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99年10月

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10月31日:寒くなると...。

すっかり寒くなってきました。10月の上旬は記録的な暑さで、誰も長袖を着ていなかったのに、今や、このまま冬に突入しそうな雰囲気です。

冬といえば、スキーですね(私だけか?)。毎年この時期にはスキーの準備で大わらわでした。例えばこんなことをしていました。

これならどう考えても万全の体制といえるでしょう。しかし、みずなちゃんが生まれた今年ばかりは雪山も遠くなりそうです。多分今シーズンは仮にスキーができたとしても数回程度にとどまりそうです(え? それでも多い?非難囂々になりそうですので、念のために書いておきますが、私は正真正銘の熱血スキーヤーです。遊びで滑っているつもりは毛頭ありません。私にとってスキーは修行道であります)。

さて、毎年シーズン券を買ってきた優良顧客である私のところに、苗場スキー場からいろいろなパンフレットが届きます。今年のパンフには笑ってしまいました。毎年苗場プリンスホテルではユーミンのコンサートや、とんねるずのコントなど、面白いステージがあるのですが、今年のクリスマスは、驚くなかれ、八代亜紀ショーだとか。何で白銀の苗場スキー場に八代亜紀なのでしょうか。これほどスキー場にそぐわない組み合わせはないと思うのですが...。もしかしたら今後の新しいトレンドを作り出そうとしているのかしら?うーむ、どうなっているんでしょうか?


10月30日:最近の我が家

先週から今週にかけて、かなり多忙であったために、今週の更新は非常に危ぶまれました。日曜日の晩の段階で約30%しか原稿ができておらず、「このままでは2,3日分は更新できないな」と思っていました。ホームページ開設以来最大の危機です。しかし、1週間が終わってみますと、いつも以上の分量を書きまくっています。お昼休みに必至になって原稿書きをしたために間に合ってしまったのです。会社では私のアングラ活動は知られておりませんので、「一体何をやっているのだろう?」と周囲は不思議に思ったことでしょう。忙しくなればなるほどホームページの更新をしたくなるというのは困ったものなのですが、忙しいからこそ文章を書けるのかもしれません。人間というのは不思議なものです。

ところで、駄文ではありますが、文章を書くには少し集中力が要ります。諸般の事情でどうしても集中できない場合もあります。最も気になるのは別に会社の環境ではなく、我が家の「みずなちゃん」の泣き声であります。これが入ると、もう書き物どころではありませんね。女房さんは懸命にあやしているのですが、どうにもならない時があります。どのようにしても泣き続けるみずなちゃんを抱っこしながら、時々女房さんは途方に暮れています(T_T)。ところが、皮肉なことに、私が抱くと大泣きしていたみずなちゃんはピタリと泣きやむのです。最初は偶然だろうと思っていたのですが、常にそうなので偶然どころではありません。原因は私の体温にあるようです。冷え性の女房さんに比べても、また、一般的な人と比べても私は体温が高いらしいのです。そのため、みずなちゃんは私が抱くと暖かさのあまり、すぐに気持ちよくなって寝てしまいます。

どんなに泣いていても私が抱けばピタリと止まるので、最初「さすが俺はすごいな」と喜んでいたのですが、実はこれは大変なことであることにすぐ気がつきました。私が抱かないと泣きやまないということは、私は常にみずなちゃんを抱っこしていなければならないということです。異常にかわいいみずなちゃんですから、抱っこすることは嬉しいのですが、これでは女房さんの立場が...。もうしばらくの辛抱だとは分かっていても内心複雑な今日この頃であります。がんばれ、女房さん!


10月29日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「セルの爆演、ブルックナーの交響曲第3番を聴く」を追加しました。すごい演奏ですよ、これは。


10月28日:気になるデザイン

昨日ご紹介したテレフンケン・レガシー・シリーズには、昔使われていたテレフンケンのロゴが掲載されています。実は我が家ではこれが話題になっております。皆様もご覧下さい。

何だか可愛いテレフンケン・ロゴなんだか可愛らしいロゴですね。お堅いドイツの会社にしては実に愛嬌があります。ここで問題になるのが、この「人物」の右手であります。一体これは何を意味しているのでしょうか? 女房さんは「バイオリンに見える」といいます。テレフンケンはレコード会社でしたから、バイオリンをデザインに取り入れることは十分に考えられます。しかし、私はどうしてもバイオリンには見えません。私にはビールのジョッキにしか見えないのです(^^ゞ。ドイツの会社のロゴにビールジョッキが現れるのはごく自然なことだと思うのですが...。気のせいかな?

もしかすると、このようなことは、古くからのクラシックファンの間では常識なのかもしれません。が、私どもはこのデザインについて悩んでいます。どなたか、ご存知の方は教えて下さい!


10月27日:CD試聴記に番外編「テレフンケン・レガシー・シリーズのメンゲルベルク」を追加しました。

なぜ番外編かといいますと、もともとは「What's New?」に載せるつもりだったからです。書いているうちにすっかり長くなってしまいましたので、CD試聴記に入れることにしました。番外編につき、ここは「です・ます体」です。何卒ご容赦下さい。


10月26日:遅いテンポのブルックナー

昨日「クレンペラーのページ」に登場したブルックナーの交響曲第8番。女房さんがこの演奏を聴いていて、「これはすごく遅いんじゃない?」と言っておりました。私に付き合わされて、やたらブルックナーを聴かされるために、すっかりブルックナーの様式感や一般的なテンポを理解してしまった女房さんは、クレンペラー最晩年のテンポが非常に遅いことにすぐ気がついてしまいました。

しかし、あの程度で驚いてはいけません。もっと遅いテンポもあります。猛烈に遅いテンポ、そしてブルックナーとくれば、もうこの人しかいませんね。そうです、チェリビダッケおじさんです。ひとつだけ取り上げてみましょう。

CDジャケットブルックナー
交響曲第8番ハ短調
チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
録音:不詳
AUDIOR(輸入盤 AUD-7001〜2)

チェリビダッケにしてみればいつものことですが、このブルックナーは遅いです。本当に遅いです。

演奏時間は第1楽章が19.19分、第2楽章が15.46分、第3楽章が33.16分(!)、第4楽章が31.12分(!)となっています。こんな遅いブルックナーは類例がありません。昔、この録音を聴こうとしてCDプレーヤーにかけたところ、私は「何かがおかしい」と感じました。あるところでは音が止まったように思えます。私は「いよいよ家のCDプレーヤーも壊れてしまったか!」と慌てふためいてしまいました。もちろん壊れたのではなく、チェリビダッケのテンポが異常に遅かっただけなのです。CDプレーヤーが壊れたと錯覚させるほどのテンポでブルックナーを演奏できたのはチェリビダッケくらいなものでしょう。

私はこの異常なテンポに面食らい、しばらくはとても聴き返す気にもなれませんでした。ブルックナーの野人のようなリズム感が、遅いテンポによって全く失われていますし、部屋の中で超スローテンポの音楽を聴き続けるのはしんどいです。しかし、演奏終了後には聴衆の割れるような拍手が聞こえます。どうやら、聴衆はこの演奏を聴いて完全に陶酔していたらしいのです。それはなぜなのでしょうか。

チェリビダッケのテンポは今の私にとっても異常に遅いと感じられます。が、チェリビダッケの音楽は少しは理解できるようになりました。このブルックナーでも、遅いテンポではありますが、最弱音でも非常に強い、ピンと張りつめたような緊張感があります。その緊張感を長時間持続しながら音楽を奏でていくのがチェリビダッケなのですが、このおかげで普段は聞こえてこなかった音や音楽の構造が聴き手には手に取るように分かるのです。その結果、名曲であればあるほど、聴衆は音楽にのめり込んでしまうのです。おそらくチェリビダッケは耽美的な演奏をしようとしたわけではないのでしょうが、結果的には極めて耽美的な演奏になり、聴衆はブルックナーの「美」に溺れてしまうのです。だからこそ聴衆は催眠術にかかったようにチェリビダッケの演奏を聴き、陶酔したのでしょう。

それにしても、チェリビダッケ時代のミュンヘンフィルはうまいですね。下手なオケではこのスローテンポに付いていくことなどとてもできません。ライブ録音であるのに大変な完成度を誇る演奏をしています。チェリビダッケとミュンヘンフィルは、最高の組み合わせだったのです。昔盛んに買った海賊盤を聴き直すたびに、「やはりすごい」と思わせるチェリ。皆さんはこの遅いテンポをどう思われますか?


10月25日:クレンペラーのブルックナー・シリーズ(?)開始。手元に残るクレンペラーのブルックナーをアップしていきます。今回は「交響曲第8番」。そうです。「有名な」あのCDです。

なお、「クレンペラーのブルックナー」はファイルサイズが大きくなりますので、近々分割します。今回は時間がなくて間に合いませんでした。ううう(T_T)。


10月24日:オペラのタイトル

クラシック音楽のタイトルの多くには、「交響曲第9番ニ短調作品125」とか、「ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58」など、情けないほど無機的なタイトルが付いています。漢字ばかりのそんなタイトルを見ただけでクラシック音楽を敬遠している人も多いと思われます。タイトルというのは非常に重要で、交響曲にしてもそんな固いものではなく、「運命」とか「悲愴」とか、あるいは「スコットランド」とか、少しは内容を連想できる具体的なニックネームが付いていれば、ぐっと身近に感じられてきます。無機的なタイトルには「想像力をかきたてる」というプラスの面もあるのですが、クラシック音楽をひどくよそよそしくしているのは事実でしょう。

一方、最初から具体的で、誰にも分かりやすいのはオペラのタイトルです。「アイーダ」「リゴレット」「蝶々夫人」「トスカ」「ローエングリン」「タンホイザー」など、主役の名前がそのままタイトルになったものが多いようですが、難しそうな感じは全くしません。大衆に受け入れられるためには分かりやすくなければいけません。例えば、ブラームス作曲「歌劇第4番ホ短調作品92」ではお話にもならないのでしょう。

しかし、そのオペラにも妙なタイトルはあります。以前から気になっているのは、モーツァルトの「魔笛」。これはシューベルトの「魔王」を連想させる恐ろしいタイトルですね。小学校だか中学校で聴かせられた「魔王」は大変恐い音楽でした。私は長じて「魔笛」を聴くまでは「きっと深刻で恐いオペラに違いない」と本気で信じていました。なぜ「魔法の笛」ではダメなのでしょうか? メルヘンチックな音楽であるのに、アンバランスなタイトルであります。もうひとつ。ウェーバーの「魔弾の射手」。これは"Der Freischuetz"の訳ですが、これも恐そうですね。確かに内容に合致したタイトルではあるのですが、そんなしゃちほこ張ったタイトルでなくても良いのではないかと思います。

最後に、誤解を招くタイトルについて。モーツァルトの「スキピオの夢」です。モーツァルトがこんなタイトルのオペラを書いていたなんて、私はつい最近まで知りませんでした。ある時、某CDショップでこのタイトルを目撃し、私は「をををを!」と驚きました。「スキピオ」といえば、カルタゴの天才武将ハンニバルをザマの会戦で撃破し、第2次ポエニ戦争の趨勢を決したローマの名将であり大政治家だった人ですね。このスキピオのオペラがあると思い込んだ私は、「ハンニバルとスキピオのやりとりがオペラになっているのだろうか?」とワクワクしてしまいました。残念ながら、このオペラはそうしたものではなく、「スキピオの夢」と記載されていたタイトルは、正確には劇的セレナータ「シピオーネの夢」KV.126(1771年作曲)というのだそうです。これにはがっかりです。ローマの天才「スキピオ」ならば、すばらしいオペラができそうな気がするのですが、話が壮大すぎて誰も手をつけられなかったというところでしょうか。うむむ、残念。


10月22日:ベートーヴェン「不滅の恋人」

昨日「クレンペラーのページ」で取り上げたベートーヴェンの交響曲第9番。あの曲を聴いていて思い出したのは映画「不滅の恋人」です。結構話題になった映画ですからご覧になった方も多いことでしょう。ベートーヴェンの「不滅の恋人」が一体誰なのか、現在に至るまで諸説紛々ですが、映画はその謎に迫っています。もっとも、歴史考証の観点からは「?」の映画ですから、その点は割り引いて見なければなりません。

さて、映画ではベートーヴェンは偉人どころか、情けないダメおやじとして描かれています。ベートーヴェンの期待に応えられず、悩み苦しんだ甥のカールは、ピストルで頭を撃ち抜きます。が、驚くべきことに助かってしまいます(ここは史実のとおりですね)。そのカールは自分をボロボロにしてしまったベートーヴェンに「もう二度と俺の前に現れるな!」と言い放ちます。傷心のベートーヴェンは廃人のようになり、道端で酔いつぶれ、動けなくなったあげくに放尿してしまいます(+_+)。そこを通る子供達がベートーヴェンをからかっていくのですが、BGMは「ミサ・ソレムニス」の"Agnus Dei"から"Miserere Nobis"。とても哀れであります。

閑話休題。交響曲第9番です。映画ではベートーヴェンは廃人同様になるのですが、作曲はできたらしく(^_^;)、終盤では交響曲第9番が初演されます。あの第4楽章が始まると、大音響の中で廃人ベートーヴェンがおもむろに舞台に現れるのです(ベートーヴェンは初演で指揮をしていないという設定です)。このシーンは大変印象的で、ベートーヴェンは自分の子供の頃からの苦しみを回顧します。その中でベートーヴェンは、自分を追いかける父親や苦しい人生から逃れようと必至に走り回ります。その部分で第4楽章の激しい二重フーガが使われていたのが忘れられません。いかに作曲家であったにせよ、現実的には夢遊病者のような男が演奏会の途中で突如舞台に現れて、天を仰ぎながら自分の人生を回顧するなどということはあり得ないでしょう。しかし、絶妙な音楽の使い方のために、妙に感動したことを覚えています。

もしあの映画に登場するベートーヴェンが偉人として描かれていたら、私も感銘は受けなかったでしょう。廃人のごとき人間であったからこそ、その作品の偉大さがクローズアップされたのだと考えられます。今になって考えてみれば、あの映画は、なかなか凝った作りだったのかもしれません。


10月21日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「最終回・交響曲第9番」を追加しました。なお、どうも宇野功芳調の文章になったようです。女房さんに笑われてしまいました。


10月20日:ドイツ語によるイタリア・オペラ

昨日の「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」では、「少し大げさかな?」とは思いましたが、「フィガロ」がドイツ語で上演された時の私の驚きを書いてみました。しかし、イタリア・オペラであろうと、ドイツ語で上演される機会はかなりあるのです。私も、本格的なイタリア・オペラとはいえないかもしれませんが、ロッシーニの「セビリアの理髪師」のドイツ語上演に接したことがあります。スウィトナーさんの録音にも「セビリアの理髪師」があるのですが、イタリア語ではなく、やはりドイツ語でやっています(BERLIN Classics 0090212BC 録音は1965年。「フィガロ」とほぼ同じ歌手を集めていますが、オケはシュターツカペレ・ベルリン)。旧東ドイツではイタリア・オペラをドイツ語で歌うことは不思議でも何でもなかったのかもしれません。

さて、当団のディスコグラフィーを見ておりますと、オペラハウスのオケだけにオペラの録音も目につきます。中にはドイツものだけでなく、イタリアものもたくさんあるので嬉しいです(^o^)。熱烈なファンの私でも、当団とイタリア・オペラという組み合わせは非常にミスマッチだと思うのですが、ある時期に当団は盛んにイタリア・オペラを録音しています。例を挙げますと、以下のとおりです。

作曲者

オペラ名

指揮者

録音年
ヴェルディ オテロ ザイデルマン

1961年
ヴェルディ 運命の力 パターネ

1965年
ヴェルディ リゴレット クルツ

1971年
ヴェルディ 椿姫 パターネ

1971年
ヴェルディ アイーダ パターネ

1972年
プッチーニ トゥーランドット パターネ

1972年

これは面白そうだと思いませんか? 一体どんな音でイタリア・オペラを聴かせていたんでしょう。おそらくは、どれもドイツ語による演奏だと思われます。恐いもの見たさというべきか、興味津々になります。さらに、驚くべきことがあります。これらは既に一度CD化されているのですが、BERLIN Classicsは、この当団によるイタリア・オペラ・シリーズを順次再発していく予定らしいのです(未確認情報ですが...)。となると、当団の音色やレパートリーに対する研究がファンの間で一挙に進み、また新しいファンができるかもしれません。


10月19日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「スウィトナー指揮モーツァルトのフィガロの結婚」を追加しました。

今日は私の誕生日らしいです。でもこの歳になると、まったくうれしくも何ともないですね(^^ゞ。


10月18日:久しぶりに「クーベリックのページ」を更新。「クーベリックのメンデルスゾーン<真夏の夜の夢>」を追加しました。


10月17日:

その1:リンクのページに「音狂ONKYOW」を追加しました。

その2:オペラ三昧

「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」を作ったお陰で、最近オペラのCDを聴き直す機会が増えてきました(こう書けば、8月頃私が盛んにオペラを聴いていた理由が分かってしまいますね。当団と他のオケのオペラ録音を聴き比べしていたのであります)。

オペラといえば、数々の引っ越し公演が日本で行われているにもかかわらず、相変わらず一部好事家の道楽という雰囲気がします。実際にチケットは涙が出るほど高いので私のような庶民にはとても手が届きません。結局、日本ではオペラが好きで、無性に観たくなっても劇場には行けないのです(T_T)。

しかし、CDなら随分安くなりました。オペラのCDは2枚組から3枚組セットが普通です。そうすると、一昔前まではそれなりの値段になりました。ですから私も学生の頃はほとんど買えませんでした。ショルティ指揮の大作「ニーベルングの指輪」など、ほとんど清水の舞台から飛び降りるような気持で買ったものです。最近ではEMIのカラヤン・オペラ・シリーズ(art処理の輸入盤)など、高水準のオペラ録音が廉価でぞくぞく販売されています。2枚組で2700円ほどだったりします。他にも、インターネットでオペラCDを検索しますと、昔から比べれば信じがたいような値段で販売されていますね(◎-◎)。インターネット上では価格はドルベースの表示ですから、邦貨に換算した価格は為替に大きく左右されます。一概にお買い得とは言い切れない場合もあります。が、やはり割安でしょう。オペラCDが低価格化時代に一挙に突入したのは事実のようです。昨晩は「Berkshire Record Outlet」を見ておりましたが、アウトレットCDを扱うだけに猛烈な安さになっていました。これでは安さに釣られて大量に買い込んでしまいますね。ますますオペラ三昧の日々を送ってしまう私でした。

というわけで、今週の「当団ページ」にはいよいよオペラが登場する予定です。乞うご期待。


10月17日:お詫び

朝9時50分です。昨晩から「An die Musik」のゲストブックにアクセスできない状態が続いています。多分、またBIGLOBEのサーバーがいかれているためだと思われます。相変わらず使えないサーバーですね。私も書き込みができなくて困っている次第です(T_T)。せっかく訪問して下さった方々にはまことに申し訳ありませんが、もう少しお待ち下さい。なお、「What's New?」は夜、再度更新する予定です。


10月15日:CDのリマスタリング

昨日の「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」では、ザンデルリンクのブラームスを取り上げました。発売元のDENONによるMASTERSONICシリーズは、文字どおり音源をオリジナル・マスターテープまで遡ってリマスターを行っているそうです。ここで疑問です。オリジナル・マスターテープに遡ったことをキャッチフレーズにして、新リマスタリングによるCDを再発するということは、どういうことなのでしょうか? 一般的には、マスター・テープまで遡らないでCDを作っているということに他なりません。特に国内盤がそうなのだと予想されます。

別にこれはDENONに限った話ではありませんね。DECCAやDG、EMIなどでも同じ状態だと思われます。よく、国内盤よりも輸入盤の方が音が良いといわれるのですが、その原因の一つは、マスター・テープが日本国内には存在せず、各レーベルの欧米本社などでしか使えないからではないでしょうか。さらにプレスの技術がどうのこうのと、LPの時代から随分いろんなことが言われていますが、やはりマスター・テープのあるなしが大きな違いとなって音質に跳ね返ってきていると私は思います。そうなると、よけい国内盤を買う気がしなくなります。何も音質ばかりがCDの善し悪しを決定するわけではありませんが、重要なファクターです。音が良くて、しかも、1枚当たり700円から1,000円も安い輸入盤を買うのは当たり前です。

私はオペラのCDばかりはいまだに国内盤を買うことがあります。対訳がほしいからです。しかし、既に国内盤を買って、対訳まで持っているオペラだったりすると、2種類目からは輸入盤を買います。

これでは国内盤の存在意義がどんどんなくなってきますね。もしかすると、絶賛に値するすばらしい解説が付いている国内盤CDもあるかもしれませんが、私はあまり知りません。そういうCDがあったら是非買ってみたいと前から思っているのですが、皆さんはお持ちでしょうか?


10月14日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ザンデルリンク指揮ブラームスの交響曲第4番」を追加しました。

今回の内容は大変問題含みです。「納得できない!」と思われる方が大勢いらっしゃる可能性があります。アップするには勇気が要りました。とにかく、ご一読下さい。


10月13日:「クレンペラーのページ」に「ベートーヴェン・チクルス1960の交響曲第1番」を追加しました。

今回もCETRA盤です。モノラルながらも、マスターの音を聴いているような、すばらしい音質に息をのみますね。


10月12日:クーベリック

10日のETV「20世紀の名演奏 第6夜」に登場したクーベリック。よかったーo(^o^)o。90年、「プラハの春」オープニングコンサートを飾るスメタナの「わが祖国」を演奏する姿を拝めただけでも感激です。

しかし、不満もあります。「わが祖国」は、連作交響詩と呼ばれています。ですから、本当はETVの放送のように「モルダウ」で止めず、全曲を通して聴くべきであると私は考えています。そうしなければ、あの大曲の真価は分かりにくいと思うのです。私は「モルダウ」が抜粋されたCDを見るにつけ、少しがっかりします。ETVの目的は演奏を聴かせることではなく、画像を見せることでしょうから、制作側も「モルダウ」までで十分と考えたのでしょう。有名な演奏会の模様でもあるし、残念なことです。番組の案内役を務めた黒田恭一氏も、その点は理解していたに違いないのでしょうが、「モルダウ」までを放送させるのが努力の限界だったのでしょう。

カメラはクーベリックの「どアップ」を捉えていて驚きです。いったいどんなアングルにカメラがあったのでしょうか。オケのミスにも全く顔色を変えず、真剣な表情で指揮をする姿が印象的でありました。

ところで、私はかねがねクーベリックは「お茶の水博士」そっくりであると思っていました。頭の横だけに髪の毛が残った感じがそっくりです。でも、テレビを見ていた女房さん、久々にすごいことを口走りました。

「をを、これはドクだ!」。

ううーん、、、凸( ̄ヘ ̄#)。いくら何でもこれは...。「ドク」といえば、あの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるおもしろインチキ科学者ですよ。芸名は「クリストファー・ロイド」といいます。いくら何でも...。でも似てるぞ! 何となくそんな感じがしてきたぞ! もしかするとクーベリックのおじさん、すごく面白い人だったのかもしれませんね! 皆さん、どう思われますか?


10月11日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ベームの<死と変容>続編」を追加しました。

今回のオケは当団ではありません。したがって、「CD試聴記」に入れたかったのですが、話が流れなくなるので一緒にしました。ご容赦下さい。


10月10日:当団とシノーポリ

THE MOSTLY CLASSIC 10月号にシノーポリのインタビュー記事が出ています。一部抜粋してみましょう。

ドレスデン州立歌劇場管弦楽団の特徴は何でしょうか。

シノーポリ:特別な響きを持っていることです。就任以来私たちは十年も前から、古い文献や伝承、録音から聴き取れる昔の響きを忠実に創り上げようとしてきました。その透明な響き、本当のピアニッシモを実現するオーケストラはここよりほかにないでしょう。それは豊かな音に満ちたピアニッシモなのです。それはヴィブラートの精密さ、管と弦の精密なバランスなどによるものです。ここでは決してホルンがトロンボーンにかき消されてしまうというようなことがありません。そこには響きを構築し、コントロールするルールがあるのです。これが我々の特徴でしょう。

シノーポリは指揮者だけに、さすがに正鵠を得た表現をしますね。当団ファンがこのオケに見いだし、そして感激してきた特質が簡潔にまとまっています。例えば「管と弦の精密なバランス」などはこのオケの最高の特質です。金管楽器が決してうるさくならず、弦楽器の響きの中に溶け込んだりするわけです。ホルンセクションの音がまるで木管楽器の柔らかな響きになってオケの中に息づくのであります。

しかし、こうした独自の響きを持つオケには、あまり強烈な個性を打ち出す指揮者は向かないような気もします。その方がオケが水を得た魚のように自由になれるからです。シノーポリが首席指揮者になってからというもの、当団の弱体化が進んできたのは、彼が特に強烈な個性を持つからではないかとわたしは感じています。しかし、シノーポリはあの個性を売り物にしているわけですから、それを捨てさせるわけにもいきません。難しいものです。

シノーポリは今後もやる気満々のようです。インタビューの中でこんなことを言っています。

私の本拠地はあくまでもドレスデン。重要なのはシュターツカペレ、この先もずっとここにいます。

こうなっては致し方ありません。何とかシノーポリには頑張ってもらい、昔日の当団の栄光を取り戻してもらいたいものですね。


10月9日:「An die Musik」正式オーナーのちふみです。皆様の絶大なるご要望にお応えして(!?)「みずなのページ」を設けました。今回は「みずなの成長日記」と「作者について」をアップしましたのでご覧下さい。

早いもので、みずなも明日で満2ヶ月を迎えます。子育てをしてみて一番驚いたのは、あんなに小さいのにいろんなことを感じ取る力があるんだな、ということです。いつも見られているようでおそろしく、いい加減なことはできない気がします。


10月8日:音楽をどのように聴くか

平均的なクラシックファンは1週間でどのくらいCDを聴いているのでしょうか? 「同じ曲を別の演奏家で聴く」という聴き比べの楽しみを一度覚えますと、いろんな演奏家のことが気になってきます。そうなると、つい新しいCDを買う羽目になり、CDは増えるばかりです。石丸電気などでカウンターに並んでおりますと、10枚くらい鷲掴みにしている人もよく見かけます。もっと大きなロットで買い込み、段ボールに入れてもらっている人さえ見かけたこともあります(@_@)。このような買い方をする人はポップスファンには希でしょうね。ジャズファンならありそうな話ですが...。

私もたまに大量に買い込みます。が、そうした買い方に問題がないわけではありません。闇雲に買ったCDに限って愛着が湧かないものです。意外とずっと聴きもしないまま、CD棚の肥やしになることもあります(女房さん、許して!)。確かに、聴いてみると、「これは当たりだ!」というCDもありますが、大量に買ったCDは聴き方も雑になるような気がします(ひえぇぇぇぇ)。大量のCDを「消化」するために「ながら聴き」をするのは、こういう事情によるものです。

しかし、もったいないことであります。それではその演奏の真価はまず分かりません。演奏家は、ながら聴きしてもらうことを前提に演奏していないからであります。スピーカーの前に座って静かに聴き始めると、ながら聴きしていた時とは全く違う音楽が聞こえてきて、慌ててしまうこともよくあります。

もともと、私は真剣にクラシック音楽を聴こうとして、ジャズやポップスを聴くのをほとんど断念したのです(信じられないかもしれませんが、本当です)。それにも関わらず、自分の音楽の聴き方が雑になったりするのでは本末転倒です。そこで自分で自分に提案することにしました。

まず、みだりにCDを買わない。そうすれば女房さんも恐くなくなります(^o^)。CDの置き場所を気にすることもなくなるかも。次に1週間の間に聴くCDの枚数をもう少し減らすべきです。そうすれば、丁寧な聴き方をし、より深く鑑賞できるでしょう。CDはれっきとした消費財でありますが、音楽は単なる消費財ではありません。クラシック音楽を極めたくて他の音楽を聴くのを断念したわけですから、それ相応の聴き方をしましょう。深く反省する秋の日であります。


10月7日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「カール・ベームの<死と変容>を聴く」を追加しました。


10月6日:久しぶりに「クレンペラーのページ」を更新しました。

1960年のベートーヴェン・チクルスに「交響曲第8番」を追加。そうなんです。あのシリーズはまだ終わってなかったんです。すみません<(_ _)>。

ところで、今回のCDは、CETRA盤であります。これは、1960年ベートーヴェン・チクルスのほとんどのCDをCETRA盤でお持ちであった当ページ読者阿久内完さんのご支援によるものです。この場を借りて再度感謝申しあげる次第であります。


10月5日:古いもの

私は歴史が好きであります。それ故、時々このページで歴史に関する話を書いては読者の方々の顰蹙を買っております。女房さんにも「あまり評判が良くないのではないか?」といわれております(そのわりに、「ぶーとんギャラリー」がAn die Musikにあるのはなぜでしょうか?>女房さん)。

しかし、好きなものは好きなので致し方ありません。私はそもそも古いものが好きなのです。例えば、昔はレトロ調の眼鏡をかけておりました。あの丸いフレームの眼鏡です。そうしたところ、私には「大正浪漫」というあだ名まで付けられてしまいました。古いもの好きの私としては「なかなかいい名前だ!」と悦に入っておりました。ただし、レトロ調ではあっても、この泥臭い顔はどうにもなりません。そのうちに「カエッテキタニホンヘイ」という名前が付いてしまいました。この泥臭い顔で真冬にコートを着て歩いている姿が、厳寒の満州から復員してきた日本兵を彷彿とさせるといいます。

それはともかく、古いものには愛着があります。何といっても聴く音楽からしてクラシックです。ジャズを聴く時も、現代のジャズより50年代の「ハード・バップ」になります。本は洋の東西を問わず歴史関係が増えてきました。中国の「十八史略」や「三国志」の大ファンでもあります。スポーツもテニスやスキーといった、今や時代の先端から少し離れてきたオールドスタイルなものばかりであります。別に新しいものが嫌いなわけでもありませんが、不思議なものです。

そうそう、私が好きなものには女房さんがありますが、これは古くはありません。が、大変古風な人であります。


10月4日:久しぶりに「CD試聴記」を更新。「トスカニーニのベートーヴェン」を追加しました。BBC LEGENDSシリーズの1枚です。


10月3日:「当団」

1週間前、この欄でシュターツカペレ・ドレスデンの「当団」宣言をいたしました。その後、ふと気がついてみますと、ゲストブックでも私宛に来るダイレクト・メールでもすっかり「当団」という呼び方が定着したようです。

理由のひとつは、当団の隠れファンが強い意識を持って「当団」と表記しているためでしょう。ホームページ作者として、これは本当に嬉しいことです。ホームページを立ち上げてから半年間、何度かそれとなく当団のCDを取り上げては読者の反応を窺ってまいりました。が、一部の読者を除いて反応は冷淡でしたので、私はションボリしていたのです。

しかし、この前、自分が書いた文章を読み返してみますと、コンヴィチュニーの「エロイカ」(55年録音)はともかく、シノーポリのブルックナー交響曲第9番などは文字通りボロクソです。当団を愛するあまり、シノーポリにはつい厳しくなってしったのです。あの文章では、当団のファンを作ることはできませんね。今回こうしたまとまったページを作ったところ、ファンが突然出現したのは、今までの私の文章に問題があったともいえます。反省であります。

さて、「当団」表記が増えたもうひとつの理由。それは単語変換の煩雑さによるものかもしれません。そうでない方も多いとは思いますが、「シュターツカペレ・ドレスデン」と変換するのは骨が折れます(ポキポキ)。そこで皆さんに私のやり方をご報告いたしましょう。私は日本語変換にはATOKを10年以上愛用していますが、「しゅ」と入力いたしますと「シュターツカペレ・ドレスデン」と「シュターツカペレ・ベルリン」が、「げ」と入力いたしますと「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管」と変換されるようにしてあります。これならガンガン文章を書けます(^o^)。

でもこれだけではつまらないです。どうせなら、「とうだん」と入力して「シュターツカペレ・ドレスデン」と変換するのはどうでしょうか。いやいや、もっとありますね。「しゅたーつかぺれどれすでん」と入力して「当団」というのはどうかな? うむむ。全く馬鹿馬鹿しいですが、楽しいかも。


10月2日:鍋

10月です! いよいよ待ちに待った鍋の季節が到来しました! というわけで、今夜は早速「チゲ鍋」であります。「チゲ鍋」の「チゲ」とは朝鮮語で鍋のことをいうそうです。ですから、「チゲ鍋」は「鍋鍋」ということになりますね。

この「チゲ鍋」、女房さんの大好物で、秋から冬にかけての週末に頻繁に登場します。材料は大量のキムチ、カクテキ、豚肉、みそ、白身魚、エビ、かに、豆腐、などなど。これを大きな土鍋に突っ込んでぐつぐつ煮込みますと、鍋の中は血の池地獄のように真っ赤っかになります。見た目は大変おぞましいのですが、食べてみれば気分は最高。カクテキの甘みと、みそのしょっぱさ、豚肉油の甘さが、キムチの辛さと溶け合い、すばらしいハーモニーです。食欲も増進します。女房さんは味が染み込んだかにをちゅうちゅうしてご満悦。もちろん私はビールが進むのであります。うぃー。

しかも、「チゲ鍋」は当日だけおいしいのではありません。翌日「おじや」にします。これは言葉にできないほどの美味ですよ\(^o^)/。

そうそう、今年は噂に聞く「はりはり鍋」にも挑戦せねば。京都では野菜の「みずな」を豚肉と一緒に煮込んで鍋にしているといいます。我が家の「みずな」ちゃんは、野菜の「みずな」ではなく、山菜の「みずな」で、種類が違うのですが、気になります。何とか材料を揃え、いただいてみたいものです。え? それでまた飲むのかって? えへへへ(^з^)゛。


10月1日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に特別エッセイ?「<いぶし銀の響き>とは?」を追加しました。

時間がなかったので、舌足らずな文章になりました。が、趣旨はご理解いただけるでしょう。皆様のご意見をお聞かせ下さい。

なお、今週は結局他のページの更新ができませんでした。伏してお詫び申しあげます<(_ _)>。


(An die MusikクラシックCD試聴記)