

1963年

1987年

第1楽章演奏時間

8.22

8.45

8.07

第2楽章演奏時間

13.42

18.29

16.22


6月16日:CD試聴記に「ヴォーン・ウィリアムスの交響曲第8番、ほか」を追加しました。バルビローリ指揮ハレ管の演奏です。


(An die MusikクラシックCD試聴記)